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いきなりの毒傷からの吸血、そして甘い秘密〈中編〉

いきなりの毒傷からの吸血、そして甘い秘密〈中編〉


コンコン。

聞き取れないほど小さなノックが響く。

「入れ」


ドアを細く開けた隙間から眉を八の字に寄せたアネットが顔を覗かせる。


「そんなところから覗いていないで入るがよい」

「はい……あの、さきほどは……ほんとうに……申し訳ありませんでした」

「過ぎたことは仕方ない。これからきちんと仕事してくれればいい」

「はい……」

「弟はプライドが高いからな。明日ちゃんと謝るように。ああ見えていいところもあるんだ」

「……はい」

「よし、わかればいい。もう下がっていいぞ」

「はい。すみませんでした」



「私は……反対です! アネットにそんな危険なことを……」

「大丈夫よ、エルゼママ! こんなときのために私がいるのよ。ね、レオンパパ、そうよね?」

「ああ……いや、とはいえ、おまえはまだまだ駆け出しのレベルなんだが……」

「いいえ! だめです! ヴァンパイアのところに潜入するなんてそんな……うっ、ケホケホっ」

「ママ!」

「エルゼ!」


咳き込むエルゼに夫のレオンとアネットが心配そうに近寄る。


「大丈夫よ。ちょっと今大きな声を出したのでむせてしまっただけ……」

「アネット、いつものローズティを」

「うん!」


ソファにクッションを積み上げ、エルゼはそこにもたれかかった。

もともと色白ではあるが、その顔色はすぐれず、いつもなら輝きに溢れる瞳にも元気がない。

アネットが手早く入れてきた温かなお茶のカップを受け取ると、フーフーとさましながら飲み下し、ようやくその頬にはほんの少し赤みがさしてきた。


「ふう。おいしいわよ、アネット」


「うむ…やはり薔薇のエキスは一定の効果が見られるな」

「だから、レオンパパ! 私がゴットハルト家に潜入してヴァンパイアの薔薇を持ち帰るって言ってるじゃない!」


花屋で働くエルゼは花だけでなく、さまざまなハーブや薬草も扱っている。

だが、先日うっかりと選別中に吸い込んでしまった新種の芥子のエキスはヴァンパイア一族に伝わる秘薬中の秘薬だったようで、その後解毒剤を用いても、どうにも回復がはかばかしくない。

妻を深く愛する医師のレオンは、手を尽くして回復法を調べ、やはりヴァンパイア一族に伝わる薔薇の解毒剤が効くであろう、という情報をつかんだのだ。


ここ、ドラコニア公国においてヴァンパイアの血族はもっとも由緒ある高貴な一族とされている。

だが、ヴァンパイア……吸血鬼といっても、いまや中世の言い伝えのドラキュラなどとはだいぶ違うものだ。

人間の生き血を闇雲に吸うことはもはやなく、十字架や太陽の光もさほど問題ないし、ニンニクだって食べようと思えば食べられる。


ただ、ヴァンパイアは異形の魔族ゆえの秀でた身体能力、明晰な頭脳、優れた容姿をもってして、国家の政治や事業においてなくてはならない存在となっており、かつての王族や貴族に匹敵する地位を築いていた。

そして、いまや希少となった数少ないヴァンパイアの中でもゴットハルト家はもっとも高貴な一族とされ、同種族での婚姻で細々と血を繋ぎ、今残る本家は当主のカールとその弟フリードのふたりだけとなり、彼らがどこのヴァンパイアの娘を伴侶に娶るのかは、ドラコニア中の注目でもあった。


ここドラコニア公国に現存する魔族はヴァンパイアだけではない。もちろん生息する知的生物の9割は普通の人間であるが、古には妖狐と畏れられた狐族、神聖視されることも多かった人狼族や竜の一族の末裔なども細々と生きながらえている。それでいうとレオンとエルゼは狐の血をつなぐもので、その類まれな知的能力をそれぞれ医師、薬剤師で発揮していた。


アネットは、レオンがまだ独身のころに下働きとして雇った孤児の少女で、とびきりの愛らしさと不思議に察知がよく、また、たいそうレオンになついたこともあり、そのまま引き取り、今では看護師のタマゴとして奮闘中だ。やがてと出会ったエルゼと結ばれたのちも、ふたりして実の娘のように可愛がってきた。


長じるにつれ、小さく尖った犬歯と日光への耐性のなさから、まさか、とレオンがその血と出生を調べ、なんとヴァンパイアと人間のミックスだと判明したのはアネットが16歳のときだった。


「魔族と人間のミックスは偏見を持たれることもあるからな……あまり人には言わないほうがいいだろう」

「うん、わかった」


アネットの察しのよさや優れた記憶力、飛び抜けた容姿はヴァンパイアの血のなせる技だったのか……心配するレオンのその眼差しは、実の父親そのものだった。





(ゴットハルトの薔薇園は簡単には入れないって、レオンパパが言ってた……兄弟のどっちかと仲良くなって薔薇をわけてもらうか、秘薬の作り方を教えてもらわないとなのに……)


なんとかメイドとして潜り込めたのに、いきなりやらかしてしまった自分にため息をつきながら、アネットは自室へとトボトボと歩いていた。

母屋と使用人の家屋をつなぐ渡り廊下に出ると、今夜は満月なのか、まるで昼間のように明るい。太陽が少しばかり苦手なアネットにとって月は大好きな味方だ。

その静謐な輝きを満喫しようと、渡り廊下の手すりから身をのりだす。


(急げ……こっちだ!)

(わかってる、あせるな!)


とたんに不穏な声が耳に入ってきた。小さなささやきのような声だけど、アネットは聞き逃さない。

いったいどこから……とあたりを見回すと、いきなり後ろから大きな手のひらで口を覆われた。


(しまった……!)


ゴットハルト一族は敵も多いから、とにかく気をつけろとレオンから口を酸っぱくして言われていたのに……アネットはもがくが、抑えてきた手はびくともしない。それどころか、さらにがっしりと抱え込んでくる。


「しっ……! 静かにしろ、俺だ」


だが、耳元で囁かれる声はさきほどダイニングで聞いたばかりのものだった。自分を包む甘い薔薇の香りにも今さらながら気づく。


「フリード……さま!」

「黙ってろ」


そう言うとフリードはアネットをそこにおき、ひらりと手すりを乗り越えて、表庭に降り立つ。と、そのまま指笛を高らかに鳴らした。

ヒューーーーーイ。


どこからともなくボディガードたちが現れ、庭園に忍び込もうとしていた2人組を即座にとらえ、フリードの前に差し出した。賊のふたりは情けないほどふるえて、縮み上がっている。


「貴様ら、ゴットハルトの庭園に忍び込もうだなんて、いい度胸だな」

「くそっ……なんで気づいたんだ。門番にも犬にも一服盛ったのに……」

「フン。俺たちの五感もずいぶんと見くびられたものだ。あれだけ派手に忍び込みやがって、バレないとでも? で、目当てはなんだ? お決まりの薔薇か?」


(薔薇……)

ドキン、と渡り廊下から一部始終を見ているアネットの胸が高鳴る。


「ずいぶんとうちの薔薇は高く売れるらしいからなあ、とくに闇マーケットでは」

「うるせえ! もったいぶりやがって! とっとと殺せ、血でも吸いやがれ!」

「お前らのような下賤な血を吸ったら病気になるわ。セドリック、表に追い出せ」

「かしこまりました」


「ブーッ!」

「あぶない!」


その瞬間、アネットは手すりを飛び越え、フリードの前に躍り出た。両手を後ろで縛られていた男のひとりが突然口から長い舌をのばし、小さな矢のようなものを放ったのだ。


「ちっ、こいつら蛇族の生き残りか」


苛立ったフリードは琥珀の瞳をギラリと光らせる。

途端にふたりの蛇男は脱力したようにヘナヘナと座り込んでしまった。


「だせ」

フリードの鶴の一声でその場にいたしもべたちはすみやかに動き、力を失った2人の賊を何事もなかったかのように、表へと運び出していった。


ふとアネットを見れば、左肩を押さえながら脂汗をかいて、うずくまっている。


「当たっちまったのか。見せてみろ」


フリードはしゃがみこみ、アネットのメイド服の袖をびりっと破いた。

そこには蛇族の男が放った小さな毒矢が刺さり、その周りはすでに青黒く変色している。


「カールさまをお呼びしましょうか」

セドリックの問いにフリードはかぶりをふる。

「いや、これなら俺だけで大丈夫だ。それにこの騒ぎには兄貴だってもう気づいてるだろ。おまえはもろもろ後処理を頼む。ここはいい」

「かしこまりました」


「さて……」

アネットとふたり、庭に残ったフリードは今一度傷口を調べる。


「痛むか?」

「う、だいじょ、ぶです、おかまいなく……」

「んなわけねーだろ。ちょっと最初だけがまんしろ。俺だって蛇毒はいきなり味わいたくねえ」


そういうとフリードは毒矢をひょいと抜き、ぎゅっとその傷口を絞るようにする。


「いたた……」

「今度は違う意味で、嫌でも我慢しろよ?」


そう言うと、アネットの肩に唇をよせ、そっとその傷口を舐めはじめた。

柔らかな舌で何度もすくうように矢の刺さった場所をなめるほどに、どんどん痛みが引いていき、そのうち、くすぐったいような何とも言えない気持ちになってきた。


「ふ……ふあ……」

思わず声がもれたところで、フリードが唇をはなす。


「どうだ、だいぶいいか?」

その声はダイニングでの嫌みタラタラの口調とは違い、心から自分の傷を心配してくれているのがわかる。


傷の痛みによる涙をたたえたまま、フリードを見上げると、どうしようもなく申し訳ない気持ちが込み上げてくきた。

「あ、あの……さっき……」

「あ?」

「いきなりワインかけちゃって、ごめんなさい」


傷の痛みもあいまって、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちるのを止められない。


「おい、どうした! まだ傷が痛むのか? もう毒は全部取り去ったはずだが……」

見るとアネットの顔が赤くなり、冷や汗のようなものが浮いている。

これはおかしい、と今一度肩の傷を見ると先ほどよりも腫れている。

くそ……そうか、こいつにもヴァンパイアの血が流れているから……)


蛇族が放った毒はヴァンパイアの天敵であるニンニクによるものだったのだろう。

いかに耐性がついてきたとはいえ、ヴァンパイアにとっては決して得意なものではなく、ましてや人間とのミックスであるアネットには刺激が強かったのかもしれない。


「すまん、傷痕は残さないようにするから」


フリードがキラリと琥珀の瞳を煌めかせると、ふだんは目立たない犬歯が急に大きくなったように見えた。

そしてそのままアネットの毒の傷口にそっとその歯を食い込ませていく。


肌の下まで歯が届いたところで、中の毒が全部出てくるように少しだけ噛み裂き、意図をもって吸い上げる。

ニンニク特有の香りにフリードもうっとなるが、一気に吸い上げ、そのまま吐き出す。

それを何度か繰り返すうちにようやくすべての毒を吸い上げることができた。

見ると、肩の傷口は相当なもので、そこそこの痛みにアネットの涙はとまらず、なかば気を失ったようだが、毒による反応はほぼなくなっている。


「もう少しの我慢だ」

そういうとフリードは今度は傷口を癒すようにふたたび舐め始める。その腕の中でアネットは自分を包む薔薇の香りがどんどん強くなるのを感じていた。

フリードはといえば、毒消しと傷の手当てに一心不乱であったが、ようやく先が見えたところで、ふと心が揺れた。

このまま少しだけ血も吸いたい……と。


フリードとてヴァンパイアなのである。

ふだんは薔薇のワインや合成の血液でしのいでいるが、やはり新鮮な血が欲しくなることもある。

けれど、ゴットハルト家においてはむやみに吸血することはこのうえなく野蛮なこととされ、フリードはこの年になるまで、人間の血というものは味わったことがなかった。


自分の腕の中で先ほどまで涙を流し、息も絶え絶えだった少女はようやく頬がピンク色になってきた。

フリードの歯で切り裂かれた噛み跡もほぼほぼ塞がっている。

それはそうだ。ヴァンパイアの唾液には最上の治癒効果があるのだから。


(ほんの少しだけ‥‥)

誘惑に負け、フリードはほぼふさがった傷口に今一度犬歯を立て、軽く、ごく軽くアネットの血を吸ってみた。


これはいったい‥‥その瞬間、これまでの人生でいちども味わったことのない、なんともいえず甘美でまろやかで奥深い味わいが口中に広がり、フリードは陶然とする。

かぐわしく甘いその味わいに、ふと気づくと我を忘れてアネットの血をトクトクと飲む自分がいた。

一口嚥下するほどに、全身のすみずみ、指先にまで活力がみなぎり、頭はさえざえと澄み渡り、一方で下半身のある部分は熱のあるように疼く。


(くそ‥‥なんなんだ、これは‥‥!)

かけめぐる甘美な躍動にフリードはアネットの血を飲むことを止められずにいた。


「もう、そのへんにしておけ」

はっと気づくとカールに肩をつかまれ、アネットから引き剥がされていた。

当のアネットはといえば、ほおの涙もすっかり乾き、すやすやと眠っているように見える。フリードが噛み裂いた傷口はすっかりもとのなめらかな肌に戻っている。


「セドリック、アネットを自室へ」

「かしこまりました」

「フリード、大丈夫か。初めてだろ、生身の血は」

「あ、ああ‥‥」


いきなり離されてしまった喪失感に呆然としながら立ち上がると、くらりとめまいがする。

「おっと、気をつけろ。まだキャパオーバーかもしれん。つかまれ。とりあえず屋敷に戻ろう」

「ああ、すまない、兄貴」



「これでも飲んで少し落ち着け」


フリードとふたり、応接室に戻ったカールは薔薇をふんだんに使ったローズティーを差し出した。


「サンキュ」

立ち上る薔薇の香りを深々と吸い込み、ゆっくりと味わう。


「なあ、兄貴はこれまでに飲んだことあるのか」

「生身の人間の血か? ある」

「そうか……正直、ここまでとは思わなかった。合成のヤツとはまるで違うんだな。美味かった……のはもちろんなんだが、あんなに自制が利かなくなったのは生まれて初めてだ」

「そうか。ずいぶんと強い刺激だったようだな」

「強い、なんてもんじゃねーよ。吸血は官能と深く結びついてるってのも知識ではわかってたけど、マジ、いっちまうかと思ったわ」


さきほど痛いくらいに脈打っていた下半身の疼きを思い出し、フリードは顔が赤くなるのを自覚する。


「おい、ちょっと待て。そこまでではないぞ」

「は?」

「確かに生身の血は、合成や薔薇エキスとは比べものにならないくらい美味で活力をくれるが、そこまでじゃない。そういえば確かにさっきアネットの血を飲んでいたおまえはだいぶ逸脱していたように見えたな……」

「ああ、とてもじゃないが歯止めがきかなかった」

「ふむ…それはやはりあの娘がミックスだから……かもしれん」

「そうなのか?」


「フリード、いずれ俺たちは同じヴァンパイア族の娘を娶り、子孫を残していかねばならないのはわかってるよな」

「ああ……理解してる。でもまだまだ先だろう? なにしろ俺たちの寿命は人間とはくらべものにならないくらい長いし、その気になれば冬眠を繰り返して不死でいることだって」

「まあ、そうだ。だからおまえはいい年になっても女に目もくれないのか?」

「そのセリフ、そっくりお返ししていいか」

「ははっ。そうだな。まあ、そのことはおいておいて、フリード。ヴァンパイアの女性と婚姻を結ぶときは互いの生き血を交わし合うのは知っているよな」

「ああ、わかってる。交わし合うというと聞こえはいいが、つまりは互いの血を飲み合うんだろ」

「身も蓋もないな。まあいい、そういうことだ。で、その血の味はこのうえなく美味で活力をくれるのだそうだ、ただし‥‥」

「ん?」


「愛していないヴァンパイアの血を飲んでもそうはいかない。むしろ拒絶反応を起こして、飲み込むこともできないほど、まずいらしい。これが、俺たちヴァンパイアが簡単に結ばれない、気軽に婚姻ができない理由のひとつでもある。当然、拒絶反応がおきる相手とのあいだには子孫をなすこともできん」

「へえ‥‥」


「だからなおさら、人間とヴァンパイアのミックスである、あの少女の血におまえがそこまで夢中になったことが気になるんだ」


後編に続く



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