番外編18 エルゼノエルの微笑(ラザロス編⑥)
その日、イザベラは酷く緊張していた。
「私やっぱり……」
「イザベラ様、落ち着いて下さい」
取り乱すイザベラにラザロスが気遣わしげな視線を向ける。
邪竜討伐後にプロポーズやら、両家の両親への婚約の報告やら、ヴィオレッタとユーリマンの挙式やら色々とあったが、五公爵家が揃ってキャサリンの買った国に移住することとなり、今は一度荷物を纏めるためにラッセル国内のユリーナ公爵領に戻っている道中だ。
数日かけての旅程だったが、今日中にはイザベラの実家であるリリアーヌ公爵邸に到着する見込みだ。
決して良い思い出ばかりではないものの、十年近い年月を過ごした魔塔を離れ、ラザロス自身も複雑な心境だった。
しかし、イザベラが不安がっているのはそのことではない。彼女はこれから、自分の弟との初対面になることに心乱されているのだ。
イザベラには現在、四つになる弟がいる。
イザベラとは十三歳差で、彼はまだ幼く体が弱い事もあり、領地を出たことがない。
一方、イザベラは八つの時に魔塔に入って以降、王都を出たことがなかった。つまり、今日が二人の初対面となるはずなのだ。
自分の顔立ちがきつく、悪女面であると思っているイザベラは、まだ年幼い弟が自分を怖がるのではないかと危ぶんでいる。
度々風邪を引いて部屋に篭もりがちの生活をしていたせいか、聞くところによると彼女の弟は人見知りらしい。
らしい、というのはラザロス自身もイザベラの弟に会ったことがないからだ。
こればかりはラザロスにもどうしようもない問題で、うまく行くことを祈るしかない。
「イザベラ様、ラザロス様。到着しましたよ」
軽く車体が揺れて止まった後、御者が声を掛けてくる。あれこれ考えている間に公爵領についてしまったようだ。
「イザベラ様、私がついています」
「え、ええ……」
所在なさげなイザベラのしおらしい姿に可哀相だと思いつつも、不謹慎にも庇護欲を掻き立てられたラザロスは雑念を振り払うように頭を振ると、イザベラの手を取った。
「お帰りなさいませ」
「ご婚約おめでとうございます」
玄関ホールに一歩足を踏み入れると、階段の両脇に控えた使用人たちが次々に声を掛けてくる。
「イザベラ様。長い間のお勤め、本当にお疲れ様でございました。それにこんなに美しく、ご立派に成長されて……」
目に光るものを浮かべながらイザベラに深々とお辞儀をしたのは家令だった。
記憶にある彼の姿よりも目の前の彼はだいぶ老けており、肌に刻まれた皺が長い年月を感じさせる。彼が小さくなったように見えるのはラザロスが大きくなったからだろう。
記憶と変わったもの、変わらないもの。色々なものがこの場には混在している。
辺りを見回し、ラザロスは目的の人物らしき姿を見つけた。彼は世話係なのだろう侍女の背に隠れ、顔だけを出してこちらの様子を窺っている。
身形や顔の特徴から言って、彼がイザベラの弟・エルゼノエルだろう。
ラザロスが彼を見つけたのとちょうど同じタイミングでイザベラも彼を見つけたようで、一瞬イザベラの顔が強張った。
「ほら、坊ちゃま。ご挨拶なさって下さい」
「エ、エレナ! 僕、まだ……」
エレナというのは彼が縋りついていた侍女のことだろう。
侍女に背中を押された彼は、イザベラの前に飛び出し、たたらを踏みながら立ち止まった。
「え、えっと……。ね、姉さまなの……?」
「貴方がエルゼノエルなの……?」
二人とも、最初のひと言は疑問系だった。そして二人ともが揃って頬を赤く染めながら互いの姿を見つめている。
「は、初めまして。エルゼノエル・リリアーヌと申します」
「イザベラ・ヴィンス・リリアーヌ。貴方の姉よ」
「やっぱり姉さまだったんだ!」
緊張の面持ちで自己紹介をしたエルゼノエルだったが、彼の姉が名乗り返すと、パッと明かりがついたかのように笑顔になった。
「みんなが姉さまは、一番強い魔法使いだから、お国を守る大事なお仕事をしてるって。そのお仕事が終わったら、僕に会いに来てくれるって、父さまと母さまに聞いたんだ。僕に会いに来てくれたってことは、お仕事が終わったんだよね?」
「え? ええ……」
イザベラを見上げるエルゼノエルの目には、憧憬の念が見て取れ、恐怖や嫌悪の感情など微塵も感じられない。
一方、思ってもみない感情を向けられたイザベラは、全身で戸惑いの感情を表現していた。
「ね、姉さま……?」
「な、何かしら?」
意外にも弟のエルゼノエルがペースを握る形で落ち着き始めた姉弟の初の邂逅だったが、急に下を向いてもじもじとし始めたエルゼノエルに、イザベラが目に見えて狼狽える。
「ハ、ハグをしてもらってもいいですか?」
「……っ」
弟のお願いに、イザベラは胸を押さえてよろめいた。
その様子からラザロスは、彼女が早くも年の離れた弟にハートを撃ち抜かれたことを察する。彼女は可愛いもの好きなのだ。
さすがはイザベラと同じ父母から生まれた子と言うべきか、エルゼノエルの顔も恐ろしく整っている。まるで天使のようだ。
抱きしめやすいように膝をついて、怖々と姉が弟に触れると、弟の方はぎゅっと力いっぱい抱きついてイザベラの肩口に顔を埋めた。
「……エルって呼んでください、姉さま」
イザベラの耳元で囁いたエルゼノエルの言葉を、ラザロスは聞き逃さなかった。
天使のようだと先程は思ったが、小悪魔かもしれないとラザロスはさらに頬を紅潮させるイザベラを横目に思う。
人見知りとは何の事だったのか?
そんな疑問がラザロスの頭をよぎった時、イザベラに抱きついたままのエルゼノエルと目が合った。
「お初にお目にかかります、エルゼノエル様。イザベラ様の侍従のラザロス・ミカ・オベールと申します」
リリアーヌ家に仕える騎士として。また子どもと接する姿勢として自然に膝を折り、名乗り出たラザロスの言葉にエルゼノエルはきょとんと首を傾げる。
「違うでしょ。ラザロスは姉さまの恋人でしょう? それからラザロスは悪者の竜を倒した勇者だって」
今度はラザロスがエルゼノエルに一本とられる番だった。四歳の子どもの言葉だが、先日求婚したばかりのラザロスには効果てきめんだった。
何人かに婚約の報告を済ませたことで、『婚約おめでとう』には耐性があったが、『恋人』と呼ばれたのは初だ。
自分の体温がカッと急上昇したのをラザロスは自覚した。
「だ、誰に聞いたの?」
「う〜ん、ナイショです。えへへっ。それより、ラザロス。竜をやっつけた時の話を聞かせて」
ラザロスよりも慌てた様子のイザベラがエルゼノエルに小声で問うが、弟は無邪気に笑って姉と未来の義兄を翻弄するのみだった。




