第7話 港町ゼファールの甘い匂い
翌日、私はヘレナと一緒に港へ下りた。
ゼファール港は朝から騒がしい。網を干す漁師、樽を転がす荷運び、値段で怒鳴り合う商人。王都の市場より雑然としているのに、不思議と流れはよかった。誰もが自分の役割を知って動いている。
「好きか」
横を歩くヘレナが訊く。
「この匂いですか」
「港そのもの」
私は潮風を吸い込んだ。塩、魚、鉄、焦げた縄、柑橘。それに、どこか菓子みたいに甘い匂いが混じっている。
「嫌いではありません。甘い匂いだけ、少し気になりますけど」
ヘレナが眉を上げる。
「甘い?」
「ええ。砂糖ではなく、香油に近いです」
匂いを辿って通りを曲がると、外国船向けの香辛料商が並ぶ一角へ出た。色鮮やかな布、乾燥果実、胡椒、丁子、樹脂。王都なら貴族向けの高級品として並ぶものが、ここでは雑多に積まれている。
その中で一軒だけ、甘い匂いが強すぎる店があった。
看板には「サヴァラン商会」とある。
「王都で見た印です」
私は箱へ刻まれた商会印を指した。塩壺の底にあった焼き印と同じ、三本線の波紋。
「よく見てるな」
「見るのが仕事でしたから」
店の前へ近づくと、店主らしい男が笑顔で出てきた。四十前後、つやのある口髭、指輪だらけの手。
「おや、美しいお客様だ。珍しい香をお探しですか?」
「この匂いは何ですか」
「海蜜花の油ですよ。魚の臭み消しに使うと最高でして」
海蜜花。
その花油自体は無害だ。けれど強い甘さで、苦みや青臭さを覆いやすい。毒の匂いを隠すには都合がいい。
「辺境伯家にも卸していますか」
私が何気なく尋ねると、男の笑みが一瞬だけ止まった。
「ええ、まあ。最近は少しだけ」
「塩袋にも?」
「さあ、そこまでは」
曖昧な返答。
その時、店の奥から屈強な荷役男が木箱を運んできた。箱の隙間から青灰色の粉がわずかに見える。
私は視線だけで追った。
海蜜花の香りに紛れているが、その奥に乾いた根の匂いがある。
青影草だ。
ヘレナも気づいたらしい。私を庇うように半歩前へ出る。
「その箱、開けてもらおう」
「おっと、軍の捜査ですか?」
店主が笑みを深くした。
「それなら書面を持ってきていただきたい」
正論だ。今日の私はただの雇員で、港湾検査官ではない。
無理をすれば逃げられる。
「今日は結構です」
私が引くと、店主はあっさり頭を下げた。
だが店を離れた直後、後ろから少年ではなく成人の伝令が駆けてきた。二十歳そこそこの男だ。
「リディア様! 辺境伯邸へ急ぎ戻るようにと。王都から至急の命令書が届きました」
嫌な予感が背筋を撫でる。
嫌なことほど、だいたい当たる。




