第二十五話 タルトタタン①
夜、一人になると私は必ず竜のペンダントを見つめて、ヴァルハルト様が映っていないか確認しました。
ヴァルハルト様はかなりお忙しい様子で、ほとんどお顔を見かけることはありませんでしたが、極稀にお互いのタイミングが合うと、手を振って笑いかけてくださいました。
先日、柄の悪い男性に絡まれた際も、距離を問わず助けに来てくださいました。お礼もろくに言えなかった点が心残りで、帰ってこられたら大好きなショコラタルトやフルーツタルトをたくさん作ろうと、私はレシピを考えながら待っていました。
しかし、一月過ぎても、二月過ぎても、王都からは何の音沙汰もありません。三月が過ぎたころ、私はさすがにヴァルハルト様の身辺が気がかりで、お菓子作りに手がつかなくなってきました。
「ねえ、アリサ。最近様子がおかしいわ。大丈夫?」
エステルにまで心配をかけてしまい、私は慌てて微笑んで「大丈夫ですよ」と答えました。
「ごめんなさい。ヴァルハルト様が戻ってこられないので⋯⋯」
「私も気になっていたの。ねえ、よかったら、街で情報収集してこよっか? 最近、アリサは働きづくめだったし、家でゆっくり休んでて! シュクレと出かけてくる!」
「チュウ〜!!」
そう言って、エステルとシュクレはワイバーンに乗って街へ飛んでいきました。
私は二人に感謝しながら、椅子に腰掛けてほうっとため息をつきました。
銀竜のペンダントを覗き込み、ヴァルハルト様を思い浮かべます。ペンダントには何も映らず、ただ、銀色の断面がちらちらと揺れているだけでした。
怪我をしておられないか、何かトラブルに巻き込まれていないか。
——それとも。
報奨を得て、王都で落ち着かれる可能性がないとも限りません。何せ一度は魔王を追い返した英雄ですから。
でも、ヴァルハルト様は必ず戻ると言ってくださったのです。信じて待つ。私にはそれしか手がありませんでした。
一人になってどれほど時間が経ったでしょうか。私はコンコン、という扉をノックする音で我に返りました。
おそるおそるドアを開けると、なんとまあ、魔王がフードをかぶらず堂々と外に立っています。長い銀の髪がなびき、頭には先日見かけなかった角が生えていました。
「すみません。今、エステルは出かけていて⋯⋯」
「承知している。先程様子を見てきた」
「あ、そうだったんですね。では、私に何かご用ですか?」
「⋯⋯」
魔王はなぜかケーキ型のようなものと、リンゴをたくさん渡してきました。
野性味あふれるかなり整った顔立ちの魔王がリンゴを持っていると⋯⋯。決して口には出しませんが、なんだか可愛らしいですね。
「フルーツのタルトを考えていると聞いた」
「ええ、そうです。今も少しずつ出していますが、生物なのでたくさんは出せません」
「フルーツはよく知らん。だが、リンゴのタルトケーキなら知っている」
「リンゴ、ですか?」
魔王の持つケーキ型とたくさんのリンゴを見て、私はハッと前の世界のお菓子を思い出しました。
タルトタタン。
フランスのパイに近いタルトです。確かにこれは熱を加えますから、生のフルーツタルトよりは日持ちをするでしょう。
「お好きなんですか?」
「⋯⋯妻が、よく作っていた」
魔王の顔にほんの少し憂いが差しました。エステルは、お母様が亡くなったと話していました。魔王は今も奥様を深く愛しているのでしょう。
私は奥へ行って、魔王のアドバイスで完成したタルト・オ・ フロマージュ・モカを持ってきました。
「ありがとうございます。陛下には助けていただいてばかりですね」
「人間と馴れ合う気はない」
「お陰様で、モカのタルトも完成しました。よかったら、召し上がってください」
魔王は黙ってタルトを受け取り、パクパクと気持ちのいい食べっぷりで口にしました。
「理想の味だ」
「コーヒー豆でこんなに変わるんですね」
「他にも試してみるといい。コーヒー風味のタルトは、チーズ以外にもあるだろう?」
「はい! ショコラ・モカ、キャメル・モカなど、色々あります」
「必要なら、コーヒー豆も置いておこう」
「良いんですか?」
「構わん」
私はエステルがいい子である理由がわかったような気がしました。口調はそっけないですが、根は優しい魔族なのでしょう。
そして、私は魔王が何かを口にするたび光を放っていることに気がついていました。おそらく、浄化の力です。魔王に、もう人を害そうとする意思は感じられませんでした。
「陛下⋯⋯。その、お怪我はいかがですか⋯⋯?」
私はこれまであえて触れないようにしていた点を尋ねました。ヴァルハルト様がつけた傷を、庇護されている私が気にかけるのはおこがましいかもしれません。ただ、どうしても聞かずにはおられなかったのです。
「完治している。跡は残ったがな」
魔王は服の肩の部分をずらして、傷跡を見せてきました。槍で斜めに切り裂かれたような裂傷が走っています。確かに傷口は完全に塞がっていますが、見た目はかなり痛々しいです。
「治療、しましょうか。おそらく跡も消せますが⋯⋯」
「いらん。これは自身への戒めだ。次は負けぬ」
魔王はぶっきらぼうに断って、それからフッと笑いました。
「そなたは他人ばかり気にかけている」
「そんなことはありません」
「エステルがなつくはずだ」
「エステルに救われているのは私の方です」
「ふん」
魔王はそっぽを向きますが、言葉とは裏腹にどこか嬉しそうでした。私は先日の去り際の魔王の言葉を思い出し、気にかかっていた点を聞いてみました。
「陛下。先日、王都で不穏な動きがあるとおっしゃっていました。差し支えなければ、教えていただけませんか?」
「⋯⋯私にも感知できない瘴気が立ちこめている」
「それはもしや、黒い靄のような瘴気でしょうか⋯⋯?」
私が何度か対峙した「浄化の効かない魔物」の話をしますと、魔王は一度だけ頷きました。
「あれは、自然の瘴気ではない。人為的なものだ」
「人の手で作られた瘴気ですか!?」
「おそらくは。そして、そんな瘴気を払い、崇められている者がいる」
「まさか⋯⋯」
私が信じられない思いで絶句していますと、魔王は「確証はないがな」と付け加えました。
「瘴気は生きとし生けるものの負の想いから生まれる。我々からも出てはいるが、人の妬みや嫉みに勝るものではない。そして、王都に蔓延する瘴気は、何者かが魔法で他者の負の感情を増幅させ、形を与えたものだ」
魔王はそれだけ話すと、また前と同じように踵を返して唐突に去っていきました。
私は大量のリンゴを持ったまま、唖然としていました。しかしいつまでもそうしている訳にはいかないと、タルトタタンを作るためキッチンへ入ります。
リンゴを洗って切り始めたところで、ドタドタと大きな足音が聞こえました。




