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秘密の薔薇園で御曹司は恋を知る〈後編〉

秘密の薔薇園で御曹司は恋を知る〈後編〉


翌朝、自室で目覚めたアネットは実に気分爽快だった。

半透明の遮光カーテンのかかる部屋には心地よい量の日が差し、うーんとベッドの中で伸びをすると、体中に気持ちよく血が巡るのを感じられる。


えい!とベッドから起き上がり、支度をしに洗面室へ向かう。

メイド用の部屋とはいえ、シャワーやトイレがついているのはさすがのゴットハルト家だ。

いつものように、洗面台に立って顔を洗おうとしてアネットは驚く。


「なんか…今日…」

肌は透明感と輝きにあふれ、緑の瞳はいつも以上にキラキラしている。

もともと幼いころから美少女と言われてきたアネットだが、今朝は自分で見ても、なんだかいつもよりかわいいような気がしてしまう。

(うーん、立派なベッドでぐっすり寝たからかな?)もともと呑気な性格ゆえ、安易にとらえ、洗面をすませ、着替えようと寝巻きを脱いだ。


(あれ? そういえば昨日はどうやって寝たんだっけ?‥‥あ!)

ふと考えると同時に、フラッシュバックのように一気に昨夜の出来事が思い出された。

あわてて、蛇男に毒矢を刺された左肩を見ると、傷は跡形もなく、白くすべすべのままだ。そういえば、と、フリードに肩を噛まれたことも思い出し、一気に顔が赤くなるのも自覚した。


(そうだ…最初はすごく痛くて、だんだん毒で熱っぽくなったんだ。それをフリードさまが舐めてなおしてくれて、だんだん気持ちよくなって、そのまま眠くなっちゃったんだ)



「おはようございます」

遅めのブランチのサーブのため、ダイニングに入ると、すでにカールもフリードも着席している。


「アネット、昨日は災難だったようだな、セドリックに聞いた。毒がまだ残っていたりはしないだろうな?」

「ありがとうございます。もうすっかり平気なようです」


(ほう‥‥)

快活に答えるアネットを見て、カールは心の中で感嘆する。

(ひと晩でいちだんと美しくなった。これは‥‥)


「あの……フリードさま。昨日は、その、私の毒を、その、なおしてくれて、ありがとうございました。おかげですっかり元気になりました…その…ワインをかけたのはほんとにごめんなさい」

「お、おう」


これまでアネットに目を合わせていなかったフリードが気まずそうに、目を上げる。

「なっ! お、おま……!」

「は、はい?」


(こ、こいつ、なんだか一晩でめちゃくちゃかわいくなってないか? いや、昨日からじゅうぶんかわいかったけど……って、ちがう! なんでこの俺さまが、誇り高きゴットハルトの一族の俺がこんな人間とのミックスごときに……)

「違う! そうじゃない!」

そう叫ぶと、フリードはダイニングから飛び出してしまった。


「まったくあいつはいつまでたっても……アネット」

「は、はい、カールさま」

「ちょっと追いかけて少し話してやれ」

「はあ……でも、いったいなにを……」


アネットの問いに、カールは一瞬考え込み、やがてふっと笑った。

「昨晩、あいつに手当されてどんな気持ちになったか、話してやるんだな。ああ、行き先はおそらく薔薇園だ」



セドリックに教わった道をたどり、アネットは恐る恐る薔薇園への入り口を目指していた。


(こんなに早く薔薇園に入れることになるなんて……それにしてもフリードさまのご様子はいったいどうしたのだろう)


薔薇園が近づくにつれ、甘やかな香りがどんどん濃くなっていく。

(これ……昨日フリードさまから香ってきたのといっしょ)


禁制の薔薇園だというからどれだけ厳重な入り口なのかと思っていたのに、たどり着いてみたらそこには小さな薔薇のアーチがあるだけで、扉も鍵もない。

園そのものはぐるっと生垣に囲まれていて、中の様子は見えないが。


だが、朱赤の薔薇が絡むアーチをくぐって中に入ろうとすると、とたんに跳ね返るような衝撃を感じ、尻もちをついてしまった。


「誰だ!」

薔薇園のなかから声が響き、額にかかるくせ毛の隙間からギラギラと金色に光る瞳がのぞかせながら、フリードが姿を現した。


「あ……」

腰を抜かしたアネットがそのままずるずると後退りすると、すっとフリードの眼光が弱まり、アーチをくぐって外に出てくる。

「なんだ、おまえか……おおかた、兄貴にでも言われてきたんだろ。吹き飛ばして悪かったな。ここは侵入者が多いんだ」

そういうと、アネットの手をとって助け起こしてくれる。


「あ、ありがとうございます。ゴットハルトの薔薇園といえば有名ですから」

「ふん、だから昨日のようなやつが後を絶たない。バカなやつらだ。これまで一度だってここに入れたやつはいないのに。生きて帰れただけでもありがたいと思え」

「あ、じゃあ、昨日の蛇男たちは逃がしてもらえたんですか」

「ああ? 当たり前だろ。俺たちは余計な殺生は好まない。だいたいが、ヴァンパイアに関するくだらない伝説や物語が多すぎるんだ」

「ふーん……」

「なんだ? 信じてないのか」

「違う違う!違います! 昨日だって、私のことすぐに助けてくれましたし! まっずい蛇の毒だって吸い出してくれたんですよね……」

「あ、ああ、まあな。うちにしのんだ賊のせいで使用人が傷つくなんてまっぴらだからな」

「ふふ……ありがとうございます」

「な、なにニヤニヤしてんだよ、このチビ!」


(ここで薔薇園にいれてもらえれば……? チャンス到来!)


「あの……フリードさま、私も薔薇園のなかにはいってみたいなーなんて」

「ああ? おまえみたいなハンパなミックスなんかいれねーよ」


(ちっ、なんだよ、こいつもやっぱりうちの薔薇が目当てなのかよ)

フリードの瞳が暗い色に染まっていく。


そうは、簡単にはいかないよな、とアネットのほうは気持ちを切り替えた。


「いいか、俺はこの薔薇園の当主だ。兄貴はゴットハルト家の当主だけど、薔薇園は俺のものだ」

「そうなの?」

「なんだ、わりーかよ?」

「あわわ……そうなんですか。それで薔薇園の当主というのは何をするんですか」

「んん? ずいぶん、興味があるんだな。まあいい、おまえも半分は同族だからな。ヴァンパイアにとって薔薇はパートナーともいえる存在だ。薔薇の香りは俺たちをリラックスさせるし、エキスは活力をくれる。まあ、いわば血の代わりだな。ティーやワインにして飲むのはそのためだ」

「はい。私も家でローズティーは飲みます」

「そうか。けどな、ここの薔薇でつくったティーやワインはもっと特別だ。純粋培養で生きてきた俺たちの命を支えてるものだからな。だから俺はこうして丹精こめて育て、守っている」

「フリードさまが薔薇を育ててるのですか」

「いや、こいつらは何千年もこの土地で生きてるからな。自然に育つ。ただ、気持ちを注ぐのが大事なんだ」

「気持ち……?」

「そうだ、水とか肥料とかじゃなくて、俺たちがここの薔薇を必要として大切に思って愛しているということを伝えるのが何よりの栄養になる。そして、薔薇たちもそれに応えて、いろいろなものを俺たちヴァンパイアにくれる。もちろん、見た目の美しさ、香り、エキス……そして、癒しの効果」

「はっ! それって……」


「そうだ、おまえも聞いたことがあるだろう? ゴットハルトの薔薇の秘薬のことは。昨日みたいなやつらが金儲けのために欲しがるのはそのためだ。バカなやつらだ。薔薇だけ盗っていっても、素人が扱えるものじゃねーのに」

「そう……なんだ……」

「ん? どうした? なぜおまえがそんな悲しい顔をする?」


(かわいいな……眉が八の字になって。でもやっぱり泣いた顔が……いやいや、俺はなにを……!)


「フリードさま!」

「うわ! どうした」


いきなり大きな声を出したアネットにフリードは飛び上がる。しかも突然胸にすがりついてくるではないか。


「うわ! お、おまえ、なんだ! 女がそんなことをするんじゃない!」


絶世の美男子でありながら、女への免疫がまったくといっていいほどない、この生真面目な御曹司は自分の胸にしがみつくアネットに激しく動揺する。


「フリードさま! 私、ゴットハルト家のために、いえ、フリードさまのためならなんでもします! 私の血を飲んでもいいし、一生メイドとして、いや、奴隷としてお仕えします! だから、だから……」

「おい、なんなんだ、いきなり……いや、その、血といえば、昨日うっかり吸血してしまったのは悪かった。その……具合が悪くないといいんだが」

「へ? 昨日の吸血? いえ、そんなことどうでもいいです。いつでもどこでも吸ってください! だからお願いです、ゴットハルトの秘薬を分けてください! お願いします!」

「はあ? おまえ、何いってるかわかってるのか?」

「わかってます! 私の……私の育ての母が新種の芥子の毒にやられて治らないんです。薔薇のお茶でときどきよくなるけど、すぐ戻っちゃうんです。だから……」


「この、ばかやろう!!!」

「ひっ!」

「なんで、そんな大事なこと、すぐに言わない!!」

「ほ、ほあ?」

フリードの胸にしがみつきながら涙をいっぱいにたたえて、アネットが見上げる。


(くっ、くそ、……かわいい……)


「な、なに……?」

「いいから来い!」


そういうと、フリードはアネットの手をとり、薔薇園のアーチをくぐり抜ける。さっきは衝撃で跳ね返ったのに、当たり前だが今度はすんなりと入れた。


「すごい……」


そこはこの世とは思えない、さながら薔薇の楽園が広がっていた。真紅を中心に、ありとあらゆる色の薔薇がそこに存在し、馥郁たる香りとしなやかな花弁が織りなすハーモニーに、アネットは我を忘れて立ち尽くす。


「ようこそ、ゴットハルトの薔薇の園へ」


見ればフリードが見事なボウアンドスクレープをしてたたずんでいる。

琥珀の瞳は金色を通り越して、プラチナのように光輝き、漆黒の髪が逆立っている。


「……本物のヴァンパイアがいる」

「いかにも」


ニヤっとフリードが微笑むと、ふだんは形を顰めている尖った牙が、これまたキラリと口元からのぞいた。


「おまえのも見せてみろ」

ほおに手を当てられ、言われるがまま、アネットは「いーっ」と犬歯が見えるようにした。


「ははっ。ちっせえ牙だな」

「だ、だって私はミックスだから……たぶん、一生血を吸うことないし」

「それは……どうかな。さ、こっちだ」


案内されてたどりついたのは真っ白な薔薇が群生する一角だった。

「ほとんどのやつはゴットハルトの薔薇の秘薬を勘違いしている。それはエキスでも煎じ薬でもない。当然レシピもない」

「そ、そうなの?」

「そうだ」


答えるとフリードは真っ白な薔薇を数本摘み取って束ね、ふーっと息を吹きかけた。

するとみるみる白薔薇が黄金色の輝きをまといながら小さくなり、フリードの手のひらにおさまるくらいのミニチュアのブーケになった。


「これを持っていけ」

「へ?」

「これをおまえの母上に持たせて、香りを吸わせて……おそらくただ持つだけでもじゅうぶん効果はあるだろうが」

「これ……」

「これがゴットハルトの薔薇の秘薬だ。ここの薔薇は、目的にあわせて俺が選んで俺が命を吹き込むことで、初めて秘薬になる。芥子の毒消しを想定して吹き込んだから、これでいい。しばらくは部屋にでも飾っておけ」

「フリードさま……」

「これが俺が薔薇園の当主であるゆえんだ。俺たちはこの薔薇を命を救ったり、病を治したりすることには惜しみなく使っている。加工したものを製薬会社にも卸しているんだ。けれど、あまりにも効果があるから、伝説がひとり歩きするし、昨日のような闇取引目当てのバカがやってくる」


「おまえのような命知らずの勘違いもな」

「カールさま!」「兄貴!」


「おまえの育ての母……エルゼといったかな。優秀な薬剤師でもあるんだろう? 早く薔薇を持ち帰って治してやれ。おまえの母上の店にはうちも昔から世話になっている」

「もしかして兄貴、こいつの魂胆に気付いてたのか?」

「ああ、メイドへの応募のタイミングが不自然だったし、なにか狙いはあるかなと思ってはいたが。まあ、身元はしっかりしてたし、うちも人手不足だしなあ。しかし母上の命がかかっていたとは。まさか、おまえここに忍び込んで薔薇を盗むつもりだったんじゃないだろうな」

「はは……」


「「図星か」」

見目麗しい兄弟は同時に額に手を当てた。


「ほら、持っていけ。小さくしたからお前のちっせえ手でも落とさないだろ、チビ」

「あ、ありがとう……ありがとうございます!」

「いいから、早く行け」

「はい!」

アネットは白薔薇の束を大事に手のひらにのせ、アーチに向かって走り出した。



「よかったのか?」

「なにが」

「このまま家に帰して」

「どういう意味だよ」

「いや、腰が抜けるほど美味な相手には、ヴァンパイアといえどもなかなか会えるものではないからな」

「……るせ」


「フリードさまーーー!」

見るとメイド服のスカートの裾を翻して、アネットが駆け戻ってくる。


「どうした、忘れ物か」


ちゅ。


アネットはフリードに近づき、そのままほおにちゅっと口付ける。


「お礼です! あともうひとつ!」


ちっちゃなちっちゃなその犬歯でフリードの首筋を、かぷっと甘噛みする。悲しいかな、アネットの犬歯ではとてもじゃないけど、肌には刺さらない。

小さな薔薇色のしるしが2つ残るだけ。


「これはお返し!」


そういうと、顔を真っ赤にしたまま、またくるりと踵をかえし、今度こそアーチの向こうに消えていった。



「おい、しっかりしろ。生きてるか」


そこには首すじを押さえながら、薔薇よりも真っ赤な顔でうずくまる、ヴァンパイアがひとり。


「あいつ……おぼえてろよ」


高貴で真面目でふるいつきたくなるほど美しいヴァンパイアと、ピュアで予測不能な訳ありメイドの物語は始まったばかり。



おしまい






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