第五話 されたいことを描いていた私は今、されて嬉しかったことを描いている
「……私は、公爵令嬢としては、あまり褒められた趣味ではありません」
「猫を描くことが?」
「猫、だけではなく……」
「問題ない。人物画については、法の範囲を調べ直す。頒布が禁じられているのであって、私的な習作まで禁じているわけではないはずだ」
国王陛下と同じ理屈だった。
でも、殿下の目は笑っている。
「殿下……それはいささかグレーでは……」
「もちろん、無理に描かせるつもりはない。ただ、君が描きたいものを、すべて罪にしたくない」
前世で、私はずっと締め切りに追われていた。
描きたいものを描いているはずなのに、求められるものに合わせて、寝る時間を削って、身体を削って、最後は机の前で力尽きた。
今世では、描きたいものは禁じられていた。
だから猫にした。
冗談みたいな抜け道で、欲を包んで、笑える絵にした。
それを、この人はちゃんと見つけてしまった。
「ソフィア。あなたを、正式に妃として迎えたいと思っている」
殿下は、私の前に片膝をついた。
茶会のざわめきが、一瞬遠くなる。
「……殿下」
「もちろん、今すぐ返事を迫るつもりはない。だが、これだけは先に伝えたい」
青い瞳が、まっすぐに私を映した。
「僕は、あなたの絵を隠したいのではない。あなたが描くものを、一番近くで見ていたい。あなたが白猫を描くなら、その子がもう雨に濡れなくていいように、何度でも外套を差し出したい」
そんな言い方をされたら、断れるわけがない。
ずるい。黒猫よりずっとずるい。
私は、差し出された手を見つめた。
指先には、まだ少しだけ赤ワインの色が残っている。殿下が拭いてくれたのに、爪の際に薄く染みが残っていた。
それすら、今日の証のように思えた。
「……喜んで」
私は、その手に自分の手を重ねた。
「ただし、殿下にはこれから先、モデルもお願いするかもしれません」
「猫の?」
「いいえ……人物、の方です」
殿下の目が、わずかに見開かれる。
それから、彼は嬉しそうに笑った。
「それは、光栄だ」
こうして、前世は締め切りに追われる漫画家、今世は猫絵で王太子の心を射止めた公爵令嬢の物語は、思いもよらない結末へ向かうことになった。
カサンドラ・エインズワース侯爵令嬢は、王家主催の茶会での盗みと妨害により、しばらく領地で謹慎することとなった。
その後、彼女は慈善事業として、保護猫活動の担当になった。
王妃陛下いわく、「猫を推すなら、まず猫そのものを理解なさい」とのことだった。
令嬢たちの間では、黒猫派と銀猫派の論争が一時激化したが、最終的に「白猫ちゃんが幸せならよい」という結論に落ち着いた。
そして私は、正式にアレクシス殿下の婚約者となった。
人物画の頒布は、今も禁じられている。
だから「にゃんこ夜会」は、相変わらず猫の物語だ。
ただし、王太子妃となる私の私室には、鍵付きの画帳が一冊だけある。
そこに描かれているのは、黒猫ではない。
雨の日に外套を差し出す手。
ほどけたリボンを結び直す指。
私の逃げ道を塞ぐのではなく、私が逃げなくてもいい場所を作ってくれる、美しい人の横顔。
「ソフィア。次の新作はまだか」
その画帳を見られるのは、世界でただ一人。
「一番の読者として、進捗を確認しに来た」
「締め切りを作らないでくださいませ」
「では、差し入れだけ置いていく」
机の端に、焼き菓子の皿が置かれる。
私は筆を置き、思わず笑った。
前世でも今世でも、私は結局、締め切りからは逃れられないらしい。
けれど今は、机に突っ伏す前に、私の手から筆をそっと抜き取ってくれる人がいる。
「休憩しよう、ソフィア」
「……あと一枚だけ」
「その台詞は、昨日も聞いた」
アレクシス殿下は苦笑して、私の肩に外套をかけた。
紙の上では、白猫が黒猫の隣で丸くなっている。
私はその横に、小さく新しい線を足した。
白猫の尻尾が、黒猫の尻尾にそっと触れる。
されたいことを描いていた私は今、されて嬉しかったことを描いている。
それは、前世の私が知らなかった、新しい絵だった。
最後までお付き合いありがとうございました。
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