第19話 水も滴るいい男(ロジェ編④)
「申し訳ございません」
皆が注目する中、ロジェははっきりと拒絶の言葉を口にした。こういったことは、曖昧な返事をして期待を持たせるべきではないと心得ているからだ。
「……え?」
「ですから、お誘いはお受け出来ません」
「何故ですか!? 美しいと仰って下さったではないですか!」
「貴女と僕とでは背丈が合いませんよね」
諦めきれないというように両サイドでゆるく結わえた髪を揺らしながら迫るシャルティアに、ロジェは至って冷静に対応する。
身長が合わないというのは、誰しもが納得せざるを得ない理由だった。ロジェの身長は男性の平均よりやや高めなくらいだが、シャルティアはかなり小柄な部類で、手足も短い。
正しい姿勢でホールドが出来ないとなれば、技術でカバーするにも見栄えという意味で厳しくなってくる。
その点、ロジェとエカテリーナは理想的なバランスの身長差で、先程見事なダンスを披露している。比較するのが酷というレベルだが、どうしても頭の中でチラつく分には仕方がない。
「でも……!!」
「それに、僕はエカテリーナ様以外と踊る気はありませんよ。僕はあくまでエカテリーナ様の侍従で、信奉者で、鏡で、差し色ですから」
「くっ……」
諦めの悪いシャルティアに、ロジェはダメ押しのように告げた。
さすがにここまで言えば諦めてくれるだろうか?
そんな期待を込めて観察すると、シャルティアが両の拳を握りしめてわなわなと震えていることに気付いた。
そして彼女は今の今まで存在を無視していたエカテリーナに顔を向けた。
「貴女がいるからっ。貴女さえいなければっ……!」
これはマズイ、とロジェは直感する。顔がはっきりと認識出来なくても、シャルティアがエカテリーナを憎悪のこもった鋭い眼差しで睨みつけているだろうことが容易に想像できた。
何をしでかすのだろうか?
目を逸らさず観察を続けていると彼女はドリンクのトレイを持ったウェイターにツカツカと近付き、無言で赤ワインのグラスを手に取る。そのまま踵を返すと、エカテリーナの方に向かって勢いよく中身をぶちまけた。
――バシャッ。
派手な音と同時に、周囲で遠巻きに見ていた者たちが一斉に顔を逸らしたり、目を瞑ったりする。
「なっ……!?」
シャルティアが小さくうめき声を上げ、彼女の手から滑り落ちたグラスが音を立てて割れた。
「お嬢様、お怪我はございませんか?」
「え、ええ。貴方のおかげで平気よ」
「お嬢様がご無事で何よりです」
エカテリーナの無事を確認してにこりと微笑むロジェの顔と胸元は、紅く濡れていた。
シャルティアがワインをぶちまけた瞬間、彼は咄嗟に一歩前に進み出て背中にエカテリーナを庇ったのだ。
「貴方、避ける事も出来たはずよね?」
「それではお嬢様が濡れてしまいます。ワインを被ったところで、お嬢様の美しさが損なわれることはございませんが、せっかくのお召し物が汚れてしまいますので。今日のドレスはキャサリン様の見立てというだけあって、とてもよくお似合いです」
「そう。でも貴方は濡れてしまって良かったの?」
何故避けなかったのかと訊ねるエカテリーナにもロジェは淡々と答えているが、説明する間にも彼の藤色の髪からポタポタと雫が滴っている。
「ええ。東方の国には、『水も滴るいい男』という言葉があるそうですよ?」
額に張り付く濡れそぼった前髪を無造作に掻き上げながら妖艶に微笑むロジェはワインと同じ、紅い瞳をしていた。
事の成り行きを見守っていた周囲の人々が、老若男女を問わず息を呑んでロジェに見とれ、時が止まってしまったかのようだ。
その中でただ一人、エカテリーナだけがクスリと口許を押さえながら笑みを零す。
「そうね。今の貴方は何だかいつもより刺激的で、とっても魅力的だわ」
「お気に召していただけたようで」
「そのままエスコートしてもらえないのが残念ね」
「誰か! ヴァンハラ子爵令嬢を捕縛しろ!」
のんびりと二人だけで会話を交わすエカテリーナとロジェの後方ではようやく騒ぎを聞きつけた城の衛兵たちがバタバタと動き出していた。
「いやっ! 痛いじゃない。離して!」
「うるさい、大人しくしろ!」
「捕まえたらそのまま牢に放り込んでしまえ」
駆け付けた衛兵にシャルティアは後ろ手を掴まれ、暴れているところを床に押さえつけられた。
今夜の夜会の主催者にとってはシャルティアは厄介者に他ならなかった。とんだ迷惑だ。ここで迅速かつ誠意ある対応を見せなければ、フィオル公爵家、そしてユリーナ公爵家を敵に回しかねない。
社交界の中心人物として流行を操るフィオル一族と、財界のトップに君臨するユリーナ一族に睨まれても平気な者など、この場には皆無だった。
「皆様。申し訳ございませんが、わたくし達はこれにて失礼させていただきますわ」
エカテリーナの声を合図にざっと人垣が左右に割れ、ホール出入口まで続く道が作られる。
「それでは皆様。どうぞ、続きをお楽しみ下さいませ」
揃って優雅に一礼したエカテリーナとロジェは、手に手を取り合って夜会の会場を後にした。




