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42 口先三寸

 黒地に豪華な金刺繍の外衣を纏い、炎の如き巨馬に跨った大男が、ゆっくりと前へ出る。その堂々たる姿は夕日に照らされ、携えた長大な黒い戟は力強い輝きを放った。打ち鳴らされる銅鑼が、その迫力をさらに増している。

『…あの黒い衣装、あれは何者だ?』

 徐々になだらかになる斜面を駆けながら、匈奴の若き指揮官・ひょうはそう呟いた。


 豹。大将旗の元、その名と同じ獣の毛皮の衣を身に着けた荒い長髪のこの青年は、遊牧騎馬民族『匈奴きょうど』の単于ぜんう(君主のこと)・於夫羅おふらの息子である。20歳そこそこだが軍事の殆どを任されている彼は武勇に優れ、かつ賢さも持ち合わせていた。南北に分裂、弱体化を起こしている匈奴には、変革が求められている。文字を持たない匈奴の今後の発展のためには、漢の優れた教養・文化を学び、吸収するべきだ。そう考えていた。


 今回の李儒の計画に協力する見返りに、豹は郿城びじょうを要求していた。長安近在のこの大屋敷は漢を学ぶ拠点として、是非手に入れたかったのだ。頼まれたのは、東から長安に向かってくる牛輔ぎゅうほ達への圧力・牽制である。そのためには、軍勢を長安近郊に駐屯させることになる。ならば、と、一部の兵と先行して郿城に向かったのだ。李儒からは、そこにいる人も物も自由にして良いと聞いていた。

 だが、迎撃されている。

 左右に20騎ずつ、中央は50。罠、といえる数ではない。何かの手違いか?しかし、あの衣は。




「……ホントにこれで大丈夫なのか?」

「胸を張って。堂々と」

「へいへい」

 美しい声でたしなめられ、呂布は胸を張り直した。

 敵に対し斜めに赤兎を止めた呂布の影に、隠れるように付き従う一騎。桃色の華やかな乗馬装束を着た蔡琰さいえんは、優美な笑みを浮かべていた。

(たいした度胸だ)

 言われるがままに董卓の外衣を羽織り、向かい来る敵を待つ呂布は、隣の知的美女に感心していた。背後で打ち鳴らされる撤退の銅鑼の音、正面から迫る無数の蹄音とその振動は、なかなかの迫力である。それをこの女は、余裕の笑みで眺めているのだ。虚勢ではなく、本当にまるで震えていない。力も入っていない。余程自信があるのだろうか。

(この服だけで、ねえ)

 この格好を見せれば匈奴は止まる、と蔡琰は言う。確かに親父殿の名は知られているだろうが、北の異民族というのはそれだけで突撃を止めるようなお行儀の良い連中か?ただ、こうして突出していれば敵将との距離も縮まる。大将を狙う機会もあるだろう。

「…なんでそんな服持ってるんだ?」

 待つだけで退屈な呂布は、単純な疑問を口にした。女物の乗馬装束なんて、初めて見た。

「興味が、ありましたので」

 乗馬に?それとも、戦に?

 今度はなんとなく、聞くのはやめておいた。敵が思ったより速い。先頭は、もうすぐそこだ。



 心臓まで響くような地鳴りは次第に収まり、土煙が上から晴れていく。銅鑼の音は、既に止んでいた。

 蔡琰の言葉通り、匈奴軍は止まった。大きく横一列に広がり足を止めた騎馬の群れ、その中央から、一騎、近付いて来る。呂布は蔡琰をかばうように赤兎を横に向けた。その自然な動きに、蔡琰は微笑む。

「ありがとうございます、将軍。ですが」

『貴様は何者か!』

「!?」

 若い、威勢の良い大声が、蔡琰の言葉をかき消した。声の主は、ただ一騎で前に来た男である。呂布はその豹柄男の方を向いたまま、動かない。

『董卓殿は引退し、李儒殿が跡目を継ぐと聞いている!その上で、董太師の衣を纏う、貴様は一体何者だ!』

 再びの怒声にも、呂布は動かなかった。応えもしない。ただ、

「…?」

その首がゆっくり斜めにかしぐ。その様子に、蔡琰は小さく笑った。

「…失礼いたします」

 小声でそう言って、主人同様固まっている巨馬を回り込み、前に出る。そして

『これなるは、董太師様の後継、呂布奉先(ほうせん)様である!』

凛とした、空気を清めるような声を響かせ、叫んだ。

「!!?」

 目を丸くした呂布の目線が瞬時に蔡琰に移る。驚いたのは、大声にではない。

「…いや、あの…、何て言ったんだ…?」

 言葉が(、、、)解らない(、、、、)のだ。


 当時、匈奴は形の上では漢に従っており、国交もあった。単于をはじめ、漢の言葉を話す匈奴人も多く存在している。そのため呂布も「匈奴人は漢語を話すもの」と思っていた。だが、そのほとんどは兵士であり、近年は単于自身が軍を率いて漢の領内に侵入、放浪しているため、北方に残る匈奴人には漢語を話せる者は少なかったのである。


『そのような者は知らぬ!我は李儒殿と約束しているのだ。無事跡を継いだ暁には、その小城を頂くと!李儒殿はどうした!』

『李儒、あのような裏切り者との約束に何の意味があろう』

『裏切り者だと?何だそれは?』

『李儒は、己の父であり、大恩ある君主である董太師様を殺したのだ』

『!でたらめを!跡継ぎが何故、引退する義父を殺すはずがある!』

『裏切り者の思考など解らぬ。ただ真実があるのみ』


(どんな話になってるんだ…)

 説得、しているのだろうか?にしては相手が随分怒っているように見える。対して蔡琰は落ち着いており、表情にも余裕があった。うまくいっている、のか?わからないが、結局任せるしかなさそうだ。今、呂布にわかることと言えば。

(…オレ、いらねーな…)




(やはりこの馬鹿はいらんな)

 報告を終え、牛輔の天幕から出た賈詡かくは、次の目的地へ歩を進めながら、改めて確信していた。あれは、阿呆だ。

 長安から東、牛輔軍の陣中。

 李儒が死に、長安とその兵力は王允と呂布の手に落ちた(ウソ)という賈詡の報告に対し、牛輔は笑った。

「あの青びょうたん死にやがったか!ガハハッ!てことたぁ俺が、この俺様が!都の主ってワケだな!」

 その青びょうたんに言われるがままに徐栄を闇討ちしておいて、この態度である。しかも賈詡は、「都に入れない」という話をしたのだ。最強騎馬隊の残り5000が呂布の指揮下に入り(ウソ)、王允の下には李儒が率いていた董卓軍本隊1万に、加えて5万程の守備兵がいる(これは本当)。計6万強の相手に対し、牛輔軍は2万、攻め込んでいい兵力差ではない。それが何故、都の主になっているのか。話にならない。

 もっとも、それは最初から判っていたことだ。だからこそ、この愚か者を止めるために、わざわざ乗り込んだのだから。

 目的の天幕が近付く。『張』の旗が掲げられたその天幕は、張済ちょうさいのものだ。


 牛輔の下には郭汜かくし李傕りかく張済ちょうさい樊稠はんちゅうという4人の将軍がおり、その内の一人である。一様にガラの悪いこの4人の中では比較的話のできる方であり、他と比べれば幾分マシなその知性のおかげで、一目置かれていた。ちなみに長安を出る前、王允に貂蝉を売ったのも、この張済である。


 まさにうってつけの人材。これを動かせないようでは、軍師などと名乗れん。

 表に現れそうになる笑いを抑え真剣な表情を作ると、賈詡は天幕の正面に立った。気付いた見張りが中に報せに行こうとするのを手で制して、自ら近寄り、幕を上げる。

「…お久しぶりです、張済殿」

「!おお、賈詡殿か!どうした?わざわざ出迎えか?」

「で、あれば良かったのですが……長安が、奪われました」

「…あぁ!?奪われたって、長安は李儒が押さえてるんじゃ」

「あまり時間がございません。手短に説明致します」

 張済の言葉を遮った賈詡は、目に力を込めた。

「計画は失敗です。乱心した李儒殿は董太師を殺し、呂布に討たれました。兵は王允によってまとめられ、李儒殿と手を結んでいた牛輔殿、つまりこの軍が、狙われています」

 あえて思い切り省略して話す。理解させる必要は無い。

「ちょ、ちょっと待て、どういう…」

「徐栄将軍を、闇討ちしましたね?」

「お、おお、それは牛輔の命令で」

「彼を慕う将兵が、特に呂布が怒り、先頭に立って迎撃態勢を整えています(ウソ)。このまま進めば、惨敗は必定」

「!じゃあお前、それは牛輔に言って」

「既に報告しました。が、牛輔殿は聞かず、進軍されるおつもりです」

「お、俺にどうしろってんだ?」

 一拍間を空け、張済の怯えた目を見据える。

「闇討ちは、牛輔殿の独断であった、と聞いています」

「ああ、そうだ!俺達は、そこまですることはねえって言ったんだがアイツが」

「張済殿は、王允殿と親しいとか」

「?親しい、ってか、一度女を世話しただけだが…」

 張済の顔が変わった。この辺りが、あの阿呆とは違う。

「…俺に、やれってのか」

「闇討ちに反対だった者は多いはず、協力は得られましょう。時間がありません。私が使者に立ちます」

 張済の顔に汗が浮かぶ。一人前に悩んでいるらしい。しかし。

「無論、共に果てる道を選ばれるなら止めはしません。ですが」

 ひときわ目に力を込め、賈詡は言った。

「この窮地、救える者は張済殿しかおりません」

 しかし馬鹿は、この言葉に弱い。

 



『…手ぶらで引き返せ、と言うのか?』

『いかにも。申し上げたとおり、李儒は既に死んでいる。死者との約束を盾に女子しかいない屋敷を攻めるのが、匈奴のやり方か?』

 豹の渋い表情が、この一言を聞いて晴れていく。


(お、うまくまとまったかな?)

 その顔を見て、呂布はそう思った。


 豹は笑顔で呂布を見た。

『女子しかいない?守るものが、戦う者がそこ(、、)にいるではないか!』

『!』

『女!貴様の話はもっともだ。だが我らにも誇りがある、何もせず帰るわけにはいかん。一騎討ちというやつだ。我がその者に勝てば、女子もろとも城はもらうぞ!』

 そう言い放つと、豹は背を向け、距離を取って振り返った。


 呂布は素直に感心していた。本当に追い返すとは。

「いやーたいしたもんだ。さすが、妙案と言うだけのことは」

「呂布将軍」

「?」

 見ると、蔡琰は美しい顔で困っていた。そして目が合うと、悪戯が見つかった子供のように、困ったまま笑った。

「お手数ですが、あの男を倒して下さいませ」

「ん?」

 何でそうなった?しかし向こうの匈奴の代表は、槍を掲げてこちらへと駆け出している。その様子に、目が覚め、血が巡り、呂布は小さく笑った。

 話の流れは何もわからない。が。

「よおし!オレにはこっちの方がわかりやすい!」

 楽しそうにそう答えると、呂布と赤兎は駆け出した。退屈だった分だ、匈奴の技、どんなものか見せてもらおうか!



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