第三十五話 ナッツ風味のマーマレードクロスタータ③
クロスタータ、リンツァー・トルテ、販売用のタルトを数日かけて作り、いよいよフレイヤに乗って竜の巣へ行く日になりました。
エステルとシュクレは、マジックハウスの前で私にしがみついて離れません。私は二人の頭を撫で、魔王に頭を下げました。
魔王は「なぜいきなり身体を前に倒す? 何の意味がある?」と不思議がっています。私は慌てて右手を左肩に当てました。
「すみません。私の住んでいた世界では、お礼やお詫びの意味で頭を下げます」
「いきなり身体を傾けられても、私たちは戸惑う。異界とは不思議なものだ」
「いいな〜。私もシュクレもアリサの元いた世界に行ってみたい」
「面白い物もありますが、あまり空気が綺麗ではないですし、魔法もありませんよ」
「魔法がないのにどうやって生活するの!?」
「それを話し出すと長くなりますから、また今度にしましょうね」
いつもの会話を楽しみ、いつもの光景を目に焼き付け、私はもう一度エステルとシュクレを抱きしめました。
魔王は「店は私たちに任せておけ。私もマジックバッグを持っている」とぶっきらぼうに呟き、ふっと笑いました。
「お前のタルトは世界を変える。後は臆さぬことだ。魔族が味方についているのを忘れぬように」
「行ってらっしゃい! エステル!! 待ってるからね!!」
「チュウ〜!!!!」
「行ってきます! みんなも気をつけて!!」
フレイヤがばさりと飛び上がり、私は皆に手を振りました。フレイヤはそのままくるりと南へ方角を変え、ぐんぐん飛んでいきます。心地よい風が吹き抜け、後ろの半島がどんどん遠ざかっていきました。
私は胸元のペンダントを覗きました。ヴァルハルト様は見たこともないような険しい表情で、山道を登っているところでした。
横にはレスティ様の姿も見え、ヴァルハルトのたくましい身体にしだれかかり、豊満な胸元を押しつけくっつくように歩いています。
私は軽いめまいがしましたが、もう揺らぐのは止めようと手綱を握り直しました。
「私はタルトを届けるだけです」
真っ直ぐ、フレイヤは海の彼方へ向かいます。
どれほど飛び続けたでしょうか。たまに海に突き出た岩礁で休憩する他、ほぼ止まらず南へ南へ、空の旅は続きます。
フレイヤは夜も目を光らせて、休まず飛んでくれました。たまに眠気に襲われましたが、そのたびフレイヤが海面すれすれに飛び水しぶきで起こしてくれました。
「フレイヤ。タルトを食べる?」
「キュイッ!!」
持ってきたお菓子はフレイヤの体力を回復させてくれたようで、墜落しそうにもならず、安定した飛行を続けます。
私はフレイヤが岩礁で止まった時のみ仮眠をとり、持ってきたサンドイッチを食べて身体を休めました。湯浴みはできませんが、浄化の力で身体を清潔に保ちます。
そうして、五度日が昇ったり沈んだりを繰り返したその後。
私たちの眼前に、ついに大きな島が広がりました。
島と言っても、木々は端に生えているだけで、中央は大きくくぼみまさしく谷のようになっています。
谷は段々になっていて、何頭かの色とりどりの竜が何事かと空を見上げているのが確認できました。
勝手に上陸するわけにも行かず、数度空を旋回していますと、「キュウウウゥ!!!!」という甲高い鳴き声が聞こえて、一頭の銀の竜が全速力でこちらへ飛んできました。
「まあ、久しぶり!!」
いつか皆で助けたあの子竜でした。翼はたくましく、尾は長く、立派に成長しています。
子竜ははしゃぐように私たちの周りを飛び回り、私がリンツァー・トルテを投げますと器用にキャッチして食べました。
「キュウウ! キュウウウ!」
「キュイ〜!!」
フレイヤとも気が合ったのか、竜の言葉で会話をしています。
「子竜ちゃん。あなたの家族に新作のタルトを持ってきました。それから、私の力ではどうしようもない事件があり、出来れば助けてもらいたいのです」
私が語りかけますと、子竜はコクンと頷いてグングンと谷の中心地へ降りていきました。
フレイヤも急降下し、私は振り落とされないようしっかりしがみつきます。
たくさんの竜たちの好奇心に満ちた視線を浴びながら下降していくと、竜の谷の一番下に、大きな黄金色の竜が寝そべっていました。隣には子竜にそっくりの銀の竜、そして、赤や緑、青色の子どもの竜がいます。
「キュウ! キュウ!」
竜の子が黄金色の竜に必死に訴えますと、黄金色の竜は金色の瞳を開き、どこか眠たげに私を見つめました。




