49 開放された町で
半壊している平陽の町の、より被害の酷い南側の空き家を借りて拠点とした呂布一行は、長い野営生活から解放された喜びもあって、少々豪華な食事を取り、できる限り英気を養っていた。久しぶりの酒と床や壁のある寝床に、翌朝には皆の表情が目に見えて明るくなっていた。
が、食べれば無くなるのは当然である。出発時におよそ一月分の食料を馬騰から貰っていたが、節約しながらやりくりしてきたそれも残り数日分、調達は必須であった。
「食べ物が無い!?」
北部、商店街。ほとんどの店が開いていない大通りに曹性の声のみが寂しく響く。
「無いって、全くですか!?」
顔を近づけ叫ぶ曹性の目の前で、ひらひらと力なく手のひらが揺れた。
「…他人に売る分など、残ってやせんよ」
初老の店主は疲れた様子で答えた。
町の北側、大通り沿いで最も大きい店。扉が開いていたので入ってみたが、どうやら店を開けていたのではなく扉が破壊されてなくなっているだけのようだ。質素な棚が並ぶ店内は暗く陰鬱で、どの棚にも商品らしき物は見当たらない。
(…のわりに、どこも壊されてないな…)
曹性達が宿にした町の南部では大多数の建物が倒壊しており、残っているものにも何かしら破壊の痕跡があった。北では物を差し出せば見逃してもらえたのだろうか?そういえば、南に散らかる瓦礫の類には装飾がちらほら見えていたが、こちら側の建物には飾り気がない。
「…もう用はなかろう!?さっさと帰ってくれ」
「あ、すいません!」
ろくに話もできずに追い出された曹性は、店の前で改めて辺りを見回した。通りに並ぶ建物は全体的に古くて小さいが、全壊しているものは見当たらない。南部の悲惨な状態とは明らかに差がある。しかし被害が小さいわりに人の気配は薄く、『賊から解放された開放感』のようなものは一切感じられない。
「なんだかなぁ…」
ボロボロの南部の人達も元気とは言えないが、家の無くなった南部から北部へ移動し生活を立て直そう、という動きを見せていた。家の残る北の方が元気がないのは一体どういうことだろう?見上げた先は曇り空だ。
(…何だか面倒な予感がする…)
食料の調達よりも、さっさと出て行ったほうがいいかもしれない。
「お前ら北の奴らは!賊の手先だろうが!」
「し、仕方ないだろう!そうするより他なかったんだ!」
「やかましい!この大弓は貰っていく!」
「それはここにあったんだぞ!俺のもんだ!」
(……)
北部の町外れ。頭に布を巻き、平服に身を包んで荷物を背負った高順は揉め事の横を見向きもせずに通り過ぎた。取りこぼしの武器の奪い合いか。
戦場で倒れた者の武具は勝者が回収していくものだが、完全というわけにはいかず当然取りこぼしがある。それらを回収するのは現地の人間の権利であり、売れば結構な臨時収入になるため取り合い揉め事はまま起こるものだ。背後の喧騒は続いている。
(面倒だな)
どうやらそれ以前にこの平陽の町は2つに割れてしまっているらしい。賊に従った北部と、滅ぼされた南部。北だけ町が残っているのはそのためか。食料があるとすれば北だが…
高順はさらに北へと足を進めた。
「……見事に何も無いな」
町から少し離れた山中で、張遼はいらつきで目を細めていた。
北部で住民から得た情報によると、賊の食糧はここと、その他数箇所に分けて保管されていたらしい。踏み固められたような平地に、粗末な柵。間違いは無いだろう。
「張遼さん!」
大声に振り向くと、騎馬で駆け寄って来る成廉が少し遠くに見えた。
「…あっちにも同じような場所がありましたけど、同じです!何も残ってないっス!」
叫ぶように報告しながら馬を降り、勢い良く姿勢を正す。
「全部持っていきやがったか…」
「の、ようです!」
先日襲ってきた文醜とかいう青い袁紹軍の将、奴らの仕業である。
「フン、馬鹿共が」
張遼は怒りと共にそう吐き捨てると愛馬に跨った。成廉は勢い良く手を挙げ、
「質問があります!」
「何だ?」
張遼は馬上から面倒臭そうな声で応じた。
「勝った者が兵糧を奪うのは当然ではないのでしょうか!」
聞いて張遼は小さく鼻を鳴らす。
「馬鹿はお前もか。賊だけの兵糧ならいいが、ここには平陽の全食糧が集められていたんだぞ?全部持ち去ってはそれこそ賊と変わらんだろうが」
それでなくても平陽には南北対立の気配があるのだ。その上食糧難では、揉め事に拍車がかかってしまう。
「なるほど!勉強になります!」
この素直な返事は、口に出した部分しか理解してないな。頭の回転は鈍くないが、賢くもない。張遼は改めて成廉の顔を見た。まだ若く、少年の面影が残っている。最年少で徐栄の騎馬隊に入り落伍せずここまで来ているだけでも大したものだ。この上で智を求めるのは贅沢、本物の馬鹿にならなければそれで良い、か。
「よし、引き揚げだ!戻り次第動くかもしれん、皆にそう伝えろ!」
「ハッ!」
駆け去る成廉の姿に、張遼は自分を重ねていた。徐栄の兄貴は、もういないのだ。
町一つで、こんなにややこしいのか。
皆と同じく町へ出ていた呂布は、様々な問題を痛感していた。
目の前では貂蝉が片腕の老人の手を取り、涙を流している。なんでも息子はここで殺され、娘と孫は黒山賊へ売られ、家は燃やされ家畜まで徴収されたという。立ち直れない程の状況の中で、さらに食料も無いのだ。元々町の南部に住んでいた民衆のほとんどが、程度の差はあれ似たような惨状にさらされていた。
状況は相当に悪い。幼少より戦の中で生きる呂布にとってそれは特別ではなかったが、それでも腹は立った。しかも今回は相手が賊の類であり、許せない気持ちも多分にある。戦は、兵だけでやればいいのだ。将兵が戦に命をかけるのに、民が平和に暮らせなくてどうする。
しかし、それでも呂布はそれに慣れているし、もっと言えば呂布奉先は『殺す側』なのだ。気持ちは解る、などと思うべきではない。涙を流す貂蝉を見て、改めてそれを実感していた。
そして貂蝉と共にその惨状に触れることで、様々な問題が目に入りだす。
例えば、同じように南部にいても、北部から逃げてきた人達は多少マシで、家族も共にあるものが多く、家も残っている。これが「被害が少なくて良かった」で済んでいないのだ。先の老人のように甚大な被害を受けた南部住民との間に、溝ができている。共に復興へ、などと言える空気は無い。黒い感情が、両差の間に不安定に浮かんでいる。さらに、北部に残った住民に至っては「賊に従った」とされ、敵視さえされていた。嘘か真か、自分達の分だけ食糧を隠している、という声も聞こえる。
もっと細かく言えば、元南部の者同士、南部へ避難した者同士の中でさえ、その被害の度合い、悲しみの度合いで亀裂が走っていた。部外者とも言える呂布が見ても、それはハッキリ判るほどのものだった。
そもそも平等なワケもなく、それを平等に解決する策があるとは思えない。無論、呂布もそんなものは持ち合わせていないし、自分にそんなことができるとは到底思えなかった。しかしこの状況を良い方向に導く者は必要であり、そのためには家や、人や、ありとあらゆるものが必要であり、そのどれもが、ここにも、呂布軍の中にも無い。
大きく見れば、ただ一つの町が賊に占拠され、開放された、それだけのことだ。そしてそれは、これだけのことなのだ。
見れば、貂蝉と手を取り合い泣いている老人の顔には、悲しみと共に、微かな笑顔があった。涙を流しながら貂蝉に何度も礼を言う老人の周囲で黒い空気が薄れ、ほんの少しでも、気のせいでも、和らいだ空気を感じる。それは、とても尊いものだ。呂布は嬉しかった。これは、自分にはできないことだ。
呂布は正面を見据えて立ち上がった。
『できないことで悩まない』
師の教えを胸に、己にできることを見定める。まずは、食糧だ。
その日の夕刻、南部・呂布の仮宿。
「……て感じで収穫なし、なんですけど」
「賊の食糧も根こそぎ持っていかれていたぞ」
戻って来た曹性と張遼は簡単な報告を済ませていた。
「うーんあの野郎、前しか見えてない感じだったもんなあ…」
腕を組んで眉をしかめる呂布。脳裏に浮かぶ青い将軍はいかにも融通が利かなさそうだ。呂布は口に出しながら考えをまとめ始めた。
「ここに食糧は無くて、俺たちもたいして持ってない。移動するとしたら北の晋陽か、南に向かって洛陽の手前で高都に入るか、だが」
「けど晋陽は黒山賊が占拠してて、その上あの文醜も向かってます。追っかけるんですか?」
「しかし南の高都も、文醜の軍が南から来た以上賊は掃討されているのだろうが食糧があるとは限らんぞ。むしろここと同じく全て奪われていると考えるのが妥当だ」
呂布はゆっくり左手を上げ、掌を向けて2人を制する。
「…てことは南はナシで、北の黒山賊、なんだが」
北の黒山賊を討伐する。できればそれが一番だが、それには文醜軍を追い抜かなければならない。ここから先の一本道でそれは無理があるし、その上そもそも数的にもかなり無茶である。かといってあの文醜と共闘できるかといえば、そんな感じは全くしない。となれば…
呂布は横目で張遼を見た。
あとは文醜を狙うしかないワケだが、袁紹軍と揉めるのはマズいと言う。しかし食料は絶対に必要だ。
「…う~ん…」
唸る呂布を見兼ねて、張遼が口を開いた。
「何を悩んでいる?町の蓄えを奪った賊まがいの連中から、食料を取り戻せば良いだけのことだろうが」
「え!?いやけど、袁紹と揉めるのはやめろって言ったのはお前だろう?」
張遼はその反論を鼻で笑い飛ばす。こいつは高順無しだと本当に半人前だな。
「何、バレなければ問題無かろう」
「!?そういうもんか?」
「遅くなりました」
にやりと笑う張遼の背後で扉が開き、高順が現れる。汚れた平服姿の副官は部屋へ入りながら言葉を繋いだ。
「…文醜軍は北へ2日の湖に陣を張る模様。今から追えば、急がずとも間に合うかと」
「!…!」
呂布の開いた口は、なかなか塞がらなかった。なんて出来た、出来過ぎた副官だ?
3日後、夜。
正義の刃・文醜の軍勢は黒山賊への攻撃を開始した。己の武勇を頼み、賊軍と舐めてかかった文醜軍3000に対し、黒山賊は全体で実に1万5000。守備に当たった兵だけでも倍は超えており、勝敗は目に見えていた。しかも文醜の愚直な進軍は黒山賊首領・張燕に察知されており、山中の伏兵によって文醜軍は大敗、早々に湖畔の陣へ引き揚げることになった。
そして、戻った先で知ることになる。
「何の騒ぎだ!何があった!?」
「ぶ、文醜将軍!先程まで、黒山賊と思しき黒ずくめの一団に奇襲を受け、防戦しておりました!」
「何!?被害は!」
「死傷者は少数!陣を守るべく戦い、どうにか追い払いました!」
「申し上げます!将軍!奴ら兵糧を!兵糧が奪われております!」
「何だと!直ちに量を確認せよ!……賊軍風情が、小生意気な!」
「雑魚が賊ごときに負けおって、帰りが早いわ。おかげで半分しか取れなかったではないか」
闇夜の中、そう言う張遼の顔は明るい。3000の兵に対しひと月分以上はあった文醜軍の兵糧の内、半分を奪ったのだ。呂布軍を100として一か月分を引いても、相当に余る計算である。
「張遼さん、嬉しそうッス!」
「フン、馬鹿は痛い目を見ればいいのだ」
元々装備がおあつらえ向きに黒い張遼達の横で、呂布は静かな副官に囁くように尋ねた。
「…なあ、まさかとは思うが高順、賊に情報、流してないよな?」
「?まさか」
「だ、だよな!さすがにそれは、なぁ?」
「…………ええ」
(!?)




