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43 匈奴撃退

 匈奴きょうどの将、相当若いように見えたが、さすがに動きは一人前のようだ。ゆっくりと駆けているように見えて、速い。一歩一歩伸びるようなその動き。馬が良いのか、人の腕か。などと感心している間に距離が詰まる。短く息を吐き、呂布は全身に気合を入れた。痛みはマシになっているが左足と左腕は不十分、その上左腕は胸より上に上がらない。右手の戟剣を体の左側に引き絞り、体勢を下げ、力を溜める。赤兎の振動が応えるように力強さを増し、加速した。呂布の顔に笑みが浮かぶ。速さ、勢いなら赤兎も負けん。真正面の相手と視線がぶつかる。

(いい顔してるじゃねえか)

 笑う敵将は槍を引き、真っ直ぐこちらに突進してくる。すれ違うのではなく、真正面。望むところだ。さらに得物を引き、備える。駆け方が違うせいか合わせ難い。あと2歩。視界が狭く、鮮明になっていく。まだ遠い。だが相手の肩が動く。反射的に力が入った。来る、か?その一瞬が遅れを産んだ。人馬一体の凄まじい迫力と共に穂先が放たれる。空を穿ち、首元へ。異様な伸び。間に合わねば死ぬ。黒い刃が閃く。


 重い金属の弾ける轟音を残し、交錯した2騎は駆け抜けた。徐々に速度を緩め、足を止めたところで互いに振り返る。


 弾いた右手に重さが残っている。おそろしく速く、重い突きだった。横から叩きつけた得物が、弾き返されたのだ。あっちの軌道も多少ズレたが、それだけだ。あのままなら避けられなかった。無傷で済んだのは、

「オマエのおかげだな」

呂布は赤兎に声をかける。交差の間際、赤兎は左に逸れていのだ。呂布がさせたのではなく、勝手に、である。直前、一瞬力んだのがヘンに伝わったか?確かに今は怪我のせいで左右の足の力が違っている。その可能性は高い、の、だが。

 赤兎は荒々しく首を振った。

 そんな理由ではない、助けてやったのだ。と言わんばかりに。

(できたヤツだ)

 オレが足手まとい、というわけか。確かに、さっきのはダメだった。反省しよう。全力のつもりでいながら、どこかで若い相手を侮っていたのだ。捌けない程の攻撃は来ない、と。それが、あの突きである。


 遠く離れた相手と目が合い、双方駆け出す。


 あの跳ねるような走法。あれに呼吸を合わせ突きを放つことで、馬の勢いを、そのまま、その体重ごと乗せているのか。なるほど人間離れするワケだ。速度を上げる赤兎の上で、呂布は先程同様左側に戟剣を引いて構えた。自然とさっきよりも力がこもる。気持ち、赤兎も速いようだ。不敵な笑みが浮かぶ。よし、こちらも協力技といこうか。



『臆病者め』

 風を切る馬上でそう呟くと、ひょうは鼻を鳴らした。

 あの風体、あの図体で、当たる直前にかわした。正面から来ると見せておいて、なんと情けない男だ。怒りを力に換え、槍を握り両脚で馬体を噛む。相手は再び向かって来ている。次は、逃がさん。

 全力を以って、串刺しにしてやる!


『逃げるなよ臆病者!』


 雄叫びと共に敵将が迫る。

「何言ってんのかわかんねーよ」

 呂布は両太腿を締めて赤兎を掴んだ。左足から駆け上がる痛みの反動で、全身に力が漲る。いい感じだ。身を縮め、赤兎と呼吸を合わせる。力強い振動。これを、乗せる。敵もさっきより速い。見る間に距離が詰まる。もう2歩。鬼気迫る猛突進。相手が身体を動かした。来る!巨大な弩で放たれたかのような加速。同時に時間の流れが遅れ始める。一直線に槍が伸びる。まだだ。駆ける赤兎の後足が大地に着く。穂先が迫る。蹄を踏みしめる感触。ここだ!

 呂布は動いた。地を蹴った赤兎の力を、脚から腰、身体、腕へと繋ぎ、横殴りの一撃を放つ。遅くなった世界で、その一撃は異質な速度を見せた。軽く滑らかに敵の放った槍に届いた黒い戟剣は当然のようにその槍を押し出し、顔の真正面にあった穂先は大きく右へ外れていく。緊張と集中が解け、時間の流れが戻る。金属質な轟音が響いた。構わず振り切る。



 渾身の一撃が撥ね退けられるのを、豹の目は捉えていた。左に逸れる槍と共に、腕も、身体も引っ張られる。

 人馬を一体と成し、矢弾と化して突きを放つこの匈奴の猛突進において、人・馬・槍の密接は最も重要である。全ての力を発揮するにはこれらが完全に繋がっていなければならない。

 それゆえに、弾かれた槍につられて身体も、そして馬までもが左にずらされていく。

(馬鹿な!)

 これはそのまま、突進が成功していた証でもある。だからこそ、一緒に弾かれているのだ。信じ難い出来事に世界の流れが重くなり、思考だけが進む。噛んでいた脚が、馬体から外れていく。弾かれた以上当然だ、空中で馬の重さを繋ぎ続けられるはずがない。つまり、本当に弾かれたのだ。全身のばね、突きの速さ、そして馬の体重全てを乗せたその突進を、それ以上の力で。身体が槍と共に空中へ浮かんでいく。まずい!豹は手を離した。直接弾かれた槍を握っていてはどこまで飛ばされるかわからん。少しでも力を逃がさねば。間に合ったかどうかも判らぬまま、世界は加速する。




「うわあ…」

 再び呂布と交差した敵騎兵は、勢いはそのままに、槍と、人と、馬、3者バラバラに宙を舞った。大人10人分、は言い過ぎだろうか。だがそれ位のおそろしい高さに吹き飛び、落下する敵兵。曹性は思った。

(無茶苦茶にも程がある…)

「化け物め…」

 隣で見ていた張遼が、苦い顔で敵に言うかのような感想をこぼす。無言の高順は、また違うことを考えているようだった。


 撤退の銅鑼で郿城びじょう北に戻っていた張遼・高順。双方1名ずつ犠牲を出した2人の感想は一致していた。

『匈奴兵は強い』

 簡単に倒せるような雑兵ではなかった。攻撃に特化したようなその技、その動きは、こちらも同数の軍勢ならともかく、疲労困憊の少数で打ち破るのは容易ではない。一騎討ちは呂布が勝った。だが。

 張遼と高順は目を合わせ、頷く。考え得ることに大差はない。

「ちょ!敵兵が動き出してますよ!?」

「全員俺に続け!一気に蹴散らすぞ!」

 いつの間に騎乗したのか、叫ぶと同時に駆け出す張遼。高順の率いる20騎以外が、これに続いた。返事をもらえなかった曹性は文字通り取り残される。高順はといえば、こちらもいつの間にか騎乗していた。

「この20は残す。ここの守りは任せた」

「え?ちょっと高順さん?」

 つい“さん”と呼んでしまった曹性に、高順はもう一度告げた。

「任せたぞ」



 呂布の元へ向かう高順には危惧があった。

 負傷した身で一騎討ちを行い、迫る敵軍の前に一人で立ち塞がっている、この現状は問題ではない。非常に困難な状況だが、やる事は決まっている。勝てば生き、負ければ死ぬ。それだけだ。

 この場を生きても残る問題が2つ。ひとつは、若の戦い方にある。己の異常な武勇のせいか、若は常に先手を譲る。今回もそうだったが、全力を出すのはいつも相手の技を受けてからだ。おそらく無意識なのだろうが、改善せねばいつか致命的な敗北の原因となるだろう。

 もうひとつは、副官の、つまりは自分の不在である。戦いの場においても、大局的な視点でも、どんな人間にも隙はある。それを補佐してこその副官、それが、不在でどうする。今回も、互いに信頼しているからこその別行動が裏目に出ている。油断になっているのだ。広く見渡せば、董卓も、あの孫堅も、副官不在時の隙を狙われ命を落としている。次も助かるとは限らない。

「来たか、高順」

 隣に来た高順に目も向けず呂布は口を開いた。着くまで待っていたのは、単独行動を気にしている、のだろうか?確かめるように見たその横顔から窺えるのは、意志。勝利に向かいそれを手にするための強靭な意志と自信が、そこにはあった。戦を楽しむことが前面に出ていた今までとは、違う。

「張遼はあっちにいったか。なら俺たちは正面から右へ向かう。いけるな?」

「無論」

 短く答えながら、高順は思った。これは、自分のためではないな。己より優先するものがあるのだ。だからこそ、油断が消えている。

(貂蝉、か)

 女のためとは軟弱な、などとは思わない。それで強くなるのなら大歓迎である。

 最寄の敵は10数騎、そこから右へと列を成し、数100騎が荒れた斜面を駆け下る。こちらを無視し、郿城へ。猶予はない。こういう無茶は自分の役回りではない、のだが。

「…勝ちましょうか」

「おう!」

 たまにはこういうのも悪くない。



 目を閉じ、大地に転がったまま、豹は考えていた。

 一騎討ちには負けた。だが、これは漢の流儀だ。匈奴のやり方ではない。独り、負けたからといって戦自体が負けになるなど、有り得ん。身体に伝わる振動と剣戟が、戦いの継続を示している。当然、部下達は仕掛けたのだ。あの男の武勇は桁外れだが、1000の騎兵を相手にはできまい。万が一この先発隊を退けたところで、後には万の兵が続いている。

 我らの勝ちだ。

『情けない男』

 不意に聞こえた美しい声に、豹は目を開いて顔を向けた。

『自ら挑んだ一騎討ちに敗れたにも関わらず戦は続行、それでいて自分は立ち上がろうともしないなんて。匈奴では卑怯者でも将軍が務まるのね』

 口調は穏やかになっているが、あの女だ。豹は上体を起こした。激痛が体中で暴れているが、確かに、立つぐらいならなんとかなりそうだ。

『何とでも言え。我らの戦は、力が、勝利が全てなのだ』

『ならば何故一騎討ちなど?そもそも、何故郿城を狙うのです?』


 尋ねる蔡琰さいえんには、心当たりがあった。この少年を脱し切れていない将軍は、確か匈奴の王の息子で、名を豹といった。宴席で一度、見たことがある。董太師の傍で、その話に瞳を輝かせていた笑顔の少年。漢に強い憧れを抱き、その主で匈奴にも分け隔てのない董太師を尊敬していた。だからこそ、太師の黒衣だけで進軍を止められたのだ。 


『漢の文化を、吸収するためだ』

『なら一騎討ちに負けた時点でお退きなさい』

『先にも言った、勝利が全てだ』

『愚かなこと。学びに来るならいざ知らず、戦で何を得られましょう』

 豹は鼻を鳴らした。

『我らとて、穏便に小城を頂く予定で来たのだ。こうなったのは成り行きだろうが』

『それならなおのこと、兵を退いて…』

『女、おまえの小うるさい理屈など知らん。戦いになった以上、勝って奪う。もちろん、おまえもだ。覚悟しておくんだな』

 蔡琰は美しい顔で冷たく笑った。

『本当に、情けない男。武勇で敗れ、部下に任せて戦気取りの卑怯者が、奪う?誇りも無い蛮族が、漢人の誇りを甘く見ないことね』

 豹は蔡琰を睨み上げる。冷ややかに見下ろしたまま、蔡琰は1歩下がった。

『蛮族の手に落ちるなら、我らは自ら命を絶ちます』

 そう言うと懐から短剣を取り出し、鞘から抜き放った。その刃を帯に差し込み、切り払う。帯は風に舞い解け、衣の胸元が開いた。

『それでも奪うと言うのなら』

 蔡琰は開いた衣を両手で掴むと、

『今、ここで奪うがいい!』

さらに大きく開き、肩から背中に落とす。

『さあ!その手で、その力で!奪って見せなさい!』


 豹は息を飲んだ。

 乾いた風が剣戟を運び、低い地鳴りが響く戦場の中で、白い肌を露にしたその女の曲線は、あまりに美しく、衝撃と共に視界と意識を奪った。首筋、肩、胸、腰。輝く珠のようなその滑らかな肢体に、思考は止まったまま、目だけが魅了され、彷徨う。

『…力で奪う。それが匈奴の流儀なのでしょう?』

 声につられ、目線が上がる。その美しい女は、冷たく見下すでも、怒りに染まるでもなく、優しく、微笑んでいた。

 その表情に、豹は我に返った。衣を戻す蔡琰に目を奪われたまま、理解する。

“力で奪えないのなら、負けを認めよ”

 そう言うのか。

 そんな言葉は無視すればいい。しかし同時に、その通りだ、とも思えた。そして。

(そんなことではない。問題は、選択すべきは)

 この美しい女は、このまま攻めれば自害するのだ。今奪おうにも、腕もろくに上がらない。 

 退く、しかない。

 豹は笑った。身体が痛みで応えるが、笑いは止まらなかった。

 なんと美しい、なんと強い、なんと逞しい。なんという、素晴らしい女性がいるのだ。その美、その勇気、その英知。失うのは惜しい。いや、失うわけにはいかない。是が非でも、己が手に欲しい。この女に、心より認められたい。そうだ、そういうことだ。

 どうにか笑いを抑えると、豹は蔡琰に優しく告げた。

『負けだ。私の』

 優しく見守るように、蔡琰は馬を曳いて近寄る。

『ありがとう、匈奴の将よ。それでは、戦を止めて貰えますか?』

 豹はその馬を支えに立ち上がった。痛みはある。が、そんなことはどうでもいい。鈍くなった痛みを押して、馬の背に跨ると、豹は口を開かずにはいられなかった。

『私は!私は、豹と申す。どうか、名を教えては頂けませんか?』

 才媛は、優美に笑う。

『蔡琰、と申します』

『蔡琰殿、私は必ず、必ずもう一度あなたに会いに、あなたを奪いに来る。今の私には何も無いが、その時、あなたを娶るのに、あなたに相応しくなるために、何が必要だろうか?』

 痛みを忘れ、夢中で、必死で質問した若武者に、

『そうね、まずは言葉を覚えて下さいな。……守って頂けるなら、教えて差し上げてよ?』

智勇兼備のこの美女は、少女のように悪戯に微笑んだ。




「どんな妖術を使ったんだ?」

 郿城の裏門で赤兎の横に立ち、視界の奥、山の中へと去って行く匈奴の軍を見送りながら、呂布は呟いていた。一騎討ちの結果を無視するような連中が、何故急に撤退を決めたのか。蔡琰が関わっているのは間違いないのだが、当の本人は例によって優雅な笑みを見せては「疲れました」の一点張りで、何も説明する気はないらしい。

「…なんだかなあ」

 しかも、今後匈奴の連中はこの郿城を守るために(、、、、、)兵を出すというから、いよいよワケがわからない。

 ただ、呂布が感じたのは、あのいつもの優美な笑顔の中に、ほのかな温かさが混じっていた、ということくらいである。

 「若!貂蝉が!気が付いたって!」

 曹性の大声が屋敷の中から聞こえた。出てくるのも面倒ってか?赤兎の首を軽く叩き、屋敷へと走り出す呂布。その顔には、温かい笑みが浮かんでいた。


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