第23話 プロですから
大使館の中とは言うが、こんなに広い大使館はそうそう無いだろう。
それに不思議な光景でもある。
手ごろな清掃員を気絶させて奪った作業着を着て、カート型掃除機を押しながら通り過ぎていく職員、天井を歩く職員を見ながらアナハイドはそう思う。
——初めて大使館の中を見たが、まさか天井すらも通路になっているとは……。
「なんだっけかエッシャーの迷宮だったか?」
そんな絵画があったような気がする。
今目の前に広がっているのはまさにそんな光景だ。
これも魔法技術の一端なのだろうが、そうとなるとイーグレット側に公開されてる魔法技術はほんの一部にしか過ぎないことを痛感させられる。
「そこまでして隠したいかねぇ。魔法って……」
アナハイドは片っ端から部屋に入り目ぼしい書物や資料を物色していく。
職員が不在であれば手に取ってじっくりと。
職員が作業しているなら掃除しながらちらりと。
幸いこの手の捜査は慣れてるだけあって一瞬見ただけでも頭に叩き込むのは容易だった。
だとしても目に入るのはこの国での問題、もしくは今後のイーグレットとの関係構築の計画などだ。
特に目立った情報はない。
だが必ずこのどこかにあるはずだ。
白い箱、もしくはハイネルがどうしても隠したい情報が。
「おい君」
「は、はい!」
唐突にアナハイドは声を掛けられ、出来うる限りの営業スマイルで振り返った。
そこにはなんだか妙に機嫌の悪そうな職員が立っていて——
「下層ばかり掃除してないで上層も掃除してくれよ。高い金払ってやってるんだからさ、頼むよ」
「へ、へぇ……」
そう言って指差されたのは天井。
天井というか上層階か。
天井を歩く人たちのように清掃員もあの場所に行けるということだろう。
だが、アナハイドはあの場所にどうやってたどり着けるか分からない。
もしかしたらこの清掃業者は壁に張り付く魔法、もしくは重力に関係する魔法でも極秘裏に教えてもらってるのか?
だとすれば高い金を払っているといった理由にも理解できる。
信用できる外部企業には多額の報酬と魔法を。
その代わりに絶対に外に大使館内の情報を漏らさない事。
恐らくそれが条件なのだろう。
アナハイドがここまで掃除する中で見た限りでは外部からの支援業者はこの清掃業者だけだ。
「頼むからね、まったく」
「す、すいやせん……」
とりあえず平謝りして去り行く職員に頭を下げる。
(ふむ、侵入者対策として機密文書の類は上層階にある、か?)
だとすればアナハイドが今まで通った場所に目ぼしい情報がない事にも頷ける。
だが、そうなると困った。
この大使館は普通の通路らしい通路はなく、この広い空間には入り組んだ階段と重力を無視した通路しかない。
少しでも壁を登れない姿を見せると瞬間的に疑いの目が向けられるはずだ。
目立たない場所となると部屋の中か、もしくは——
「へ、へへ。ちょいとトイレ……」
カートを置いてアナハイドはトイレへ向かう。
部屋は誰かが入ってくる可能性が高い。
一人の清掃員を清掃員のロッカーの中に押し込みはしたが、これ以上あの場所で誰かを誘い込んで襲うのも、ここまで掃除する中でかなりの時間が掛かったしリスクが高い。
となると、ここで適当な職員を脅して魔法を教えてもらう。
果たして、上手くいくかどうか……。
個室トイレに座りながらアナハイドはその時を待った。
まあ少しすれば小便のために職員が入ってくるわけだが——
(人間、便所の瞬間が一番油断しやすい。どんな優秀なバケモン相手でもな)
じょろじょろと小便の音が聞こえた瞬間、アナハイドはそーっと扉を開き——
「イグニスバーナー」
人差し指からバーナーのような炎を展開し、職員の背後から羽交い絞めにした。
「な、なんだ!?」
「おっと動くな」
ぎょっとする職員の首元にじりじりと焼き付けるバーナー。
悲しいことに小便は止まらず出しっぱなしだ。
尿切れが悪くじょろりじょろりと小刻みに排泄されてる姿は少し可哀想だとは思う。
「お、お前!? 侵入者か?」
「質問するのはこっちだ。お前はただ聞かれたことに答える、もしくは教えてくれるだけで良い」
男の両手を見ると、都合よく薬指に指輪が付けられていた。
まだ新品同然の指輪。
男の年齢は若く新人職員かもしれない。
どうやら新婚であるらしくアナハイドはニヤリと笑った。
「お前も無事に家に帰りたいだろ?」
「ぐっ……」
「それともなんだ? 嫁を一人残してあの世にでも行きたいか?」
「脅しに屈しはしない。俺はハイネリアンの魔法使いだぞ、その手には——」
「ほぉ。なら嫁を焼くか?」
「!?」
アナハイドは男のズボンからスマホを取り出し、顔に画面を向けてロックを開いた。
「だめだなぁフェイスロックに設定してちゃ……。こんな風に簡単にロックを開かれちまう」
便利な世の中の弊害。
もしパスワードだけの設定であればこうはいかなかっただろう。
如何に魔法世界から来た異世界人であっても地球側の科学技術の便利さには敵わないと見える。
アナハイドはスマホを操作してアプリの中にある通販サイトのページを開いた。
おあつらえ向きにパスワードすら自動入力されるようになっていた。
「住所は、ベルスト通り1番街……ねぇ?」
「つ、妻に手を出してみろ! 俺は絶対にお前を許さないぞ!」
「そりゃ、お前が生きてたら、の話だろ?」
バーナーを近づけ首を少し焼いてやる。
男は焼かれた痛みに思わず顔を歪めた。
「聞いたことに対して教えてくれりゃ愛する嫁さんに手は出さない。約束してやる」
「ほ、本当だな……」
「ほんとほんと、俺嘘つかなーい」
「……わかった」
(ちょっろ。まあこの手が通じるのはこいつが最後だな)
「まず俺が聞きたいのは——」
そこからアナハイドはあのエッシャーの迷路の歩き方、それに必要な魔法について聞き出した。
ついでにこの職員自身、何か知ってることが無いかそれとなく探りを入れてみたが何も知らないようだった。
新婚ではあるが新米ではないらしい。
だがしかし、大使館の中を自在に歩ける術を手に入れたのは僥倖。
アナハイドは職員の首に手刀を当て気絶させた。
これでしばらくは起きることは無いだろう。
どれだけ魔法が発展したとしても人体に大きな差が生まれることは無い。
故に魔法も基本元素が便利で強いわけだ。
特に炎は良い。
焼き切ることも、人を気絶させることも、空ですら飛べるのだから。
アナハイドは職員を拘束して個室トイレに押し込んだ。
(さて、残された時間は少ないぞ)
いかに気絶しようが目覚めるまでそう時間はかからない。
調べるべき場所は上層階。
アナハイドは急ぎトイレから出て掃除カートを押して教えてもらった重力魔法で上層階に上がるのだった。
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