第36話 バケモノ
イーグレット首相官邸に辿り着いたアナハイドたち。
この辺りも魔術師の被害は大きく、道に倒れた人々、裸に剥かれつつも子供を守ろうとしたのか、背中を切り裂かれ血の海に沈む母親の姿。
首のない警官の姿が多く見られた。
そんな光景に花は悔しさをにじませた顔を浮かべて足を止めようとしていたが——
「止まるな。俺たちはもう進むしかないんだ」
「!?……はい!」
アナハイドの一喝で頬を叩いて花も後に続く。
官邸に入るとそこも地獄だった。
SPだろうか、黒服の男たちが何人も倒れている。
元から赤いカーペットだったのだろうが、足を踏みしめるたびにグジュリと血がにじむのが分かる。
それに匂いも酷いものだった。
生臭い……。血の匂いだ。
そんな凄惨な現場を見てシエルは告げる。
「急ぎます! リーン、花! 換装して戦闘態勢を取って。総理の元まで一直線で進むわよ」
「「了解!」」
シエルの指示で3人の姿が光に包まれる。
換装と言われる変身だ。
瞬く間に光が収まると中から防御力の高そうな服に身を包んだシエル、リーン、花。
手には機械的な杖が握られていて——
「AS展開! 司令官、アナハイドさん。ついてきてください!」
シエルが展開した魔法弾が官邸の壁をぶち破り、大穴を開けて道を切り開いていく。
リーンと花は両サイドの警戒。
アナハイドもイグニスを唱えて戦闘に備えて進んだ。
廊下を突き破り中庭に出る。
どうやら魔術師は官邸を今も襲っているようでSPたちの悲鳴に魔法の炸裂音が響いていた。
音は2階から——
シエルが眉を寄せる。
「総理が居るのは2階——このままじゃ間に合わない」
「隊長! 先行してください」
リーンがシエルに言った。
その言葉に花も頷きながら杖を構えていた。
「ここは既に魔術師に制圧されています。敵の数も少数精鋭といったところでしょう。このまま全員で進んでいたらきっと間に合わない。ですが隊長なら——」
「んだ。私らは後から追いかけますから。安心してください」
「あなた達……」
シエルは二人を交互に見た。
いいのか? といった目線がアナハイドと如月に向けられる。
二人ともシエルに頷き——
「俺たちなら問題ない。俺はこう見えて重要護衛対象の任務をクリアした腕前が——」
「シエルさん。お願いします。ここでブリティッシュ総理の命を奪わせるわけにはいきません。敵も恐らく総理を手に掛けることで何かしらの手を打つはずです。なのでシエルさん」
アナハイドの言葉を遮るように如月はシエルに告げた。
シエルは敬礼して如月に答える。
「了解しました。直ちに総理の身の安全の確保に尽力させていただきます。リーン、花、絶対に二人とも無事に守り抜きなさい。アナハイドさんもそれでよろしく」
「お、おう!」
それだけ告げてシエルの小さな体は中庭にふわりと浮かび上がり2階の窓ガラスを割って中へ入っていく。
瞬間ドンドン! と何かが爆発する音と男どもの叫びがこだました。
「な、なんだ!? 魔法使いか!?」
「ち、ちがう! これは俺たちの世界の魔法じゃない! ぐあーーっ!!」
この様子だとシエルの術力は魔術師を遥かに凌駕しているだろう。
残された4人は目を合わせると中庭から官邸内へ、また壁を魔法で砕いて進み続ける。
廊下を進み、階段を上る。
倒れているローブ姿の魔術師たちにアナハイドが目を向けて——
「少し待ってくれ」
皆を呼び止めた。
3人の怪訝な視線を浴びつつアナハイドは気絶する魔術師の傍に落ちている本を手に取った。
花はそんなアナハイドを急かすように告げる。
「アナハイドさん! 今は物を漁ってる場合じゃ——」
「これを見てくれ……」
手に取った本を花たちに差し出すアナハイド。
その本は肌色の表紙に中には異世界ハイネルの言語がびっしり書かれていた。
魔導書、なのだろう。
だがアナハイドが気になったのはそこではなく。
「この表紙、この手触り、まるで人間の皮膚だ」
3人ともギョッと目を見開いた。
手で撫でるように触れ始める。
「この手触り、産毛……」
「本当に人間を素材に魔法の道具を生み出してるんですね……」
「酷い……」
3人とも嫌悪感をあらわにしていた。
アナハイドだってそうだ。
人間の皮膚がこのように加工されていた事実に気色悪さで吐き気がこみ上げてくる。
そうして足を止めている時だった。
どっどっど。と何かがこっちに向かって駆けてくるような音と振動が響いてきた。
廊下の端からだ。
アナハイドがすぐに気づき3人を守るように警戒する。
廊下の曲がり角から、人間だろうか。
身長が優にアナハイドの倍以上はある巨体。
首には錆びた鉄の枷。手には血塗られた鉈。
顔を黒いごみ袋のようなもので覆われた何かが正気を失ったような奇声を上げながらこちらに向かって突進してくる。
「GROOOOOOーーー!!」
「なんだあれは!」
「散開! 花は司令官を守って!」
「了解!」
そんな化け物の突進をアナハイドたちは躱した。
3人を横切ったその化け物は振り返り、ふしゅー、ふしゅーと息を立ててゆっくりと振り返ってくる。
如月が花に守られながら一言——
「この国の市民ではなさそうね」
「こんなバケモンがイーグレットに居て堪るかっ!」
「GUOOOOOOO!!!!」
アナハイドの叫びに反応してか、もしくは如月の一言に腹を立てたかは分からないが、その化け物は3人に向かって襲い掛かる。
鉈をぶんぶん振り迫るのをリーンが杖で上手く防いだが——
「お、重い!」
「BURAAAAAAAAA!!」
受け止めたはずなのにリーンの体が強引に官邸の壁に吹っ飛ばされた。
とんでもない威力だった。
リーンが激突した壁が砕けている。
リーンは無事なようだが、まあ少女の姿をしているのだ。
純粋な筋力ではこの化け物の方が勝っているのは明確。
それに——
「射撃魔法で制圧——くっ!」
「リーンさん! この人、私たちだけ狙ってくるだ!」
バケモノが狙うのは杖を持ったリーンと花だけ。
如月とアナハイドに目も向けずに鉈で襲い掛かっている。
魔法を使用する暇も与えないぐらいに苛烈に、だ。
(こいつ、まさか——魔法使いを優先的に狙ってるのか?)
だとすれば、このままこのバケモノと戦うのは不利だ。
狭い廊下に詰め切られた距離。
魔法使いとしてのアドバンテージは失われてると言っていい。
このままここで手を拱いていてはブリティッシュ総理の身に危険が迫り続ける。
まあシエルが向かっているが……。
それでも身柄を先に確保されていた場合不利なのは此方だ。
「くそっ! だったら、俺がやるしかないよな!」
イグニスの炎をバケモノの背中に投げつけ焼いてやる。
アナハイドに目も向けていないバケモノは背中に不意打ちを受け痛みに奇声を上げた。
「アナハイドさん!」
「構うな! ここは俺に任せて先に行け! 政治だとかなんだとかはお前らの仕事だろ! それに俺だって男だ。こんなバケモノとレスリングするぐらいなら出来る」
花の叫びに軽口で答えるが、内心レスリングなんて出来るはずがないだろ! とアナハイドは考えていた。
「ですが、アナハイドさん!」
「だから構うなって言っただろ」
バケモノの攻撃をなんとかギリギリで躱しながら、反撃するアナハイドはリーンに叫んだ。
「今は時間が惜しい。それに協力体制を結んでるんだから俺だって手伝わせろってもんだぞ!」
「GUZAAAAAAA!!」
「うっせぇ!」
イグニスの炎が顔の袋を焼く。
いかにバケモノであっても顔を焼かれればひとたまりもあるまい。
そう考えての一撃だったのだが——
そこにあるはずの顔は、アナハイドが想像していた人間のものではなかった。
いや、正しくは、顔ではあった。
だが人3人。男女の顔が歪に縫い付けられて一つの塊としてそこにあったのだ。
東洋で聞く阿修羅……そんな感じだとアナハイドは思った。
「気色わりぃ!」
もはやこのバケモノもハイネル側が作り上げた魔法技術の賜物なのだろう。
嫌悪感を覚えつつも、戦闘の高揚感で多少は気持ち悪さを堪えられた。
そんなアナハイドは、3人にシエルの元へ急げと怒鳴るように訴え続ける。
「いけぇ! いけぇ!!」
「…………! わ、かりました。リーンさん。花さん。ここはアナハイドさんに任せて行きましょう」
如月のしばしの葛藤の末にその言葉を絞り出した。
「で、でも」
「花。アナハイドさんの言う通り今は時間が惜しい。それに早く総理を確保して場を収めれば隊長の協力を得られる。あのバケモノを倒してくれるはず」
「……わかっただ。アナハイドさん! お気をつけて!」
「おお! っと行かせねぇよ!」
アナハイドを無視して3人へ駆け出そうとするバケモノの足をイグニスを駆使して爆破してやる。
その衝撃で転んだが側面の顔の目がぎょろりとアナハイドに向けられ口から炎を吐き出した。
これではいよいよ人外の領域である。
そんなアナハイドたちを置いて花たちは2階へ駆け上がるのだった。
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