第22話 三日前、警戒すべきは異形だけに在らず
旧ロシア領海まであと数日というところまで『春風』はやって来ていた。
目的のホールまでもうすぐそこだというのに直哉は——
「おらぁ! そことそこ! まだ汚れが付いてるじゃねぇか!」
アイリスとクリシュの研究室にあるデスクを指でなぞり付着した埃。ふっと息を吹いてハタキ棒をまるで鞭のようにバシンとデスクを叩きつける。
「ここは掃除が終わったって言ってなかったっけか? アイリス」
「そ、そうだよ! そこはさっき僕が——」
「んじゃこの埃の量はなんだ? 掃除したならなんでこんなにまだ汚れがあるのかねぇ~……」
「うぐっ。ク、クリシュくん。あそこは君の管轄じゃあ無かったかな?」
突然の擦り付けに驚愕するクリシュ。そらそうだ。彼女の管轄はこのデスクではなく部屋のあちこちに散らばている資料の片づけだ。
「しゅ、主任!? そこは主任の管轄で——」
「まったく!」
クリシュに発言させまいとアイリスが声を大にして彼女の言葉を遮る。
「君というやつはどうしてこんなに雑なんだい。見たまえ僕の仕事を! 完璧な雑巾がけ捌きでご覧の通り——」
「埃まみれだけどな」
「………………はい?」
ドヤァ。と仁王立ちするアイリスの後ろ。そこにあるクリシュのデスク上はまだ埃がたんまり乗っていてまともに掃除したとは言えない惨状である。
それを、彼女は、『完璧な雑巾がけ捌き』と言い張った。
奇麗好きの、アイリスの身の回りの整理、掃除、家事を何年も担当してきた直哉からすれば到底許されるような発言ではない。
(というかこいつ今まで俺の掃除をどう見てきたんだ? よもや都合のいいお掃除ロボット感覚で見てたんじゃないだろうなぁ……)
ふつふつと怒りがこみあげてくるのは何故だろう。
いや答えはわかっている。これはきっとアイリスが直哉に良かれと思って付けてくれた感情によるものだ。
今まではもっと低性能な感情しかなかったからここまでの怒りが沸くことはなかったものの、残念ながら今は違う。
「な、直哉君? 何をそんなに怒っているのかな? リラックス、リラ~ックス……だよ?」
「感謝するぜアイリス。お前が俺に人間らしい感情を付けてくれたことによぉ」
「な、直哉く~ん……もしもーし」
「もう大人になるお前が掃除の一つもできないでどうする!! えぇ? 大体ここはクリシュじゃなくてお前の管轄だろうが! 人の所為にするんじゃねぇ!!」
「うひぃぃ!! ごめんなさーい!!」
「謝る余裕があるなら手を動かせ! もっと力を込めて愛をこめてッ!!」
「はいぃぃ!」
クリシュは思った。どっちが主人なんだろうと。
これではどう見たって直哉のほうが主人であり、アイリスはなんというか……全く使えないメイド、もしくは奴隷のようであると。
***
委員会本部作戦指令室は緊張に包まれていた。
オペレーター各位が手を止め目の前に大々的に映し出されているモニターに目を向けているのだが、本来ただの通信ごときで巨大モニターを表示したりしない。
このように表示されるときは決まって緊急事態の場合か、もしくは重要人物からの通信と決まっている。そして今回は後者に当たるというわけだ。
「はい。存じております。バレードニア参謀長官」
その通信に答えるのは委員会作戦司令長の如月であった。
ホール対策委員会『春風』の責任者でもある彼女が対応しているのは異世界アルデバラン、その一国であるグリデンガルドの参謀長官であった。
「本当にこの作戦が成功すると思っているのかね。何度も言うようにネクロウィザードは巨大異形なんだぞ。このような物量と個人の戦力に頼り切った作戦などとっくに我が世界でも試して——」
「だからその点も存じているとおっしゃたではありませんか。その上で私はこの作戦を立案したのです。ここには他世界からの来訪者、魔法使いに、兵器が揃っています」
「それは我が世界の戦力よりも高いと言いたいのかね?」
「ですからそういうわけでは!」
これでは話が進まない。如月はどう答えればいい物か頭を悩ませる。
やれこの戦力では心許ないと認めれば、作戦の失敗の責任はすべて委員会側に負ってもらう。
やれ十分すぎる戦力を有していると伝えれば、我が世界への振興を考えているのではないかと詰められてしまう。
どう答えても委員会側にとって不利だ。
(クレームもクレームだ。要は責任は負いたくないから何かあればすべてこちらで保障しろって言いたいのだろうけど)
それを許せるほど如月も甘くはない。
彼女はホール対策委員会の前機関『叢雲機関』に属していたエージェントだ。
5年前の砕華の襲撃の阻止(記憶にはないが)。
さらには砕華を仲間に引き入れた実績(主にアイリスと直哉のおかげである)を認められ、更には彼女自身の人柄も合わさり昇進に昇進を重ねて今では委員会の重役に身を置いている。そんな彼女は世界を守るという責任が伴っているわけで。それは全世界にとっての脅威であるカリギュラに対してだけではなくこのように異世界からの政治的弾圧、もしくは侵攻にも目を向けなければならない。
(アルデバランは地獄の魔物に次いで二番目に接触した長い付き合いなのにどうしてここまで信じてくれないのかしら……)
「それに聞いたぞ? 先の模擬戦では君の部隊は敗北したらしいではないか。我が軍のネクロウィザードに適わなかった魔装兵に負ける程度の戦力が……はっ! どうして力になると照明できようものか」
痛いところを突いてくる。だがそれは自分の軍のシエルの実力すら無下に扱っている証拠でもありグリデンガルドの兵士に対する扱いが如何に酷い物か晒しているようなもの。
(この作戦が成功したらシエルさんを委員会にスカウトでもしようかしら。彼女なら好待遇で迎え入れても余りある人材なのだし)
「如月司令! 聞いているのかね!」
「聞いてますよ。はぁ。ではそちらに納得していただける資料を早急に作成して転送させていただきますので今日はここまでにしましょう」
「お、おい司令! まだ話は——」
如月は近くのオペレーターに目線で『切って』と伝えた。
さすがは如月が選んだ人材だけあって優秀なオペレーターは何も聞かずに通信を切った。
巨大モニターがブツリと切れて指令室は安堵に包まれる。
「司令よろしかったので?」
「ええ。あのまま話したとしても平行線。向こうは全責任をこちらに押し付けたいだけだし、あわよくばファンタジーアース側の物資を向こう何年もせびるつもりだった可能性があるもの」
「はぁ……カリギュラという共通の敵を前にして尚ですか……」
「だからこそとも言えるわね」
結局のところカリギュラという存在はきっかけの一つに過ぎない。
一番の問題はかつて世界の均衡を崩した科学者サイコ・クルーエルの引き起こした世界大崩壊による多次元干渉が問題なのだ。
正体不明の国、未知の力にエネルギー。
その力を我が物にしようと奔走する異世界は少なくはない。
「人間ってどの世界も一緒なのよね……。利益利益。あわよくば漁夫の利」
「いざ自分が危ない目にあったら救援依頼もありますしね~」
「まったくね」
作戦実行までのこり僅か。
おそらくこの飛行速度であれば3日後にかのホールへとたどり着くだろう。
超巨大異形カリギュラ『ネクロウィザード』。
(シエルさんの話と彼女が残した戦闘データからして苦戦は必至。ほんと気が重いったらありゃしないわね……)
そんな重いため息を吐く責任重大な如月なのだった。
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