第33話 海霧の倉庫と青い封蝋
海霧の濃い夜だった。
港外れの古い倉庫を囲む兵の足音まで、霧が吸い込んでいく。私はエイドリアンとヘレナの間に立ち、わずかに開いた戸口を見つめていた。
中では小さな火が揺れ、誰かが封蝋を溶かしている。
「今です」
合図と同時に扉が開いた。霧と一緒に兵が流れ込み、驚いた男たちの手から印章と木箱が落ちる。床には青い蝋、偽の王宮印、そして辺境伯家の紋章まで転がっていた。
「全部揃っていますね」
私が言うと、ヘレナが落ちた文書を拾い上げる。
「春の献上宴、席順、提供順……調達官フェナールの私印です」
倉庫奥の机には、入れ替え前後の品目表まで置かれていた。高価な香辛料は一部だけ本物を混ぜ、あとは粗悪品へ差し替える。何か起きれば、ゼファールを経由したせいだと言い張れる形だ。
捕えた番頭が喚く。
「俺は命じられただけだ! 王都の旦那が、辺境伯の港へ泥を塗れって!」
霧の中で、エイドリアンの声だけが冷たく澄んだ。
「名前を言え」
「バルテル・フェナールだよ! あんたの女が戻らなければ、王宮の失態も辺境のせいにできるって……!」
一瞬、世界が静まった気がした。私を戻すためというより、失敗の責任を押しつけるため。なんとも王都らしいやり方だ。
けれど今の私は、あの頃の私ではない。
「書類を全部押さえてください」
私は兵へ指示を出し、自分でも机上の帳面を抱え上げた。青い封蝋は冷えれば固まる。固まった嘘は、証拠になる。




