50 再会と出会い
黒山賊と戦う文醜軍から、賊のフリをして大量の兵糧を掠め取った呂布軍。平陽へと引き揚げた彼らは奪った食糧の約半分を町に残し、早々に立ち去った。
残した食糧は、人口が激減している町に対しては相当な量である。ひとまずは全員の腹を満たすことはできるだろう。問題はそこから先だが、しかしそれは、住民自身に任せるしかない。
領地も収入も無い呂布達が残ったところでできることはせいぜい治安の維持程度、それも反感を買うかもしれないし、今はバレていないがあの『極悪人の呂布』だと判れば余計な混乱が起きる可能性も大いにある。無責任で悪いが、町に残ることが良策とは言えないだろう。
それよりも、他にできることがある。
現在、平陽には人の流れが無い。大通りがあるとはいえ、北の晋陽には黒山賊、南の洛陽は焼け野原、その西の都・長安まで行っても騒乱の真っ最中。商売も出稼ぎもできないこんな閉ざされた状況では、腹が膨らんでも状況を好転させるのは不可能だ。
かくして、平陽の町に人の流れを作るべく、呂布達は南東へ、高都へと出発した。
その道中。
「懐かしいなあ」
「はい」
高都といえば、丁原時代によく滞在していた街である。こじんまりとしてはいたが活気があり、呂布はその雰囲気を気に入っていた。董卓軍が囲んでいた洛陽に奇襲をかけたのも、師匠と最後に戦ったのも、この高都である。
あれから、およそ3年。短いようで様々な事があった。強敵とも戦った。しかしあの師匠との戦いは、今も鮮明に思い出せる。呂布は己の右手を見つめ、握り締めた。まだまだ、届いていない。隣の高順ともども、しばらく思いにふけり静かに進む中、思い出した。そういえば、この手甲も高都の職人に作ってもらったんだっけ。
「…高都は、滅んではないんだよな?」
「はい。賊の気配は無く、復興に向かっている様子とのこと」
高順が出した斥候の報告によると、高都の街は平陽ほど荒廃してはいないらしい。洛陽からほど近く、一時この近辺で暴れていた牛輔軍の標的にもなっただろうが、よく残っていてくれたもんだ。顔見知りの皆も無事ならいいんだが…
(…にしても、どうやって助かったんだ?)
荒くれ共や野盗連中に見逃してもらえるような、『交渉の達人』みたいな奴でもいたんだろうか?
…と、思っていたら。
「おやぁ?おやおやおやおや!?」
聞き覚えのある、どこか抜けたような、嫌味の無い明るい声。高都の門の下に立つその声の主、見覚えのある男の姿は。
「お前か、張楊!」
「いやはや本当に呂布殿ですか!これは驚かされましたなあ!」
そう言って大きく笑う張楊は、薄汚れた衣服の他は何も変わっていなかった。
「驚いたのはこっちだ!いつからに高都にいるんだ?」
「なぁに、つい最近ですよ」
ゆっくりと床に腰を下ろす張楊に倣って、呂布達も座る。案内されたのは、高都の役所だった大屋敷である。その中の大きな広間に4人、張楊と、それに向かい合って呂布、高順、そして後に隠れるように貂蝉が座っていた。
丁原が死ぬ前に董卓軍に引き抜かれた張楊と会うのは、それこそ3年振りである。反董卓連合と陣を構えていた頃は、確か洛陽で宮仕えしていると聞いていた。しかし顔を合わせる機会は無く、長安遷都後はその名を聞かなくなっていた。まああの張楊のことだ、名前は聞かなくともどこかで上手くやってるのだろう、と勝手に思っていたのだが。
「実は長安に移ってすぐに、并州に派遣されましてねえ。『引き揚げが間に合わなかった連中をまとめるため』ってことだったんですけどこれがどうにもこうにも、着いた頃にはもう荒れ放題の無法地帯で。晋陽でも高都でも、賊徒に成り下がった連中と話して逃げて話して逃げて、そりゃもう大変でしたよ」
苦労話も楽しげに、張楊は話を続ける。
「近頃ようやくどうにか高都の中に入ったんですけどね、そしたら袁紹軍が高都の賊を蹴散らして行ったじゃないですか?で、放って行くなら、とまあ、空き家を頂戴した次第です」
「簡単に言うなぁ」
相変わらずの調子に呂布も笑った。
年単位の話だ。しかも「話して逃げて」などと言っているが、相手は洛陽に首を並べたと噂の荒くれ董卓軍である。一筋縄どころか鉄の鎖でもどうだか。その悪逆非道の輩を相手に、張楊は『話』をしてきたのだ。さすがというか、恐るべき胆力と話術、交渉術。この高都の街がこの程度の被害で済んでいるのも、あるいはこのお調子者の力なんじゃないだろうか?平陽の惨状を見てきた呂布には、久しぶりに会った年上の同僚が随分頼もしく映っていた。
「いやそれよりも。呂・布・ど・のぉ?」
その楽しげで頼もしい顔がいやらしく歪む。好奇の視線は、呂布の背後へと狙いを定めていた。貂蝉の怯える気配が背中に伝わる。
「何だか面白い話が色々と聞こえて来てるんですが……何でも『絶世の美女と結婚した』とか?そっちこそ、どうなってるんですかねぇ?」
「!…い、色々あったんだよ!」
心の中とはいえ、褒めるんじゃなかった…
呂布が「色々」を説明させられている間に、視点を移し―
「ほほう、では貴殿に任せれば青州の黄巾軍は降る、と言うのか?」
「『降る』のではありません。ですが、かの賊軍20万、全て曹操様に仕えることとなりましょう」
兗州(袁紹のいる冀州の南隣で、東隣が青州)東部、青州黄巾軍と対峙している曹操軍の陣中。
『曹』の旗が翻る天幕内で、その真っ直ぐな瞳で総大将を堂々と見つめる男。文官の衣服に身を包んでいるが肌は日に焼けており、意志の強い眉目も相まっていかにも明朗快活な印象のこの男、名を荀彧という。
荀彧、字は文若。豫州(兗州のさらに南隣)の名門・荀家の出身で、特に秀でた智の才を持っていた彼は若くして宮中に出仕していた。董卓の長安遷都に際し、危険を感じて地元に帰った彼はさらなる戦乱を予見し、洛陽から程近い地元を捨て、家族と共に冀州へと移り住んだ。その読みは的中し、間もなく故郷は牛輔率いる董卓軍に無残に荒らされることとなる。
難を逃れた荀彧は冀州の統治者である袁紹に高く評価され、これに仕えた。のだが。
袁紹軍の現状を鑑み、最重要は東方青州の黄巾軍の懐柔と見た荀彧は、いち早くその糸口を掴み、単身、交渉に入った。名門出身でありながら民の苦痛を良く理解する彼の誠心は黄巾にも伝わり、あと一歩、上手くすれば懐柔どころか戦力に加えることもできる、そこまで来ていたのだ。しかし袁紹は、
「荀彧殿、この袁紹に『黄巾賊を許せ』というのは無理な話だ。奴等は悪を為したのだから。その分、罰を受けねばな」
「彼らの悪行のほとんどは、貧困・搾取・暴力に対するもの!元を正せば為政者の責と言えましょう!」
「それは認めよう。反省も、修正もしよう。だがやったことに対し報いを受けない、というのは認められんよ。それはおかしいだろう?」
「それは、しかしどちらかが、いや、力あるものが折れねば、いつまでも争いは…」
「言いたいことは解る。俺も絶対に許さん、と言ってるわけではないぞ?奴等が大人しく罰を受けると言うのであれば、降伏も受け入れよう。だがただ悪を見逃すのは、この袁紹の正義ではないのだ。すまんな荀彧殿」
何度進言しても、平行線であった。ほどなくして、袁紹は青州対策を友軍の曹操に任せ、自軍を北の公孫瓉との戦闘再開に向け北上させた。青州を、その兵力ごと手にする好機を捨ててしまったのである。
大事を見極められず、我を曲げられない袁紹に失望した荀彧はその下を去り、袁紹軍に替わって今まさに青州黄巾軍と対峙している、曹操の陣へと向かった。
(袁紹殿はどうあっても我が案を採用されなかった。この曹操殿、背格好は小さく、所領も兵も少数、だが器はどうかな?)
荀彧は、袁紹に対してした説明と全く同じ話をした。先の袁紹時代の交渉の分、有利な点もあるのだが、特に触れなかった。ところが。
「なるほど名案よな!」
曹操は破顔一笑、大声を上げた。
「許す許さんなど言葉はあれど、各地から逃げ集まった青州黄巾、彼らの求めるところはつまり『身の保障』だと。罰を与えず迎えるというのはその実、単純に領民が増えるに過ぎず、しかも20万の兵が付いてくるということか!」
身を乗り出して話す曹操の勢いに、荀彧はただ驚いていた。なんと頭の切れる、そしてなんと柔軟な。
「今まで敵対してきた我らでは交渉もできんが、既に顔も通っている貴殿が行けば話は別、袁紹の奴が断った分、今ならば印象も良かろう。よし荀彧殿、すぐに進めて頂こうか。あ、いや」
「?」
にやりと笑う曹操の姿が、荀彧の目には大きく映った。巨大な瞳に自分が映る。笑顔とは繋がらない、深遠を見透かすような瞳。呑み込まれる感覚。
「用意が出来次第、教えてくれ。万全を期す、私も行こう」
「!は、はいっ!直ちに!」
こうして曹操は、この後の半生を共に行くことになる当代一の名参謀を、青州黄巾軍20万・兵卒以外も合わせるとおよそ100万という手土産と共に、その陣営に迎えたのである。
董卓に敗れて以来、袁紹傘下の一将軍となっていた曹操は、ここから再び乱世の中心へと動き出す。
「……いやあ、よーく解りました。さすがは呂布殿、波乱万丈を地で行きますなあ」
再び笑う張楊。笑い事でもない話(董卓・徐栄暗殺の件など)も混ざっていたのだが、結局は『美女を手にするために董卓を殺した悪党』という間違われ方がどうにも面白いらしい。いろんな方面に失礼なヤツだ。
「で、これからどうされるんです?」
「!…それなんだよなー」
全く何も考えていない、というワケではないが、ここ并州までは成り行きで来ていた。改めて、考え直す。
目下必要なのは、収入源である。ただ并州に来た以上は、師匠の眠る晋陽を黒山賊から解放したいとも思っていた。荒廃した平陽の町も、南の高都と北の晋陽との往来が蘇れば、自然と復興への希望が見えてくるだろう。しかし現在の100人足らずの兵力では、守兵が万を越す晋陽を攻められるハズもない。仮にどうにかこうにか攻め落としたとして、次は荒れ果てた街を治める人間がウチの軍にはいない。それもなんとかかんとかこなしたとすれば、ようやく領土と収入が手に入ることになるが、そこで何か別の問題がおきたらもうお手上げである。仮を重ねて無理しか残らない。これじゃあダメだ。
「あ、そうだ」
「なんです?」
張楊がいてくれれば、『街を治める』という点については大丈夫だろう。が、
「やっぱいいや」
「…何なんですか」
高都の街は、張楊がいるからマシなのだ。いなくなるのはマズい。
「えーとそうだな、平陽はここよりボロボロなんで、できたらあっちも見てやって欲しいんだが…」
「お、平陽から賊はいなくなってるんですね!?だったらこっちに来てもらえば、労働力は欲しいですし東に向かえばちゃんとした街にも繋がってます。町自体を直すのはちょっと無理ですが、人をどうにかするのは、大丈夫、いけますよ」
「いやーさっすが、頼りになる」
「でしょう?…って、それはいいんで呂布殿。だから、この先どうするんですか?」
「それなー」
領土が無理なら、誰かに仕えるしかない。兵力も領地も十分にあって、戦乱を終わらせることができそうな…
「…袁紹って、どんなヤツかな?」
「袁紹殿ですか?逃げ回る途中で何度かお世話になりましたが、中々面白い人ですよ。心も広いですし、なんというか真っ直ぐで、悪いことが大嫌いで。…うん、案外呂布殿とは気が合うかもしれませんねえ」
「若」
横から高順が割って入る。
「袁紹は黒山賊を煙たがっております。そのためであれば、援助を得られるかもしれません」
配下の文醜がアレだったので印象が良くないが、それは袁紹本人とは無関係だ。最大勢力の一角であり、全土統一までの道程は比較的短い。かもしれない。
「一度会いに行ってみればいいんですよ。あの御仁は、正面から申し込めば必ず会ってくれます」
「そうだなぁ」
呂布は天井を見上げた。
とは言え自分には悪評もある。悪いことが嫌いな男に会うにはイマイチ決め手にかけるというか…
「袁紹軍には文醜の他に、顔良という猛者が」
「そうだったな!」
高順のダメ押しに応えた呂布の目に、迷いは無くなっていた。
呂布一行の新たな目的地、冀州の州都・鄴。
人口豊かな冀州における都への玄関口として栄えてきた鄴の街は、大きく、豪華だった。
名門・袁家の本拠地となったこともあり、洛陽が燃え長安が混迷に陥った現在では商業の中心を鄴に移す者も多く、この戦乱の時代に更なる発展を見せる稀有な大都市である。頭首・袁紹の「金は使ってこそ価値を生む」という主義と、袁家の伝統ともいえる華美な趣味の影響を受け、鄴の街は順調に派手になってきていた。
その豪華な街の中心、一際煌びやかな門がそびえ、目がくらむほどの装飾が施された壁に囲まれた袁紹の大屋敷内の一室で。
「ほほう、荀彧殿は曹操についたか」
「良かったのですかな?あやつの狙いが通れば、曹操軍の兵力は無視できぬほどに膨らみますぞ?」
広い評議の間の上座で豪華な椅子に腰を下ろし、余裕を見せる袁紹に対し、左手に立つ田豊は不機嫌さを隠すこと無くそう尋ねた。
「黄巾など農民弱卒、弱将にはお似合いではないか」
田豊の向かい側で、見下すように笑う許攸。その言葉に田豊の眉が上がる。
「その農民を、我が軍は降せなかったのだぞ!曹操の下で兵として鍛えられれば、十分に脅威足りえる!(そんなことも解らんのかこの無能が!)」
後半を飲み込んだ年長の参謀を横目で見た許攸は、小さく鼻で笑った。
「降せなかった?いかにも確かに。だがそれは所領を荒らさぬためにあえて攻め込まなかっただけのこと。戦うとなれば一息に押し潰していたであろう。そんなことも解らんのか?」
「!」
「やめろ」
袁紹の口から息が漏れる。
「許攸、口が悪過ぎるぞ」
「これは、失礼を」
「どうしてこういがみ合うのか……他者の意見を柔軟に受け入れてこそ、智は磨かれるのではないのか?」
主君の諫言に2人は礼を取る。
「まさしく。汗顔の至り」
「以後、気をつけましょう」
袁紹はもう一度、大きく息を吐いた。何故我が軍の連中はこうも仲が悪いのか。
多くの将軍、参謀が対公孫瓉の準備で奔走しており、今鄴に残っている参謀は目の前の2人のみ。2人だけでも、この有様である。他の面々がいるとさらに喧々諤々なのだ。意見がぶつかり合うのは大いに結構だが、どうにも皆攻撃的過ぎる。だからこそ、人格性情の落ち着いた荀彧には期待していたのだが。
(上手くいかないものだ)
その人格が、悪を許せと言うのだから難しい。前線の将軍達、文醜、顔良や新参の張郃は上手くやっているのだ、参謀達も知性を誇るならその辺りは見習って欲しいものである。
「で、文醜はまだ戻らんのか?」
「はい」
睨み合いをやめ、返事をする田豊。
「文醜将軍は未だ黒山賊と交戦中とのこと。引き揚げの命令は再三伝えておりますが、『勝つまで戻らぬ』と」
悪を討つ、それはいいが、行き過ぎである。こっちはこっちで困ったものだ。
「南方の賊が片付いたのなら真っ直ぐ帰ればよいところを、手柄欲しさに無用の寄り道などするからこんなことになる。大将の器ではありませんな」
正論である。しかも帰還命令違反は本来罰せられるところであり、これに関しては許攸の嫌味が正しい。だが、将にはそういう勢い、現場の判断が必要でもある。そこは買ってやるべきだ。
「そう言ってやるな、文醜の隊は5000足らず、それで2万近い黒山賊と渡り合っているのだ。その腕は認めてやってくれ」
「…まあ、そこは認めましょう」
「うむ。とは言え文醜抜きで公孫瓉との開戦を迎えるのは避けたい。許攸、文醜のやつに今一度帰るよう伝えてくれ。その間に田豊は青州と曹操の様子を確認しておけ」
「御意」
「いいでしょう」
2人が去った評議の間で、袁紹は一際大きくため息をついた。天井を見上げる。
悪を討ち、より良い世を作る。やりたいのはただそれだけの単純なことなのだが、そのための才能をまとめる、というのはこうもややこしいものか。
元々単純明快な正義の熱血漢は、その立場ゆえのもどかしさ、歯がゆさを少々呪った。だが袁紹は、名門・袁家の大看板が呼び寄せてしまう玉石混交の人材と、多数の『石』を見切ろうとせず、それら全てを受け入れ使おうとする自分の純粋さがこの事態を招いているということに、まるで気付いていなかった。
赤い巨馬に乗った更なる混乱が、そんな彼の元へと近付いていた。




