第30話 伯爵は台所に鍵を増やす
翌朝、厨房の扉には新しい錠が三つ増えていた。
倉庫、下ごしらえ室、食器棚。さらに鍵束まで新調され、ひとつは私の前へ差し出される。
「重いですよ」
掌へ乗せると、想像以上にずしりとした。エイドリアンは平然としている。
「軽い信頼よりいい」
思わず笑ってしまう。こんな言い回しをする人だっただろうか。
「全部、私に?」
「台所へ入るものと出るものは、君がいちばんよく見ている。なら鍵も君が持つべきだ」
王宮で渡されたのは、責任だけだった。権限はいつも別の人間の手にあった。だから何か起きれば、守る術もないまま責められた。
けれど今、鍵は私の掌にある。
「預かります」
そう答えると、エイドリアンがふっと息をついた。
「無理はするな」
「していません」
「昨夜はしていた」
反論しようとして、言葉が詰まる。確かに私は、消えた箱を見た瞬間、走り出していた。
「君が走るなら止めない。ただ、次は最初から私も走る」
低い声が近い。視線を上げると、灰色の瞳がまっすぐだった。
「仮の承諾は、まだ有効だろうか」
心臓がまた静かに速くなる。
「ええ」
「なら、こういう時に隣へ立つ権利も欲しい」
私は鍵束を握り直した。
「もう立っていますよ」
その瞬間だけ、無愛想な伯爵ではなく、少しだけ安心した男の顔になった。鍵は重い。けれど、不思議と嫌な重さではなかった。




