第10話 悪夢(ユーリマン編⑤)
茶会を抜けたユーリマンは、真っ直ぐに書庫に向かった。何度も訪れた事があるせいか、広い屋敷の中、案内が無くとも迷うことはない。
部屋に入ると、書庫特有の古紙とインクの匂いがユーリマンの鼻腔を擽る。
各地の伝承や民俗学、薬学、戦記など、この書庫には様々な文献が所蔵されており、その数は数万冊に及ぶ。もはやその規模は書庫と言うよりも、図書館に近い。
この書庫はキャサリンの祖父にあたる前ユリーナ公爵が、キャサリンのために建てたもので、ここに置かれているのは全て彼女が読み終わった本だ。
ここは社交シーズンに合わせて滞在するためのタウンハウスだが、公爵領にはさらに大きい書庫を持っていると、以前リベラがユーリマンに語っていた。
棚から本を何冊か抜き取ると、ユーリマンは窓際に設置されたテーブルにつく。
ユーリマンが度々キャサリンの書庫を訪れるのは、ヴィオレッタの体質を無効化し、普通の人間に変える方法を探す為だ。
今のところ、手がかりらしいものは掴めていない。最初の頃は薬学の本を中心に目を通していたが、近年は民話や伝承の類いにまで手を拡げている。
それでも何年も何の手がかりも得られていない事にユーリマンは焦燥を感じ始めていた。
「くっ……」
急に視界がぐにゃりと歪み、低く呻き声を上げる。
何日も殆ど寝ていない上に、ここ数日の老け薬騒動でユーリマンの体は疲れ切っていた。
眼鏡を外してテーブルの上に置くと、目を閉じて目頭を右手で摘むようにして揉みほぐす。
眩暈のする感覚がなかなか収まらず、そのまま目を閉じているとキーンと頭に響く耳鳴りがユーリマンを襲い始めた。
*****
「ねえ、まだ諦めないの?」
幼い姿のヴィオレッタがユーリマンに問う。年齢にして五、六歳くらいだろうか?
ユーリマンは静かに首を振る。
「本当は貴方だってわかっているんでしょう? 方法なんて見つかりっこないって」
「そんな事はない」
声に出して否定しなければ、本当に見つからなくなるような気がして。ゆっくりと、目の前の少女ではなく、自分自身に言い聞かせるようにユーリマンは言う。
「ふ〜ん……。でも、もう手遅れだよ?」
「どういう意味だ?」
「だって、ほら」
――あそこ。
ユーリマンの返答をつまらなさそうに聞いていた少女が指差す方向を振り向くと、彼の表情は凍り付いた。
床に横たわる十五歳のヴィオレッタ。彼女の胸には深々とナイフが突き立てられ、辺りには真っ赤な血溜まりが出来ている。
「ヴィオレッタ様!」
鋭く叫んでバタバタと駆け寄り、彼女を手を取る。人肌に触れているというのに指先に温度が感じられないことにユーリマンの心に焦りと不安が募る。
「どうしたの? そんな顔をして」
刺されているというのに、ヴィオレッタの表情は穏やかだった。
「お嬢様、今お助けします。だから……」
「いいえ、いいの。このままで」
「いけません!」
「私、疲れちゃった」
ヴィオレッタの顔を涙が伝い、血溜まりに落ちて結晶化する。
それを合図にするかのように、ヴィオレッタの身体は足先からさらりさらりと崩れ始め、ユーリマンの手には灰だけが遺った。
*****
「……マン、おい、ユーリマン!」
「……ハッ、くっ……!」
大きな声で自分の名前を呼ばれ、ユーリマンがハッと我に返ると、そこはキャサリンの書庫だった。
眩暈が落ち着くまでと思い、目を閉じていたらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。
彼が声のした方を振り向くと、リベラとグレイ、ラザロスの三人が心配そうな顔をして立っていた。
先程からユーリマンを呼んでいたのはリベラだ。
「お前、すごい魘されてたけど、何があったんだ?」
「……いや、なにも……なかった」
「何もなかった訳ないだろ! 何だよ、この汗は!」
掠れ声で答えるユーリマンに、リベラは納得がいかない様子で怒鳴る。
指摘されてはじめて、ユーリマンは自分が水浴びでもしたかのように濡れている事に気付く。
「ハッ、ははっ……」
自覚している以上にボロボロな状態の自分の姿に、ユーリマンはただ苦笑する。
「お前が何も言わねーって決めたなら、俺からは何も言わない。だけど、アレは確実にお前の身体を蝕んでいる。お前が死んでしまったらヴィオレッタ様はどうするんだ?」
「その時はグレイ、お前かジャスミン様にお願いするしかないな」
「それを、ヴィオレッタ様が望むと思うか?」
グレイの問い掛けにユーリマンは押し黙る。
彼の事情は、グレイにはとっくにバレていた。初めて会ったその日に、ユーリマンから微かにする残り香でロウソクの使用に勘付いたのだ。
薬に詳しく、気配に聡いのはグレイが元暗殺者だからだろう。例のロウソクの件を足掛かりに根掘り葉掘り聞かれ、口外しない約束でグレイだけにはヴィオレッタの秘密についてもユーリマンが明かしていた。
「お前はもう少し、俺たちを頼るべきじゃないのか? お前が何かを抱えているのは、ずっと前から知っていた」
「ラザロスにもバレていたのか……」
上手く隠せているようで、隠し切れていない自分を呪いながらも、知っていて今まで黙って見守ってくれていたラザロスに感謝の念を抱く。
「何だよ、気付いてなかったのは俺だけか?」
「ロジェはまだ気付いてないんじゃないか? それに、イザベラ様とエカテリーナ様、それにヴィオレッタ様は気付かないだろう」
訳知り顔のグレイとラザロスを見て、リベラが唇を尖らせると、ラザロスが宥めるようにこの場にいないロジェの名前を口にする。
「そういう問題じゃなくて……。まあ、今はいい。ユーリマン、お前がここに来たり、度々本を借りて帰ったりするのは何か調べ物をしているんだろう? そしてそれがさっき、お前が魘されていたのに関係あるんじゃないか?」
「さすが、キャサリンお嬢様の補佐官殿。鋭い指摘だな。その通りだ」
「だったら、オレはお前の役に立てると思うけど?」
冗談めかして言う余裕が出てきたユーリマンに、リベラはニヤッと笑みを浮かべながら問う。こちらに判断を委ねるような語り口だが、答えは一択しか残されていない事に、ユーリマンはリベラらしさを感じた。
ロジェが書庫に来ないのは彼が茶会中の公女様方の給仕を1人で行なっているから。
……というのは建前で、先にユーリマンの様子を見に行ったリベラの帰りが遅いことから状況を察したグレイとラザロスが、『ボロボロになったユーリマンを見たら絶対に茶化すから』という理由でロジェを置いていった為です。
次回からリベラ&キャサリン編。




