第二十三話 タルト・ オ・フロマージュ・モカ②
フードのお客さまは今日も私が一人で接客をしている時に来られました。エステルは私たちの飲み物を買いに、商店へ行っています。
タルト・オ・フロマージュ・モカの売れ行きは上々で、これなら午前中の分を売り切ってしまえると安堵していた時、いつか来られたあのお客様が気配なく現れました。
「新作か?」
何の前触れもなく突然来られたので、私は驚いて挨拶も忘れてしまいました。
「え、ええ。そうです。コーヒーパウダーを効かせた苦みのあるタルトです」
「一つもらおう」
「かしこまりました。こちらをどうぞ」
フードのお客さまは以前と違って味を確かめるように一口ずつかじり、時折何か考え込んでいます。
「コーヒーパウダーは何を使っている?」
「アラリア公国の深煎り焙煎のコーヒー豆を使用したパウダーです」
「わずかだが、タルトの中身とのバランスが崩れている。中深煎りの豆の方がいい。用意はあるか?」
「すみません⋯⋯。利用している商店の販売が、深煎りの物しかありません。豆は中深煎りの扱いもありますが、手持ちのコーヒーミルでは製菓用パウダーほど細かくできないかと思います」
「この店はいつまで営業している」
「午前中で一度閉めて、午後から再開する予定です」
「午後に再度来る」
短く呟いて、お客さまは去って行かれました。ちょうどそこへエステルが戻ってきて、遠ざかっていくお客様をチラと見て首を傾げました。
「あの人誰?」
「今日で二回目の方です。コーヒーについてアドバイスをくださったんです。午後にもう一度来られるそうですよ」
「ふ〜〜〜ん⋯⋯」
エステルはなぜか含みのある相槌を打ち、お客様をずっと眺めていました。
「ねえ、午後にもう一回来る時、私もいても良い?」
「もちろんです。一緒に接客をしましょう」
私とエステルは飲み物を飲んで少し休憩し、またタルトを売り始めました。今までどちらかと言えば女性のお客様が多かったのですが、モカは男性のお客様にも好評です。
ただ、試食した女性のお客様からは「少し苦味が勝っているかもしれない」とご意見がありました。まさしくあのフードのお客様がおっしゃった通りです。
午前中で一度帰ってまた戻ってきた後もずっと考えていましたが、なかなか名案は思い浮かびませんでした。そうして、午後の販売を始めて一の刻ほど経過したころ。
背中に斧を背負った大柄の男性が来店されました。冒険者風のその男性は黒黒とした髭を生やし、背丈は二メートル近くあります。
「タルトとかいう菓子を売っているのはあんたか」
「はい、私です」
「あんた、王都を追放された聖女なんだってな。そんな姉ちゃんのタルトがプラチナなんて信じられねえ。どんな汚え手を使ったんだ」
「私は正規の手続きを踏み、お金もきちんと払っています。不正はしていません。詳細は商業ギルドへお問い合わせください」
「はっ! んじゃあ、俺がその味を確かめてやるよ。試食をよこしな」
気がすすみませんでしたが、試食用のタルトを渡すと、男性は端をほんの少しかじるふりをして、その腕を大きく振りかぶりました。
「何すんのよ!!」
エステルが飛び出そうとしたその時。
「やめろ!!!!」
「菓子を粗末にするのは感心せんな」
太くモジャモジャした腕を、両脇から二人の男性が掴みました。
「ヴァルハルト様!?」
「父様!?」
私とエステルが同時に叫びます。赤い髪にあかね色の瞳のヴァルハルト様が右腕を、長い銀髪をなびかせた紫の瞳の男性が左腕をつかんでいました。
「いってえ!! 何すんだテメエら!!」
「それはこちらの台詞だ。アリサとエステルに手出しはさせない!」
「娘の菓子を投げるなど言語道断」
二人が両脇からぎりぎりと締あげたため、男性は悲鳴を上げました。
数分その状態が続いた後、男性は這々(ほうほう)の体で逃げ出したのです。ヴァルハルト様は何かの支度をしていたのか、服装が着替え途中の礼服のようになっています。
「⋯⋯悪い、助かった。俺が言う資格もないが、アリサとエステルを守ってくれ。頼む」
ヴァルハルト様はフードの外れた男性に向かって困ったように笑いかけ、また——ヒュン! とその姿を消しました。
「父様〜〜〜!」
幸い誰にも見られていなかったようで、また深くフードをかぶり直した男性に、エステルがしがみつきました。
信じられませんが、フードの男性はエステルの父、魔王だったようです。魔王はエステルを抱き上げ、強く強く抱きしめました。
「長らく迎えに来られず、すまなかった」
「そうよ〜。アリサが助けてくれなきゃ、大変なことになってたんだから!」
「最初は力付くでもエステルを取り返そうかと考えたが⋯⋯。体調が回復し、何より見たこともないような笑顔だったのでな。少し様子を見ていた」
魔王はエステルを抱き上げたまま、私に向き直ります。
「私のおらぬ間に随分と好き勝手してくれたようだ。おかげで、あの地の魔物の魔性がほぼ無くなっている」
「申し訳ありません。しかし、聖女として、人に害なす魔物を放置することはてきません」
「⋯⋯エステルに免じて、今回は目をつぶる。全く、あの勇者と行動を共にするなど、娘のお転婆にも困ったものだ」
「ねえ、父様。ヴァルハルトは悪い人じゃないよ。私のこと切らなかったよ。それに今だって、遠くから助けに来てくれた」
「⋯⋯」
魔王は明言を避け、エステルを抱いたまま屋台へ進み出て何かを置きました。
「礼の代わりだ。エスプレッソ用細挽きコーヒーミルだ。製菓用にも使えるだろう」
「あ、ありがとうございます⋯⋯」
「エステル。このまま私と帰るか? それとも、体調さえ良いなら、この地に残ることも許そう」
「いいの!? 本当に!?」
「魔界にいる時よりよほど楽しそうだった」
魔王はエステルを降ろして、最後にフードをかすかに揺らしながら私に向き直りました。
「アリサ⋯⋯と言ったか」
「はい。アリサ・リンドウです」
「今、王都で不愉快な気配がある。勇者の身辺も気を付けた方が良い」
「王都、ですか? もしやヴァルハルト様の身に何かが!?」
私が返事をする前に、魔王はローブを翻し「⋯⋯感謝する」とだけ呟いて去っていってしまいました。
「お父様ったら素直じゃないわね〜」
エステルがニヤニヤしながら屋台から父親の背を見送っています。
屋台の上には、食べられなかった試食用のタルトがころんと転がっていました。




