第8話 戻れという命令
命令書は、王宮会計局と内務局の連名になっていた。
内容は簡潔だ。
『王宮毒見役リディア・フェルナーは、夜会当日の毒混入事件再調査のため、七日以内に王都へ出頭せよ』
辞職届を受理しておいて、今さら毒見役の肩書きを使う。
「雑ですね」
私が言うと、執務机の向こうでノエルが眼鏡を押し上げた。
「かなり。普通なら出頭要請は王家名で来ます」
「つまり」
ヘレナが腕を組む。
「勝手に脅してる」
エイドリアンは命令書を一読し、机へ置いた。
「行く気は」
「ありません」
返答は即座だった。
王都へ戻れば、レオンは私を「説明のつく便利な犯人」に仕立て直すだろう。真相を探るためではない。塞ぎやすい口を、王都の塀の中へ戻したいだけだ。
「ただ、無視もしません」
私は命令書の余白へ指を置いた。
「辞職受理の控え、夜会の給仕記録、杯の保全を行った証人名。こちらから正式に照会します」
「強いな、お前」
ヘレナが感心したように笑う。
「強くなければ、毒見役は務まりません」
そう言い切ったものの、胸の奥では別の感情も渦巻いていた。怖くないわけではない。王都は私の失敗も癖も、利用の仕方もよく知っている。
それでも戻らないと決められるのは、ここに戻る場所ができ始めているからだ。
「返書はどうする」
エイドリアンの問いに、私はまっすぐ答える。
「ヴァルト辺境伯家の雇員として、証拠の開示を求めます。出頭は、事件資料の提示後に検討すると」
「検討?」
「行くつもりはなくても、すぐ切り札を見せる必要はありません」
その答えに、エイドリアンはわずかに口角を上げた。
「いい」
マルタが返書の準備へ出て行き、ノエルは関連書類を集めに向かう。部屋から人が減ったあと、窓際に残った私へエイドリアンが声をかけた。
「王都が怖いか」
否定はできなかった。
「ええ」
「なら覚えておけ。怖いものへ戻らないことは、逃げではない」
私は振り返る。
「選択だ。ここではそう扱う」
簡単な言葉なのに、喉の奥が熱くなった。
王都では、私が望まないことを飲み込むのが大人だと言われ続けた。けれどこの人は、戻らないことを選択だと言う。
その夜、返書は早馬で出された。
私は少しだけ眠れそうだと思った。だが安堵は長く続かない。
真夜中近く、屋敷の下方から鐘が鳴り響く。
火急の合図だった。
ヘレナが扉を叩きながら叫ぶ。
「塩倉庫で火事だ!」




