第15話 本の価値(リベラ編⑤)
「それで、貴女はいったいどなたなのかしら?」
ジャスミンが先程乱入してきた女性に問いかけた。
周囲の目もあるということで、たまたま近くを通りかかったジャスミンの家が近いということで、現在はレヴィオール邸に場所を移している。
グレイにキャサリンたちを部屋に案内するよう指示をした後、一度姿を消したジャスミンは何故か真っ赤なドレスに着替えていた。
それを見たグレイが、『血飛沫対策ですね』と言い、ジャスミンと微笑みを交わしていたがあれはどういう意味だったのだろうかと考えながらも、リベラは正体不明の女性に注目する。
「私の名前はネモネ・デラホーフ。デラホーフ商会の会長が私のパパよ」
「デラホーフ商会と言えば、最近規模を拡大している商会ね。会長は昨年陛下より男爵位を賜っていたはずよ」
「そうよ。うちのパパはすごいんだから!」
胸を反らしてネモネは誇らしげに笑う。
ジャスミンの説明を聞いて、リベラは納得の表情を浮かべていた。
身に着けているものはどれも上等な品だが、どうも立ち居振る舞いや言動が町娘のそれにしか見えなかったのだ。
昨年貴族になったばかりの新興貴族の娘であればそれも頷ける。
「それで、おいくらで例の本を売ってくださいますの?」
「ですから、あれは贈り物……」
「いくらでも宜しくってよ」
「ちょっと、勝手に話しを進めないでよ!」
場所を移してもキャサリンの関心は本のみに注がれているようだった。
面倒な前置き無しにさっさと欲しいものを手に入れるつもりらしい彼女は、言い値で買うと言ってクリストフェルの反論を切り捨てた。そこにネモネが憤慨した様子で口を挟んでくる。
「花の五侯爵令息様と言えば、貴族のご令嬢のみならず年頃の女の子皆が憧れる存在よ。それなのに、四人も独り占めなんてズルいに決まってるわ」
「あら、でも私からお声掛けしたわけではなくってよ?」
「だから余計ムカつくんじゃないですか!」
語気を荒げるネモネに対し、とんだ言い掛かりだとリベラは眉を顰めた。
ネモネは何かしらの情報網を介して今回の求婚騒動を知ったらしいが、キャサリンにしてみれば、勝手に舞い上がって求婚してきたのを乗り気では無いからと断っただけだ。それを責められるなど、筋違いもいい話だ。
後々になって、あの日の訪問は事前に連絡があり、キャサリンが日時を指定して決めたとリベラは聞かされていたが、キャサリン側の落ち度といえば面倒くさがって面会の日程をすべて被せて返事をしたことくらいだろう。
「でもお断り致しましたわ。その後、彼らが何処のどなたと婚姻を結ぼうと、私には関係なくってよ」
「だ・か・ら! 誰もが憧れる花の侯爵令息様から求婚されたのに、あっさりと振ってしまうなんて酷いと言ってるんです! クリストフェル様たちが可哀想じゃないですか!」
「でも、四人全員の求婚をお受けすることは出来ませんわよ?」
「あ〜、もうっ!」
「何が仰りたいのかしら?」
「私には求婚されたのが自分じゃないことに彼女が腹を立てているようにしか見えないわ」
困惑の表情を浮かべるキャサリン。そんな彼女を援護するかのようなジャスミンの発言にネモネは顔を真っ赤にした。どうやら図星のようだ。
「あら、それなら彼女に求婚して差し上げれば宜しいのではなくって?」
「嫌ですよ!」
そんな単純な事だったのかとさも名案のようにキャサリンがネモネへの求婚を迫ると、クリストフェルは拒絶の言葉を発してブンブンと大きく左右に首を振った。
自分に求婚にきた男性に他の女性を薦めるだなんてあんまりだと、リベラは恋敵にも拘わらずクリストフェルに同情を覚えた。脈が無いにしても、もっと相手を傷付けない断わり方があるだろう。
「とっ、とにかく、人の恋心を弄ぶような方にクリストフェル様の婚約者の座は相応しくないわ! だから、あの本は私が買うの」
「あら、それは困るわ。だってあの本はまだ読んだことがございませんもの」
「それならどっちがあの本を買うに相応しいか勝負よ」
「受けて立ちますわ」
自分の勝利を信じて疑わないネモネを、キャサリンは面白いものでも見つけたかのうような目で見つめた。
「私ならあの本に金貨五十枚出せます」
「それなら私は千枚に致しますわ」
「二千五百!」
「一億」
「ぐぐぐっ……一億一千!」
「五億」
刻んでくるネモネとは違い、キャサリンはまだるっこしいとばかりに一気に値段を吊り上げる。
負けを悟ったネモネは歯の間から絞り出したような唸り声を上げるばかりだった。
「まだ足りませんの?」
追い打ちをかけるかのように、キャサリンは冷たい笑みを浮かべた。
*****
「キャサリン様、お茶をお持ちしました」
「ありがとう」
レヴィオール邸から帰宅後、キャサリンは読書部屋に真っ直ぐやってきていた。顔を向けずにリベラにお礼を述べる彼女の手には例の本『黒竜と聖女』が握られている。ちょうど今読み始めたらしい。
結局、五億でキャサリンが買い取ることになると、ネモネは『べ、別にそんな本なんて欲しくもなかったんだから!』と捨て台詞を残し、クリストフェルは『銀貨二十枚が金貨五億に……』とうわ言のように呟きながら、生気の抜けた顔で去っていった。
暇乞いの際に、ジャスミンとグレイは『面白いものを見ることが出来て愉しかったわ』『お嬢様が動かれるまでもなかったですね』とそれぞれ感想を述べていた。
リベラはスツールにティーカップを置くと、窓を背にして座るキャサリンの隣に静かに腰掛ける。
静まり返る部屋の中、ドーム状に設計された天井にはキャサリンが本のページを捲る音だけが響いていた。
リベラは読書中のキャサリンの横顔を眺めるのが好きだった。長い睫毛の間から見える桔梗色の瞳やすっきりとした顎のラインが美しい。
ユーリマンに助力を申し出た手前、のんびりとばかりしているわけにもいかないのだが、悪魔をも魅了するとはよく言ったものだ。
いつまでも眺めていたいと思う反面、こちらを振り向いて欲しいとも思う。
そうして暫しの間流れる穏やかな時間は、今日の買い物を乗り切った自分へのご褒美だとリベラは密かに思うのだった。
しかし、平穏とは長くは続かず、試練というものは続けざまにやってくるものだ。
「思ったよりもつまらなかったわ」
パタンと本を閉じ、たった二分程で読み終えたらしいキャサリンはポイっと本を放り投げる。
「お嬢様!? 嗚呼、五億の本が……」
何年も公爵家で過ごしながらもその金銭感覚に染まりきれないリベラは、二分でキャサリンの関心を失った本を慌ててキャッチすると自分も後で読もうと心に決めたのだった。




