第18話 全てを終わらせて、壊して 1
直哉と砕華が仕事で出払っている頃、アイリスは部屋で1人窓から夜空を見上げていた。
リーデリッヒとは違って地球の夜空には星が見える。
あの世界は絶え間なく吹雪が吹き荒れ、都市は夜を知らないのかというほど眩く輝いていたのだから星空なんてものは皆無だった。
少し昔のことを思い返したアイリスは本棚から一冊のアルバムを取り出す。
この世界に渡って5年。直哉と共に撮った思い出の写真の数々だ。
最初にこの世界にやって来た時は、文明レベルの低さにまともに生活できるか不安だったのだが、直哉が居たから、居てくれたから安心して暮らすことができた。
直哉はアイリスにとって父親のようであり、親友であり、愛する男性。
自分がクルーエルの研究施設で働かされてた時に解放してくれた初めての人間だった。
「直哉くん……」
今から10年ほど前のことだ。当時4歳だったアイリスは人間の解剖と人体の仕組みを兵器転用する研究をしていた。毎日資料と死体を見るだけの日々。
別に退屈だった訳ではないのだけれど、直哉に連れ出されてからの日々と比べれば天と地の差。
圧倒的に今の方が楽しい。
だが、同時に、アイリスが直哉に助けられたからこそ、彼は人間としての命を終えてしまった。
14歳だった彼が、クルーエルの追っ手に胴体を切断された時は心臓が止まるんじゃないかって程に苦しかった。
開いたまま閉じない瞳、冷たく、硬くなっていく体、切断された中身から飛び出す臓物に大量の血。
何度揺さぶっても、頬を何度叩いても、彼は動かなくなった機械のように、人形のように、物になっていくのに耐えられなかった。
だからアイリスは当時、研究所で得た知識、技術を持って彼を再現した。
彼は死んでいないと、新しい体に生まれ変わるんだと。
死体となった直哉の人体を解剖し、脳にある記憶をデータ化し、可能な限り同じ仕組みで魔道具で再現、そして絶対に死なない体を組み込んだ。
完全なコピー人間兵器。直哉を真似た直哉ではない直哉……。彼は自分のことを直哉だと信じて疑わないだろう。
だけどアイリスは知っている、今の彼は直哉本人ではないことを。
発する声、立ち振る舞いに感情、その全ては間違いなく直哉そっくりに作り上げられた。
だが……本物の彼はもうこの世にはいない。
アルバムに映るのはそんな偽物の直哉とアイリスが笑顔で映る写真だらけ。
「でも私は……それでも……」
それでもアイリスは今の直哉を本物の直哉だと信じたかった。いや、信じているのだ。
たとえ、再現された彼であっても共に暮らす彼は生きていた時と同じ、人間のようなのだから。
直哉のことを愛している。
誰よりも、世界中の誰よりも。
だから機関とか魔物とか頂上の存在が出て来た時は興味よりも不安が先に思い立った。
この日常が崩れるんじゃないか……と。
だからアイリスは夜空に祈りを捧げる。願いを捧げる。
直哉にこれ以上苦痛を与えないで欲しいと。
「ただいま〜」
「アイリス〜帰ったぞ〜」
その時、玄関の方から砕華と直哉の声が聞こえた。
アイリスは昼間の事なんか忘れて部屋から飛び出した。
「おかえり!」
直哉の無事を確かめる為に、直哉の温もりを感じるために。
それがたとえ偽物であったとしてもアイリスにとって彼は愛する高井直哉なのだから。
***
「旅行に行きたい!」
「よし来た! すぐに支度だ!」
帰って早々アイリスが旅行に行きたいと言った。
アイリスを溺愛する直哉としては彼女の願いを聞き届ける義務があるのだから早速スーツケースを取り出してタンスへ直行する。
(今は深夜2時。今から迎える場所はあるか? この時のために車の免許取っておいて良かった)
「ちょちょっと待ちたまえ、夏休みに入ったらの話だよ! 夏休みに入ったらの!」
「え?」
タンスから旅行カバンを取り出して服を詰め込む手が止まる。夏……休みだって?
「カーカッカッカ! 直哉はせっかちだなぁ。話はちゃんと最後まで聞かんか」
と、煎餅をバリバリ食べながら砕華が直哉を馬鹿にするように笑った。
煎餅は彼女の口で割りながら食べてるのだが、カスがボロボロと床に落ちるのを直哉は怪訝そうに見つめる。
「せっかちって……ってかお前! お菓子を床にこぼすなよ! ゴミ箱の上で食え! ゴミ箱の上で!」
台所にあるゴミ箱を指差しながら直哉は強く指摘する。
仮にも居候の立場なのだし、部屋を大事に扱ってもらいたい。と直哉は何度も何度もゴミ箱を指差した。
「断る! なんでゴミ箱の上で菓子を食わにゃならんのだ! この菓子は香りも楽しむものだろう? ゴミ箱の上でなんか食ったら鼻がもげて味わうどころではないわ!」
逆ギレ……だったら下に何か敷くか何かして溢さないで欲しいと睨み続けるが砕華はお構いなしと煎餅をボロボロ溢し続ける。
「もういいわ、で? 夏休みっていつからだ?」
砕華になにを言っても無駄だと考えた直哉はアイリスに顔を向ける。
アイリスはリビングにあるカレンダー(架空の動物、いやモンスターのイラストが描かれた物)に掛けて7月24日にマジックペンで赤い丸を付けた。
「2週間後! 期末試験も今日で終わりだからね。結果が帰って来たらすぐだよ」
結果は……気にするまでもないだろう、アイリスの知能はハーバード大を10周出来るぐらい天才なのだから。
間違いなく全教科満点なはずだ。
普通の学生は今頃結果に震えてるはずなのに。アイリスはそんな憂鬱とは無縁な様でウキウキしながら直哉に目をキラキラさせていた。
「2週間後かぁ」
「アイリス、アイリス! 私は? 私も着いて行っていいのか?」
砕華が煎餅を一気に飲み込んで自分を指差して聞いていた。厚かましい奴だと直哉は思ったが——
「もちろんだよ。旅行は多い方が楽しいからね」
アイリスの許可が降りた。まさか昼間のアレを見ておいて許しが出るだなんて思いもしなかった直哉はびっくりである。つまりもう許されたと言う事だろうか。帰ってからあの時を思い出させまいと話を逸らしていたのだが、必要なかったのかもしれない。
「よっしゃぁぁぁーーー!!」
喜び立ち上がった砕華はバキン! と袋に入ったお婆ちゃん印の煎餅を殴り潰した。
座布団の上で笑顔でお茶を啜っているお婆ちゃんのイラストに拳が叩き落とされてなんだか可哀想だなと思ったが、それよりも殴った衝撃で袋の口から煎餅のカスが空気砲の様に飛び出した光景に直哉は愕然とする。
(あーあーあー……カスが……床に……)
「で、どこに旅行に行くんだ? 遊郭か!? それとも賭場か!?」
「誰がそんな教育に悪いとこ行くか!! 大体お前女だろ! 遊郭なんざ行ったって楽しくねぇだろ」
カスを拾いながら、濡れタオルで床を拭きながら馬鹿な事をいう砕華に直哉は猛抗議した。
アイリスはまだ中学生、未成年だ。それに彼女には清く正しく可愛らしく生きてほしいと直哉は願っている。
砕華のようにガサツで横暴で無遠慮で節操なしな大人には育ってほしくないのだ。
だが、その砕華はというと——
「そんなことはないぞ。女と酒を飲み交わして裸の付き合いをするのもかなり楽しいからな」
『おかしいか?』と当たり前のことの様に言った。言いやがった。
男も女もイケるんすか……。鬼は楽しけりゃなんでもアリなのかよ。と直哉はもはやツッコむ事すらできなかった。なにせ想像すれば女性を侍らせて酒をガハハと笑いながら飲んでる彼女の姿が容易に想像できたからだ。
正直、似合っているし、なんだったらアリ……だとも考えてしまった。
ロボットになっても直哉は男の子なのだった。生殖本能はないのだが。だが、だとしても——
「却下だ却下。もっと夏らしい場所がいいよな? アイリス?」
ちょっと興味が湧いてしまった男心に蓋をして漬物石を乗っけるように封印した。
「そうだね遊郭は直哉くんには早いから——」
もしもしアイリスさん? 早いも何ももう終わってるんすけど……生殖機能ないんですよ? 俺……。と小さくツッコんだ。が、アイリスはそんな直哉に気づかず——
「海……そうだ、海がいいな!」
とカレンダーに描かれたモンスターたちが海水浴しているイラストを見ながら言った。
「海か……そういやリーデリッヒには海なかったもんな」
「うん!」
リーデリッヒは山に囲まれて1年中吹雪が止まない世界だ。そんな世界に常夏のアイランドやリゾート地なんか一切なかった。
なんだったら観光地なんてものもない。
あるのは奴隷剣闘場だけだ。奴隷同士を死ぬまで戦わせて楽しむ娯楽施設。
(あぁ、思い出しただけで蘇るディストピア。なんて異世界に転移してたんでしょ)
「海か! いいな海! 私は賛成だぞ! 水着を着た綺麗どころに喧嘩が好きそうな屈強な男も居そうだしな」
「楽しけりゃお前はどこだっていいんじゃないか! だけど、確かに海はいいよな」
直哉的には水着のお姉さんにも引かれるものはあるが——
「なら!」
「ああ。夏休みに入ったら海に行こうぜ」
「やったーー!!」
アイリスは端ではしゃぎ出した。同じようにはしゃぐ砕華とハイタッチしたりエアクロールをしたりと気分はもう海一色のようだ。
こんなに楽しそうなアイリスが海ではしゃぐ姿を直哉は見てみたかった。
別にいやらしい気持ちとかではなく。純粋に遊ぶ姿を見てみたいのだ。
なにせ向こうじゃ、アイリスは目が死んでた子供時代を過ごしてたのだ。
ようやくなのだ。ようやく子供らしいことができるのだ。
アイリスが4歳の頃から知ってる直哉からしてみれば娘みたいな存在。そんな娘には健やかに育って欲しいってものだろう。親心としては。
「直哉くん直哉くん!」
飛び跳ねるアイリスが直哉のそばに寄ってきて輝くサンサンの笑顔を向けた。
「ん?」
「絶対に海に行こうね! 約束破っちゃダメだからね!」
「はいはい。分かってますよ。約束……な」
ひまわりみたいな。太陽に照らされた花みたいな笑顔。
アイリスの笑顔に直哉は自然と笑顔で返していた。
そんな笑顔を曇らせるわけにはいかないと静かに決意する。
(約束……な。そうだな。夏休みを謳歌するためにもクルーエルの問題を片付けないとな)
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