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48 対 文醜

「美女を奪うために親を殺して逃げた、かあ。いやあとんでもない奴ですね」

 そう言う曹性の顔には、薄笑いが浮かんでいた。

「こんな無茶苦茶な話あるわけねえって、馬鹿でもわかりそうなモンですがねえ」

 隣の候成も呆れて笑う。

 1人高順だけが、表情を曇らせていた。


 平陽から半日と離れていない、無人の廃集落。呂布一行が今夜の宿と決めたその中の一軒で、高順達はついさっきまで密偵からの報告を聞いていた。匈奴領を出た一行の元に、周辺の諜報に出ていた高順配下の密偵が報告に現れたのだ。

 今いる司州ししゅう北部とその北の并州へいしゅうは現在大小さまざまな賊軍の支配下にあり、東に領土を隣接する袁紹軍がこの賊の制圧に動いているという。公孫瓉こうそんさんとの再戦の気配が高まっていることもあってか、目障りな賊軍に対する袁紹軍の勢いは苛烈。接触すれば賊諸共に攻撃されかねない。

 そんな重要な危機を報せてくれた密偵が去った後、しかしまず3人が気にしていたのは、報告のついでに聞かされた噂話の方だった。


『呂布は、養父・董卓の妾であった絶世の美女・貂蝉ちょうせんを奪うために董卓を殺害、義理の兄弟に当たる李儒りじゅも殺して都を乗っ取ろうとするも兵は従わず、やむなく手勢と共に都を逃れた』


 これである。「董卓を殺した」の部分は李儒の情報操作が原因だろうが、その他、理由から順番から色々とおかしい。

「そもそも貂蝉ちゃんは『かわいい』寄りで、『美人』って感じじゃないですけど」

「それも『絶世の美女』ときたモンすよ。見たことあんのか?って話でさあ」

 おそらくは、「女(貂蝉)と共に郿城びじょうに逃げた」のと「郿城で美女(蔡琰さいえん)に救われた」という2つの事実が都合よく混ぜられてしまったのだろう。

「董卓を殺して女と逃げた」→「女は美女らしい」→「美女のために董卓を殺した」

 噂というのは、広まるにつれより劇的になっていくものだ。この変化は想像に難くない。問題はそこではないのだ。

『親を殺した』

 この万人が忌み嫌う、許されざる蛮行。それが当たり前のように受け入れられてしまう呂布の人物像が問題であり、高順が拭えぬ後悔を抱いているのもそこであった。

(あの時……)

 父を止められていれば。せめて呂布と共に父を追えていれば。父のために呂布が自ら公言した「一度目の親殺し」、その責任は等しく自分にもあるのだ。1人汚名を被った兄弟子兼主君に更なる悪名が重ねられようというのに、実子の自分がどうして平気でいられようか。


 高順は頭を振り、息を吐いた。広まってしまった噂を収束させる術は無い。無駄な思案は止めて、できることをやる。

 まず、袁紹に友好の使者を送る。正義を掲げる袁紹は、たとえ元董卓軍だろうと正面から堂々と訪れた者を無碍には扱わない。長安で諜報を学んでいた頃の賈詡かくの受け売りだが、だからこそ信頼できる。そうやって先に渡りをつけておけば、元敵同士とはいえいきなり襲われることはないだろう。ただ、噂のことがある、ここは副官の自分が直接使者に立つべきか。しかし、自分がここに残ったのは若に代わって貂蝉を守るためである。抜けるわけにはいかない。誰か他の者を…

「……え!あの時蔡琰さん、服脱いでたんですか!?あの美人が!?」

「おや兄さん、気付いてなかったんですかい?そりゃあもう、綺麗なモンでしたよ。何つーか、そう、美しかった」

「…」


 そんな高順の元に呂布からの援軍要請が届くのは、その数分後のことであった。




 長剣を叩き付けた青装束は、駆け抜けた先で馬首を巡らせこちらを捉えている。

「っの野郎!」

 砕かれた刀を投げ捨て素手で飛び出そうとする呂布の肩を掴み、張遼は怒鳴った。

「馬鹿か良く見ろ!袁紹軍だ!ここで敵に回すわけにはいかん!」

「あっちが仕掛けてきたんじゃねえか!賊呼ばわりしやがってあの青色…」

 その青色を睨んだまま答えた呂布は、振り向きもせずに開いた右手を伸ばしてきた。

「…なんだこれは」

「剣!」

「渡すか!」

「じゃどうすんだアレは!」

 青いのは再び突進してくる。あちらもなかなか頭がアレなようだ。呂布と揉めている暇は無いか。張遼は腰の剣を抜くと

「いいか、名乗るなよ」

呂布の手に握らせた。幸い主人以上に目立つ赤兎がいない。名乗りさえしなければ誤魔化せるかもしれん。

「ありがとよ!」

 言葉を置いて呂布は通りの中央へ跳び出した。


「賊風情が、小癪な」

 風を纏い駆ける騎馬の上で、行く手に再び現れた大男を睨みつけると文醜ぶんしゅうはそう吐き捨てた。拾った命で再び挑むなどと、一角の将のつもりか?

「死して身の程を悟るがいい!」

 先の一撃は刀を砕いたのみ。だが次はその首を叩き落とす!愛馬に気を入れ加速させると、文醜は両手で握った長剣を高々と振り上げた。


 一割り増しの勢いで突っ込んでくる青装束に対し、剣を正眼に構える。さすが張遼、良い剣を使っている。量産品より一回り大きく、造りは簡素ながら重厚な刃は力強い。呂布の顔に不敵な笑みが浮かぶ。これならいける。立てた刃の向こうには馬鹿正直に長剣を振り上げる青い騎兵。ゆっくり息を吸い込む。さっきの一撃はなかなかの威力だった。デカい態度だけのことはある。血流と共に集中が高まる。躍動する馬体。筋肉が隆起し、大地を蹴る脚が空気を震わす。武人の気迫は目に見える程に立ち上り、その頂点、長い剣の先が動いた。

 だが!

 呂布は突きを放った。突進と共に振り下ろされる長剣の読み難い軌道に対し、しかし交わることなく沿うように伸びるその刺突は文醜の顔へ走る。

(愚かな!)

 文醜は勝利を確信した。届く訳がない。自身の長尺の剣だからこその間合いなのだ。馬上の、それも顔を突こうなどと愚の骨頂!

 次の瞬間、文醜は馬上から転げ落ちていた。


「ちっ」

 呂布は思わず舌打ちしていた。斬撃を流す要領で振り下ろされた長剣を地面に向けて加速させたことで、勢い余った青いのは落馬した。そこまでは狙い通りだが、この青いのは案外うまく回転して片膝立ちで着地した上に、無駄に長い剣を振り回しながら落ちたため結果的に追撃を牽制されてしまったのだ。アレで武器を手放さないとは。呂布は落馬した将に油断無く近付く。


(何だ今のは!?)

 地に膝を突いた姿勢のままで、文醜は怒りに震えていた。理解できなかったわけではない。見えていたのだ。こちらの斬撃の脇に突き上げられた刃が突如向きを変え我が長剣の背を追ったのを。それは全力の一撃の狙いを歪めて加速させ、急激に重みを増した自らの剣勢がこの身を地面に引き摺り落とした。煮え滾る怒りに全身が熱くなる。許せん!落馬したことではない。我が斬撃を、奴の剣が追い抜いたのだ。この屈辱、晴らさでおくべきか!

 立ち上がると同時に振るった長剣が風を置いて走る。呂布がその横薙ぎを跳ね上げるように弾くと舞い上がった刃は小さく弧を描き袈裟斬りへ移り、それも弾けば大きく身体ごと旋回して斬り上げる。重厚かつ鋭利なその連撃は息つく間もなく、陽光に煌く長尺の刀身は白き爪痕の如き軌跡を描き呂布へと降り注いだ。


 無数に迫る爪を捌きながらも、呂布は再び舌を鳴らした。力、速度、共に申し分なく、そして何より。

 (……詰められねえ!)

 間合いの調節。迫れば引き、離れれば踏み込む。単純だが簡単ではない、完璧には計れないものだが、それを維持されている。止むことなく繰り出される白い爪の衝撃を左右に受けながら、呂布は青い将を睨んだ。隙が無いワケではない。遠いのだ。バカ長い得物の分の距離を上手く利用されている。強引に流して近寄ろうにも、あちらにはそれを見極めるための距離がある。顔目掛けて飛来した突きを剣で逸らしつつ身をかわす。この距離で突きとは、まるで槍だ。手元まで刃がある分よりタチが悪いか。しかし。左上から閃く刃を右側へ打ち飛ばす。長い剣を鋭く回転させ、次は上段。ここだ。

(動かんと始まらん!)

 呂布は襲い来る爪の隣に沿うように剣を上方へ走らせた。地まで叩き付けてやればいけるか?


(来たか!)

 放った袈裟斬りは風を斬り走る。だがその軌道をなぞる賊の剣は再び斬撃の背を叩いた。やはり速い!

「ええい!」

 忌々しい!文醜は剣を引いた。軌道がわずかに曲がるが、それでも大地へと突き進む。文醜は瞬時に力を抜いた。直後、大地にぶつかり跳ね上がる刃。軽々と浮かぶ長剣を両手で握り直すと絞り出すようにして斬りつける。賊は目の前にいた。踏み込みが鋭い。しかしその分刃も近い。相手は下段からの斬り上げ。先に、斬る!

 甲高い金属音。

 首筋に叩きつけるはずの刃は下から弾き上げられ天に向かった。斬り上げた相手も目の前で剣を振り上げている。

「!」

 文醜は賊の卑しいにやけ顔に大上段から長剣を叩き付けた。


 真正面からの叩き合いに轟音と火花が飛び散り、手から響いた振動が肩を揺らす。いい手応えだ。互いに押し合い鍔迫り合いの形になる。顔が近い。

「やるじゃねえか」

 呂布は笑った。兜でよく見えてなかったが、鋭い、良い目をしている。その目から怒りを迸らせて、青い将軍は長剣を押し払い後に跳んだ。間合いが離される、が、呂布はあえて追わなかった。


 上手くいかないもんだ。上段を切り落としての踏み込み、昔よく師匠にやられた技なんだがやはり簡単ではない。技量不足を力で誤魔化した分、剣が踏み込みに遅れて五分に終わってしまった。剣は苦手、と言い訳はできるが、師匠の背中は変わらず遠い。

 ただ、今ので相手は見えてきた。

 あの長い剣を自在に振り回すその技量は相当だが、それは単純な力よりも技術によるところが大きいのだろう。隙の無い見事な連撃に完璧な間合い管理からも感じ取れる、確かな武術は賞賛ものだ。しかし裏を返せば、力が少々不足している。こちらの不完全な流しに対して強引に剣を引くのではなく力を抜いて対応し、今も鍔迫り合いをいち早く拒否して離れた。あれだけ怒りを表に出してなおその判断、間違いない。呂布は右手の剣を後に引いて構え、改めて全身に力を巡らせた。単純な力比べは苦手と見た。


 文醜の額を汗が伝う。こいつは一体何者だ?

 野良の剣ではない。明らかに剣術を学んだ者の技だ。こちらの攻撃を全て防ぎ切った上、あの防御の技と剣速。かなりの使い手である。ただの賊ではないのか?文醜は構えを解いて息を吸い込み、

「我が名は、文醜!」

長剣の切先を賊(?)の大男へ向けた。

「貴様は何者だ!名乗れ!」


「お」

 呂布が口を開いた瞬間、突然近くの建物が倒壊した。破壊音が響く。見ると、その傍では張遼が青い敵将もかくやという顔をしてこっちを睨んでいる。そういやそうだった。

「…お前に名乗る名前はねえ!何せ、『賊』なんでな!」


 文醜の怒りは瞬時に再沸騰した。名乗りに応えぬとはなんという無礼!やはり下衆の輩か!

「『賊』でよいな!ならば直ちに成敗してくれる!」

 文醜は吠えて駆け出した。

「てめえが『賊』を押し付けたんだろうが!」

 応える呂布は楽しげに叫んだ。

「「若~っ!」」

 同時に届いた遠くからの声に呂布は動きを止め、文醜も止まった。


 

「申し訳ございません!」

 1騎先行して傍まで駆けて来た曹性は、下馬するなり地に膝を突き頭を下げた。

「袁紹様の将軍とお見受けいたします!我らはあの商人の警護をしている者」

 言って手を伸ばした先には、こちらに向かって来る小さい馬車が見える。もちろん通りすがりの商人などではなく、貂蝉の乗る質素な馬車だ。

「先を確認しに出たこの男がなかなか戻らぬと追って来てみればこの有様、何かしら誤解もありましょうが、先程申し上げましたとおり我らは賊ではございません」

 口早に言い切る曹性の勢いに押されつつ、文醜は口を開く。

「…警護の武芸者か。この大男、『若』と言ったが何者か?」

(!)

「そ、その者は、恥ずかしながら先日当家の門をくぐったばかりの若輩者でして、にもかかわらず図体も態度も大きいところから『若』と渾名で呼んでいるのでございます」

「…武門の名は?」

 (く!)

「…高、にございます」

「……聞いてこともないな」

「田舎の弱小流派にございますれば、どうかご容赦を」

「……ふん」

 長剣を大きく払い、文醜は背を向けた。歩を向けた先には、配下の軍勢が近付いて来ている。

(いけた、か)

「その『若』という大男」

「は、はいっ!」

 つい素の声が出た。

「出自を改めておけ。只者ではない。弱小流派では飲まれてしまうぞ」

「ご、ご忠告、ありがとうございます!」




 こうして。

 曹性の咄嗟のでたらめにより場を切り抜けた呂布一向は、晴れて賊のいなくなった平陽の町に入ることとなったのである。援護の要請に対し、隊を分けずに全員で進んだ高順の好判断のおかげでもあった。


「しかし曹性よ、お前は剣術馬術以外ではいろいろ面白い才を持っているな」

「張遼さん、褒めるなら褒めるだけにしてくださいよ。心臓やばかったんですから、ほんとに」

「いや見たかったなあ~、兄さんの活躍」

「気楽に言ってますけど候成さん、あっちには何千って兵が見えてたんですからね?」

「なおさら見たかったなあ、兄さんの口上」

「あ、馬鹿にしてるでしょ?」

「いやいやンなことありやせんよ?」

 

 久々の町で盛り上がる一向とは別に、町外れでは剣戟が響く。


 黒い戟剣を大上段から振り下ろす。高順はそれを見事に流すとその分速度を増した斬撃が胴へと閃く。力を緩めず大地を打ち跳ね返りを強引にぶつけに行くと、斬撃は向きを変え手元で戟剣とぶつかり合って止まった。同時に、首には左手の刀が突きつけられている。呂布は満足げに笑みを浮かべた。

「さすがだ」

「…何の手抜きですか?」

 表情を変えずに聞く高順。

「いや、俺もこれぐらいできなきゃなぁ」

 呂布は笑った。

 こちらの手加減に対し、高順はきっちり圧勝している。師匠とは違う形で。自分もまた、別の形を見出していたハズだ。

 それが今日はどうだ?文醜が弱かったとは言わない。しかし、例えば劉備兄弟とやりあったときほど全力を出していたか?工夫はできていたか?言うまでもない。

 『全力を出さない』という自覚のある欠点が、ますます具体的に感じられる。これではダメだ。まして自分が見出した形は、強引に全力を押し付けて初めて師の高みへ近づける、そういう道である。優れた技を見、学び、盗むのはいいことだが、その根幹になる自身の武術は、誰の真似でもないのだ。

「もうちょっと、付き合ってもらおうか」

「…いくらでも」

 高順は静かに2刀を構える。

 まずは一足先を行くこの優秀な兄弟弟子に並ばなくては。幸い、試したいことは色々ある。

「いっくぞー?」

 最強最良の修行相手を前に、呂布は少年のような笑顔を浮かべていた。



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