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第37話 イグニスイフリート

 気色の悪いバケモノと対峙し続けるアナハイドは、自らの手に宿した炎を駆使して敵の体を焼いていく。

 腕に体、関節に股間など、人間の急所や痛みで動きが鈍くなる箇所を重点的に狙い続けた。

 はずだ。だがこのバケモノは痛みというものを感じないのだろうか、耳が痛くなるような奇声を上げてアナハイドに鉈をぶんぶんと振ってくる。


「おっと。この!」


 襲い掛かってきたバケモノに蹴りを一発お見舞いする。

 蹴るというのも烏滸がましい貧弱な一撃だ。

 攻撃とは言わず、どちらかといえばバケモノの屈強な肉体を足場に後ろに飛び退いた、という方が妥当か。


「にしても硬すぎんだろ。っと」

「GRUAAAAAーーー!!」


 もはや暴れる子供である。

 巨腕に握られた鉈を振り回すさまはまさに子供のそれ。

 廊下中を切りつけ、まるでカマイタチが吹き荒れたかのように辺りを斬り荒らしていく。

(俺の魔法でどこまでやれるよ。まったく……)

 イグニス——アナハイドの持つ炎の魔法。

 この魔法はハイネルのものだが、少し系統が異なる。

 本来魔法とは一つの呪文に対して一つの結果しかもたらさない。

 例えば、『燃えろ』という詠唱があったとすれば結果は『ただ燃えるだけ』のように。

 だが彼の魔法はイグニスと唱えれば炎を投げることも煙草に火をつけることも、拳に炎を宿すことだってできる。

 特殊な魔法……。

 だがそれだけだ。このタフすぎるバケモノに対して何の効果があるというのだろう。

 アナハイドは悪態を吐きながら、それでもバケモノを燃やし続けた。


「まったく、これじゃ魔力が尽きちまうぜ。なああんた。そんなに暴れて疲れないのか?」

「UGAAAAAAーーー!!」

「頼むから人語を話してくれよ。場が持たないっての」


 振りかぶったバケモノの腕を支点にロンダートを決めるアナハイドは、バケモノの後方に回り込んだ。

 弱点だ、とりあえず弱点を探そうと考えたわけである。

 これだけダメージを受けても動けて、これだけ暴れても疲れる様子がない。

 生きてる限り、体力はあるはず。

 まあ、この顔が三つ縫い付けられたバケモノにまともな命があるとは思えないが。

 っと、その時だった。


「ん?」


 バケモノの背中がぐにゃりと歪み、何かがうごめいた。

 まるでその中に巨大な芋虫、もしくはムカデが這っているかのように。

 気持ち悪い、そう思った瞬間——

 ——背中から目のないミミズが大きな口を開けてアナハイドに飛びかかってきたのだ。


「気持ちわるっ!!」


 すぐに両手を向けて炎を全力放射してやった。

 ミミズ、ワームとでも呼ぶか。それは炎で香ばしく焼かれてバケモノの体に戻っていく。

 心なしか、バケモノの動きが鈍ったように、見える。

 見えるだけかもしれないが、きっと見間違いじゃないとアナハイドは信じたかった。


「おいおい体の中に随分と洒落たペット飼ってんじゃないの。それってどこのペットショップで買ったのさ。なあ!」


 弱点、かは分からないが、おそらく体内。

 その中に住むワームがこのバケモノの原動力だと仮定する。

 おあつらえ向きに奇声を上げまくるバケモノだから、アナハイドは容易に炎を口の中に放射することができた。

 だが、炎の中を突っ切ってくるバケモノにアナハイドは反応が遅れて——


「うぐっ!」


 丸太のように太い巨腕に吹き飛ばされてしまう。

 壁に打ち付けられたアナハイドは、口から体中の酸素が吐き出されたような気がした。

 背骨を打ったせいか腰が痛い。

 それに頭がぐわんぐわんする。


「くっそ、俺もお前みたいにタフだったらなぁ」


 ああはなりたくないが……。

 朧げな視界に映るバケモノの追撃を大きく回避して、頭を打った影響でぼんやりする脳を、頭を振って目覚めさせる。


「イグニス」


 炎は、まだ出る。

(よかった。今の脳震盪で魔法が放てなくなってたら詰んでたぞ)


「GUGUGAGAAAAAAAAAーーーー!!」


 迫るバケモノ、その肩から飛び出したワーム。

 もはや某ゾンビゲームのウイルスだ。


「これ以上、お前みたいなゴリラと付き合うのも面倒だ」


 アナハイドは両手を、まるで水でも掬うかのように構え——


「イグニスト」


 魔法を唱えた。

 イグニスの炎よりも大きく、蒼く、熱い。

 バケモノとワームの動きが止まり、その蒼炎を見上げている。


「よお? お前にもこの炎のやばさが分かるか?」


 アナハイドの周りには蝶のような何かが飛び回っていた。

 それらは彼を慕うように手に集い、また羽ばたく。


「俺の魔法はちょっと特殊でな。ハイネルのものだが、実際は学んで身に着けたものじゃあない」


 蒼炎を細く、鋭く形を整え、剣のように変えていく。

 一歩進むたびに、バケモノはまるで恐ろしい何かを目の当たりにしたかのように後ずさっていく。


「イーグレットとハイネルを繋ぐデカいホールがあるだろ? 元々俺はそこで資源を採掘してた土木業者の一人でな?」


 蒼炎は剣に。剣はアナハイドの手に収まった。

 ポタリと落ちる炎は官邸の床をドロリと飴のように溶かす。


「そこにいた蝶、まあ精霊っつうんだっけ? そいつと契約したわけだよ。えー名前、なんだったかなぁ」

「U、UGAAAAAAーーー!!」


 バケモノは一心不乱に走り出す。

 後方に? いや前にだ。

 この場で逃げても焼き尽くされると本能で理解したのだろうか。

 突破するしかない、そう考えたのかもしれない、バケモノなりに。

 ただ、この場において真のバケモノは——


「そうそう、思い出した。この精霊の名前だけど……。イフリートっつうんだわ」


 蒼炎の剣がバケモノの体を溶かし斬った。

 血なんて噴き出す余地すら与えない。

 焼きながら斬り、傷口を溶かしたその一撃はバケモノの命を絶つことすら容易だった。

 この場において真のバケモノは——

 ——アナハイドだったのだ。


「いやぁ悪いね。大いなる力には相応の責任が伴うって言うだろ? まあ俺、責任なんて取りたかないんだがね?」


 煙草に火をつける。

 魔力を使い過ぎたせいか、体の内側が火照って辛い。

 煙草の煙を吐きながら気だるげに花たちの元へ向かう。


「あーやだやだ。俺の使い魔ってのはどうしてこう、優しくないのかねぇ。もっと俺の体を大事に扱ってほしいもんだけどねぇ」

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