第9話 塩倉庫の鼠たち
夜の港は、昼より騒がしかった。
塩倉庫の前に着いたとき、炎はすでにほとんど消えていた。火の手が小さい。倉庫全体を焼くつもりではなく、何かを隠すための火だとすぐわかる。
「怪我人は」
「なし」
ヘレナが答える。
「見張りの二人が物音に気づいて駆けつけたら、火は入口だけ。裏手から人影が二つ逃げた」
私は焼け焦げた扉の縁を指でなぞった。油ではなく樹脂系の火付け薬。強く燃えるが長くは保たない。
「中を見ます」
倉庫内は焦げ臭い。だが塩袋の山は無事だ。代わりに、奥の床板が不自然にずれていた。
ノエルがランタンを向ける。
「床下があります」
板を外すと、細い通路が現れた。大人ひとりがやっと通れる幅。塩倉庫から裏の路地まで抜ける、密輸向きの穴だ。
「鼠の道ですね」
私が言うと、ヘレナが笑った。
「ちょうどよかった。うちの連中もそう呼んでる」
通路の中には、半分焼けた帳面と、小さな布袋が落ちていた。布袋の中身は青影草の粉末。帳面には荷印と数字、そして見慣れた三本線の波紋。
サヴァラン商会。
さらに頁をめくったノエルが顔を上げる。
「日付が厨房の納品と一致します」
「やはり港から台所へ流れている」
私は帳面を受け取った。だが数字の並びの中に、一つだけ異質な記号がある。王都の会計局で、裏口送金に使われる略号だ。
その記号を見た瞬間、胃の底が冷えた。
王都の人間が、ただ関わっているのではない。
王都式の帳簿処理を、この密輸で使っている。
「伯爵様」
振り返ると、エイドリアンは火の残り香の中でも表情を変えなかった。
「これは食事の問題では済みません。港湾税と密輸の両方が絡んでいます」
「だろうな」
「それと」
私は頁の端を示した。
「この略号は王都会計局の内輪記号です。普通の商人は使いません」
ヘレナが舌打ちする。
「王都まで腐ってるのか」
「上まで、かもしれません」
その時、外で馬のいななきがした。
夜の倉庫前へ、王都式の飾り金具を付けた馬車が滑り込んでくる。こんな時間に、こんな場所へ、わざわざ。
御者が扉を開く。
降りてきた男の顔を見て、私は息を止めた。
レオン・ハードウィックが、笑っていた。




