第三十六話 ナッツ風味のマーマレードクロスタータ④
「そなたは我が息子を救ってくれた人間か。遠路はるばるご苦労だった。我々竜族はそなたを歓迎する。さて、今宵はどのような御用かな?」
「陛下。突然の不躾な来訪をお許しください。私どもの世界で異変が起きており、ご助力いただくために参りました。ただ、その前に以前息子さんに食べてもらったお菓子を持ってきました。よかったら、召し上がってください」
「ほう、菓子か」
私がリンツァー・ トルテとクロスタータを取り出しますと、竜王よりも子竜たちが色めき立ちました。周囲の竜たちも目をらんらんと輝かせています。
竜王のそばに控えていた家臣らしき竜が、毒味なのか一口だけ齧りました。そして感極まったようにボッと火を吐き、竜王に何事かを報告します。
竜王は長い髭をふるわせ、「こんな美味いものは、長い竜生においてついぞ食した覚えがないと話している」と笑いました。
私はまず竜王の前に一番大きなタルトを置き、それから次々に寄ってくる竜たちに配りました。竜たちはむしゃむしゃとかぶりつき、時々唸り声をあげています。竜王も目を細めながら一口齧り、「ふうむ」と感心したような声をもらしました。
「人間の食す菓子とは、なんと摩訶不思議なものか。非常に甘く、香ばしく、爽快である。我が息子が喜ぶはずだ。帰還してから、そなたの菓子の話ばかりしていた」
「光栄です。陛下」
「我らはそなたに救われた。同じく我らにはそなたの危機を救う義務がある。竜は受けた恩を決して忘れぬ。さて、我らは何をすべきかな?」
私は人為的な瘴気、及びそれの及ぼす影響について報告しました。私の浄化の力では払いきれないことも。
竜王はふむと頷き、「それは、彼の西の国の禁忌とされる魔法だ」と答えました。
「西の国とは、ノーザンド帝国ですか?」
「人間の言葉ではそう呼ばれている。彼の国では、古来より人心をかき乱し、掌握する魔法が伝えられていた。その一種であろう。対象の妬みや恨み、狂気を増幅させ、同時に魅了させる」
『魅了』の言葉に、私はレスティを褒め称えていた騎士団の騎士や少女の話を思い出しました。
「対抗するすべは無いのでしょうか?」
竜王は長い尾を一振りし、家臣に何かの合図を出しました。家臣は奥の洞穴へ行き、水晶のような宝玉を持ってきました。宝玉は星のように煌めき、微かな光を放っています。
「地層に堆積した竜の鱗が結晶化したものだ。そなたの持つペンダントよりも強力な加護を与える。それを持っていきなさい」
「竜の国の皆さんはお困りにならないですか?」
「心配ご無用。結晶は複数あり、強力な結界を張っている。そなたがこの国に近寄れたのは、ペンダントを持っていたためだ。本来、誰もこの国には近寄れん」
「御心遣いに感謝申し上げます」
「それを使えば、悪しき魔法をほぼ浄化し魅了も解除できるだろう。最も、あまりに強力な穢れは浄化できん。加えて、そもそも魅了が効かない者もいる」
「そんな人間もいるんですか⋯⋯?」
「その通り。心から愛する者がいると魅了されぬと聞く。最もそんな人間が今時存在するのか疑問ではあるがな」
竜王は冗談めかしてウインクし、機嫌よく翼をはためかせました。
「そうだ。一点のみ忠告する。結晶の浄化の力は非常に強力だ。もし相手にかけられている魔法が強ければ、それだけ身体に負担がかかる。数日寝込む可能性もある」
「分かりました。よく覚えておきます。他には何かありますか?」
「欲を言えば、またあの菓子を持ってきてもらっても良いか? 実に美味かった。しばらくは忘れられそうにない」
「もちろんです。また新作をお持ちしますね」
「その宝玉も転移の力を宿しているため、いつでもこの国へ来られる。楽しみにしておるぞ」
竜王はふぉっふぉっと笑って、ボッと小さな火を吐きました。
私は何度もお礼を伝え、竜の子どもたちと遊んでいたフレイヤに乗り、皆に手を振りました。竜たちは飛び上がって見送ってくれます。
銀竜の子は結界のギリギリまでついてきて見送ってくれました。
「キュウ〜〜〜!!!!」
鳴き声は遠く遠く響き、私とフレイヤの背中にいつまでもこだまします。
私は手綱を握り、フレイヤの背にしがみつきながら、竜王の言葉を思い返していました。
真に愛する人がいれば魅了は効かない。
銀竜のペンダントを壊されても、ヴァルハルト様は何もお変わりないようでした。もしかしたら、レスティの魅了の魔法が効かなかったのかもしれません。
ヴァルハルト様には想う方がいる。
その事実は、私の胸の内を強く締め付けてなかなか離れてくれませんでした。




