番外編15 リベラの求婚3(リベラ編⑪)
不意に影が差して、唇に何か柔らかいものが押し当てられる。
キャサリンに口づけられているのだと理解した途端、リベラの頬はカッと燃え上がった。
目の前にある長い睫毛がふるりと震えて、微かにリップノイズをさせながらキャサリンの顔が離れる。
「リベラ、うるさい」
「はい、すみせん……」
不満げに睨みつけてくるキャサリンにリベラは惚けたままうわ言を口にするように謝った。まるで猫だましにでも遭ったかのような気分だ。
恐ろしく頭の回転の鈍ったリベラは、馬鹿みたいに先ほど口づけられた時のほんの数秒の光景を脳内で繰り返し再生する。
睨まれても全く恐ろしくないどころか、今のリベラにはキャサリンが子猫のように可愛らしく見える。
現実にしてはあまりに都合の良すぎる展開に恐怖を覚えて、膝に置いていた右手で自分の太腿を強めにつねってみたら、しっかりと痛みを感じた。
どうやら夢ではないと嬉しく思いながらも、リベラは太腿をつねった右手で口元を覆った。今の表情はとても人に見せられたものではない自覚がある。
ちらりと隣に座ったままのキャサリンを見れば、彼女は何事もなかったかのように読書を楽しんでいる。
キャサリンは単なる口封じのつもりだったのだろうか?
それなら今の状況は彼女の狙い通りで、右手の下でリベラは思う存分口元を弛ませながら、言葉を発することなく一人で物思いに耽っている。
キャサリンといえば髪がフワフワのイメージだが、唇もふにふにとしていて柔らかかったなと、リベラは口づけの感触を思い出していた。
やがて軽く後ろに体を引かれるような感覚がして、馬車は静かに止まった。
「リベラ、着いたわよ?」
キャサリンに声を掛けられてハッと我に返ったリベラは、先に降りてタラップの横に立ち、手を差し出して彼女に手を貸す。
「皆さん、ごきげんよう」
「まあ、あれはキャサリンの馬車だったのね」
先に会場入りしていた面々にキャサリンが挨拶をし、彼女がジャスミンと馬車について話している傍らで、ジャスミンの横に控えていたグレイが怪訝そうな顔つきをしてリベラを見つめ、口を開いた。
「リベラ、お前、顔が赤いけどどうしたんだ?」
「う、うるさい! 何でもない!」
恋愛音痴のくせにこういう時ばかりどうして気付くんだと、身勝手な怒りを抱きながらリベラは顔を逸らす。
赤みよ、引いてくれと心の中で唱えながらも、グレイに対して自分の発した『うるさい』という単語をきっかけに、可愛く睨んでくるキャサリンの姿を思い出して、リベラの中の火が再燃する。
「ユーリマン、君、随分顔色が良くなったね」
「ああ、最近は規則正しい生活をしているからな」
「あら、見て。ラザロスが出てきたわ」
リベラが自分から話題を逸らすべく苦し紛れに、後から到着したユーリマンの顔色の話をしていると、新郎のラザロスが会場に姿を現した。
続いて花嫁のイザベラがバージンロードを歩いて登場する。
皆が新郎新婦を見守る中、リベラは二人の誓いの言葉を聞きながらもうわの空だった。
隣のキャサリンに視線を奪われてはハッと我に返って、新郎新婦に視線を戻し、しかしまた衝動に抗えずにキャサリンを盗み見ては視線を逸らす。
読書ルームでリベラがいつも目にする横顔とはまた違う、穏やかな表情を彼女は浮かべていて、ダメだと思いながらも、もう一度だけ、もう一度だけとリベラはキャサリンを見ずにはいられない。
だからこそ、ラザロスとイザベラが誓いの口づけを交わし、晴天に鐘の音が響き渡ったその瞬間、キャサリンの目にキラリと光るものが浮かんだのをリベラは見逃さなかった。
ワ~ッという歓声とともに、二人の成婚を祝福する拍手が巻き起こる。
そんな中、リベラは自分の懐に手を差し込み、ここしばらくずっと持ち歩いていたソレをぎゅっと握り締めた。
*****
行きとは打って変わって静かな帰りの道中。
やはり読書に勤しんでいるキャサリンをリベラはじっと見つめていた。
風に煽られたのか、結い上げた髪が少し緩んで首筋に後れ毛が慎ましやかに見え隠れしている。
式の後、イザベラと対面したキャサリンは自分のことのように喜んで頬を綻ばせながら祝福の言葉を伝えていた。
それだけ、キャサリンにとってイザベラが得難い存在であり、また彼女の置かれた境遇を思い、気にかけていたのだろう。
また、短くない侍従生活の中でリベラがキャサリンの涙を見たのは初めての事だった。
ユーリマンとヴィオレッタの結婚の際も、キャサリンは心の底から喜んでいたとリベラは思っているが、あちらはユーリマンと結託して新聞記事にまで出させて参列者を集め、出来る限り盛大に執り行ったせいで気の緩む暇がなかったのかもしれない。
今日一日で見たキャサリンの色々な姿を一つひとつ脳裏に思い描き、目の前のキャサリンを真っ直ぐ見据えたままリベラは懐に収めたソレをもう一度、願いを託すように手のひらに握り込んだ。
邸宅に辿り着き、リベラは馬車を降りると昼間と同じようにキャサリンの手を取る。
「ありがとう、リベラ」
足を踏み外すことなくタラップを降りたキャサリンが礼を述べ、もう大丈夫だと言う。
しかし、リベラは手を離さなかった。
「キャサリン様、行きましょう」
「えっ?」
疑問の声を上げるキャサリンの手を引いてリベラは走り出す。
沈みかけた陽の光が、彼らの足元に長い影を落としていた。




