第25話 騎士と元暗殺者(ラザロス編⑤)
謁見を終え、魔塔に戻ったラザロスは真っ直ぐにイザベラの寝室に向かった。
そっと物音を立てないように部屋に滑り込み、イザベラの眠る寝台へと慎重に歩み寄って端の方に腰掛ける。
さいわいなことに、イザベラはぐっすりと眠っているようだ。
ラザロスの手が躊躇いがちに伸びて、寝台に広がるイザベラの濃紫に触れる。指先で絹糸のように滑らかな感触を味わった後、ひと房だけ指に絡め取り、唇を寄せる。
すると彼女の髪からふわりと漂ってきた百合の花によく似た香りがラザロスの鼻先を擽った。
こんなに深く寝入るほどにイザベラは国のために尽くしているというのに、国民の間で悪い魔女と噂されていることに彼は密かに胸を傷めていた。
その噂がイザベラ自身の耳には決して入らぬように、彼は常に細心の注意を払っている。
「んっ……」
名残り惜しい気持ちでラザロスが髪を離し、彼女の胸元が少し肌けているのを認めて正そうとすると、イザベラが身動ぎをする。
慌てて手を引っ込めようとしたラザロスだったが、僅かに反応が遅れたためにそれは起こった。
寝返りを打ったイザベラがラザロスの手を取り、彼の手のひらに子猫のように頬を摺り寄せたのだ。そうしてトドメのようにイザベラは心地良さそうにふわりと柔らかく微笑む。
途端にラザロスの全身の血が沸き立ち、頬が熱を帯びる。暗がりの中でも分かるくらいに彼の頬は赤く染まっていた。
「~~~~っ!」
声にならない悲鳴を上げて、ラザロスは激しく悶える。彼の気分的には絶叫しながら外を走り回りたいくらいだったが、イザベラを起こしてしまわぬよう、身悶えしながら懸命に衝動を抑えている。
イザベラの何気ない仕草に、彼は愛しさを募らせるのだった。
*****
たっぷりと一時間ほど身動きの取れないままイザベラの寝顔を堪能したラザロスは何とか気を引き締めて自室に向かった。
旅支度をする為だ。
十年も暮らしていたわりには魔塔の彼の部屋には驚くほど物が少なかったが、邪竜の寝床までは早馬を飛ばしても片道七日ほどかかる。
愛用の剣と身一つという訳にもいかず、また最悪の場合はここに帰って来れない。
そう思って、身辺整理をするかのような気持ちでラザロスが自分の持ち物を片付けながら、旅の荷物を準備していた時だった。
「おいおい、本当に一人で行くつもりかよ」
頭上から突然声がして、ラザロスはびくりと肩を揺らした。
ここは警備が厳重な魔塔で、だからこそそんなことはあり得ないと思いながら彼が天井を見上げると、想像通りの人物の姿がそこにはあった。
「よっ……と」
軽い身のこなしで音もなくグレイはラザロスの目の前に降り立った。
「お前、どうやってここへ……?」
「知らないのか? 世の中のだいたいの建物には設計図って物が存在するんだぜ。それを見れば、警備の穴をついて忍び込むくらいどうってことない。……まあ、そんなもん無くても俺ならどんな難攻不落の城にだって忍び込めるけどな。今回はちょいとばかり急いでいたから、リベラに手を回してもらった」
目を見開くラザロスをよそに、グレイは得意げに語る。そんな彼らの口調は侍従をしている時とは違い、友人同士が気軽に語り合う時のような、砕けたものになっている。
普段はあまりにも侍従業が板についているからこそ誰もが忘れがちだが、グレイは元暗殺者だ。それも腕利きの。
詳しくは知らないが、グレイが今でも現役時代の身体能力を失っていないどころか、どういう訳かより磨きがかかっていることはラザロスもグレイから漂う気配で察していた。
一角の武人たるラザロスをして、実力の底も天井も全く察することができないという時点でジャスミンはもっと恐ろしいが、グレイのことも侮っていると痛い目を見る羽目になる。
ちょっと遊びに来たくらいのノリで忍び込まれては、難航不落の城も形無しだろう。
「そんなことよりお前、どういうことだよ? 俺らにも何も言わずに黙って一人で行こうとするなんて、水くさいんじゃねーの?」
「……そうだな。俺が悪かった」
一転して不満そうに鼻を鳴らすグレイに、ラザロスは素直に謝罪した。
何故知っているのかなど、考えるべくもない。
グレイのことだから、情報通のジャスミンから今回の一件を聞き、謁見の間の物陰にでも潜んでいたに違いない。手引きをしたのは宰相辺りだろう。
「実はラザロス、お前にリベラから伝言があってな。お前に手伝ってほしいことがあるらしい。いつ伝えようか迷っていたんだが、まさかお前の用事もヴァレリアス絡みとはな……」
「何だって?」
グレイがジャスミンからの指示で動いているとばかり思っていたラザロスだったが、今回は違ったらしい。
頼み事とはいったい何なのか? それに邪竜絡みとは?
いくつもの疑問がラザロスの脳内を駆け巡る。
「どうだ? 少しは話してみる気になったか?」
ニヤリと口の端を吊り上げ、意地の悪い笑みを浮かべるグレイに、ラザロスは両手を上げて降参するしかなかった。




