第五十六話 建国祭④
何曲か踊り終えて、私たちは火照った身体を冷ますためにテラスへ出ました。
もう日は暮れていて、夜風がそっと吹き抜けていきます。テラスには何人かの人影があります。でもここには私とヴァルハルトしかいません。
ヴァルハルトはライムを絞った炭酸水を傾けながら、「楽しかったな!」と笑いました。
「本当に。何曲くらい踊ったのかしら?」
「五曲か六曲だろうな。さすがに疲れただろ。足は痛くないか?」
「大丈夫よ。あ、でも少し待ってね」
私が癒しの力を使うと、ヴァルハルトは「悪い。実は少し腰が痛くなってた」とバツの悪そうな顔で頬をかきます。
「そんなところもヴァルハルトらしいわ」
「そう言ってくれるのは、アリサだけだ」
私は自覚した気持ちを持て余し、なんだか急に恥ずかしくなって俯きました。「どうした?」とひどく甘い声でヴァルハルトが聞いてきます。
なんと答えていいのか迷ってしまい、私がそっともたれかかると、ヴァルハルトはとっさに受け止めてくれました。
そのままグラスを置いたヴァルハルトに強く抱きしめられて、私はその精悍な顔を見上げます。
「⋯⋯アリサ」
ヴァルハルトはそっと私の額と頬に口付け、私の両手を取りました。
「——俺は、魔王を倒す以外にこの国の平和はないと思っていた。でも、今は魔王やその子さえアリサのお菓子を食べて笑っている。俺はアリサの優しさや芯の強さに救われた。そして、そんなところがとても⋯⋯好きに、なっていた」
私の瞳に涙があふれました。
「愛してる。きっと出会った頃からずっと。生涯、俺のそばにいてくれないか?」
ヴァルハルトはひざまずいて指輪を取り出します。まず私の長い白手袋を取り、そして指輪をはめました。指輪は銀の光沢を放ち、青い小さな宝石が輝いています。
それは、竜の鱗を用いて作れらた指輪でした。
私は上手く言葉を紡げず、こくんと頷くばかりです。でもヴァルハルトはそんな私の様子をわかってくれたようでした。
私たちは手を取ってお互いを見つめ合います。ヴァルハルトが私の髪をすき、そっと唇を寄せてきました。
私は自然と瞳を閉じます。柔らかな弾力のあるものが、私の唇を優しくついばみ、離れていきました。
「私も、私もヴァルハルトが好きよ。飾らないところも、責任感の強いところも、全部、大好き」
私がやっとの思いで言いますと、ヴァルハルトはさらに強く抱きしめて口づけてきます。二人で体温を分かち合い、ヴァルハルトは幾度も私の長い髪をすきました。
かつてヴァルハルトは私を前向きだと言いました。
でもそれは私が一人ではなかったからです。いつだって支えてくれる皆がいて、ヴァルハルトがいたから。だから私は諦めずに今できることを探し続けられました。
「帰ったらまたお菓子を焼くわ」
「次は何にする?」
「ホワイトショコラ、モカ、ミルクショコラの三層のタルトに、アプリコットのコンフィチュールを入れようと思うの。上にはいちごを飾るのよ」
「ショコラが好きだって話したからか?」
「うふふ、ないしょ」
「教えてくれたっていいだろ〜?」
からかうような言葉に私は笑顔でごまかしました。とは言っても、ヴァルハルトにはとっくに悟られているに違いありません。
ヴァルハルトは抱きしめたまま私の首筋や耳に口づけ、そっと身体を離します。そのままライム入りの炭酸水を傾け、これまで話せなかったことを語り合いました。
「俺は浄化の効かない魔物の討伐を続けながら、物作りを始めようと思う。アリサが俺にその喜びを教えてくれたんだ」
「ヴァルハルトは器用だから、きっと何でも作れるわ」
「また元の世界にあったものを教えてくれるか? 色々作ってみたい。出来れば、アリサの思い出も一緒に」
「ええ⋯⋯。嬉しい。すごく嬉しい」
ヴァルハルトは唇で私の涙をすくい取って、「次は結婚式の相談だな!」といつもの調子で続けます。
「王都がいいか? それとも⋯⋯」
「出来れば、タハラの街が良いの。ずっとお世話になった街だから」
「そうするか! きっと魔王もエステルもシュクレも来てくれる。賑やかな結婚式になるな」
「また一つ楽しみが増えたわ」
帰ったら、きっとまたエステルやシュクレが飛び出してくるでしょう。魔王も遊びに来ているかもしれません。
そして、私たちはみんなでタルトを作ります。ヴァルハルトが好きだと言ってくれたショコラのタルトを。みんなで楽しく、これからのことを話し合いながら。
そこにはもう恐ろしい陰謀の影はありません。私は追放されてから今までを思いました。これからも何が起こるか分かりません。
でも、きっと大丈夫です。
私はこれから皆と、ヴァルハルトと歩いていく人生に思いを馳せ、静かに光る指輪にそっと触れました。




