第十四話 白霧探査 / 首謀者
―――此処は、どこだ?
―――ああ、確か俺は、あの父親に……………。
―――わからない。今の俺の姿が、わからない。只一つわかることは、もう人のカタチでは無いことだけ。
今は、元の姿なのか、それかもっとヒドイ姿なのか、わからない。わかりたくもない。
「ははッ、腹が減ったなぁ。かあちゃん、また作ってくれよ、あの麻婆豆腐。俺、それしか食べれないからさっ……」
無駄に強がってみたが、やっぱりダメみたいだ。
「……………かあちゃん…………」
意識が闇に墜ちる。
寒い。暑い。冷たい。熱い。
意識が闇に囚われる。
今一度、母に逢いたい。
それは届かない、アーバの思い。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ふむ。まだ沈まぬか、透よ。無駄に耐久性はあるな、いやはや感服に値するよ。ハハッ!!あははははははっ!―――」
メルググラード事変。この首謀者は高らかに、そして傲慢さに満ちた笑いを上げる。己の過去の失敗を自嘲し、尚且つ其を鉄板ネタにまで昇華させる。彼の十八番だ。無論、笑うのは彼だけだが。
「やはり、やはり、やはり奏との接続は剪っておくべきだったか。んんんん、その為のツクヨ君だ。失敗は、許されないぞ」
首謀者である老人―――南風泊 頌忌。彼は、百貨店の地下に鎮座する、霧と竜、そして『魔神』の触媒となる巨大な金色の釜に触れる。
彼の手には無数のシワと生々しい傷、落ちることの無い穢れが、刻まれている。無論、崇高な計画の実現。それだけを目的に、目標に、そして生き甲斐としてきた彼には、些事である。己の肉体が穢れようが傷付こうが、些事である。
「間も無く、時が来る。待ちに待った、時が!ああ、楽しみだ楽しみだ。奏が死ねば、死ねば来るのだ。ああああ、楽しみだ。フフッあははは!!エクーネには感謝せねばなぁ。ゴルコフ君には地獄に堕ちてもらわないとなぁ。あ、いや彼は既に死んだかッ!さぞ無様に死んだのだろうなぁ……」
悪徳商人であったゴルコフのお得意様で贔屓であった頌忌。幾度となくゴルコフから幼子を、白エルフを買っていた。それも全て、崇高な計画の為に。しかし、頌忌自身は、ゴルコフを毛嫌いしていた。あくまでビジネスの関係であった。
「ツクヨ君が派手に殺した筈ぅ………うん?待て、待て待て待て待て。だが確か、ゴルコフの死体は魔恐に……………」
僅かに首をかしげ、目を細める頌忌。
別に殺す必要はなかったが、取り敢えずで殺害したゴルコフ。奴は無知で愚かであったが故に、見逃す筈であった。
「わからん、わからん。むぅう、どこで間違えたか…………ふっ、まぁよい。とっくの昔に死んだのだ。気にしたら負けだ、負け。ところで―――」
頌忌は、不意に振り返る。
そして、自分の後ろに屹立する轡井 天音に語り掛ける。
「ワシが気付かぬとでも?いやはや、いやはや舐められたものですね。んんんん、轡井家とは仲良くしていたかったのだがねぇ………仕方の無い、仕方の無い」
「…………」
天音は、何も言わない。
これを好機とみた頌忌は、彼に罵詈雑言を浴びせる。だが、天音は終始無言を貫いた。
"知った罪"によってひどく傷付いた天音。身体も心も悉くを汚染され、最早、呼吸さえも満足に出来ていない。それでも南風泊家の、かつての同志の計画を止めなければならない。彼はそう決意したのだ。そして、彼は閉ざされた口を、開く。
「…………南風泊、今なら、まだ……間に合う。やめ、るんだ。はぁ、はぁ、おまえ達、の………計画は、不完全すぎる。世界を、『此方側』を、統べる、なんて無理、だ。おまえは、魔神共に…………」
天音の息は、絶え絶えだ。只でさえ無理をしているのに言葉での説得を試みている。
「……元より、救世の魔術師………いや、灰虚の神徒なんかの贋作を、製造した、時点で………おまえは、気が狂っていたの、だな」
それを聞いた頌忌の口角は、あからさまに吊り上がる。年相応な不快さに満ちた顔に天音は、一歩二歩と後ずさり、「まともじゃない。気ちがいだ」と漏らす。
「ああ。そうだともそうだとも。ワシは気ちがいだ。否定はせんよ、否定は。なんせ、ワシは間も無く、そう間も無く神をも超越するのだ」
「……魔法にも科学にも、貪欲に手を出して………貴様、まともな来世は来ないだろう。犯罪者め。裏切り者め。叛逆者め………」
天音の口から、憎悪によって紡がれた言葉と、呪いの泥が吐き出される。内臓片と血の混じった泥だ。
「なんと!叛逆者とは、ええ、恐れ入るよ。そんな下等なものではないのだがね、許してやろう赦してやろう。轡井。貴様長くはないのだろう?だから許してやろう。ワシの目の前で、眼前で、惨たらしく死ぬのだ!邪魔者が一人居なくなる。ああ、気分がすこぶる良いぞ!長くはない付き合い、愉しかったぞ。これは嘘ではないからな―――」
地に臥す天音の背を、頌忌は容赦なく踏みつける。天音には反抗する気力が無いとわかっていての行為だ。
「…………南風泊……貴様も、此方に来いよ。貴様の計画は………既に、破綻してる、から………な」
「ほう?破綻とな」
「貴様、あの本を、探していたの……だろう。ハハッ、残念だな、俺が、俺が燃やした。それに、もう、一冊は泥の底、だ……………ぅぐっ」
臓器そのものを泥と共に吐く。
空間跳躍を用いて、メルググラードに侵入した天音。跳躍そのものでさえ身体に強い負担が掛かるのだ。呪いに蝕まれている故、その負担は何百倍にまで膨れ上がる。そして今、破裂する。
身体を裏返しにしたように、内側にある筈の、収まっている筈の臓器と血肉、そして泥が口から、鼻から、目から、況してや身体中の穴という穴から一斉に吹き出す。
皮膚は限界にまで膨らませた風船の様に、頭部は水圧に負けたボールの様に―――。
「…………なんと」
あまりの惨状に頌忌でさえ、身を引き、目を覆う。
間も無く、天音の肉体は限界を迎え、崩壊へと至った。
元より整った顔立ちではなかったが、呪いによる苦痛を経て、多少逞しくなった。だが、今や再び、彼の尊顔を拝むことは出来ないが。
「ははっ、身の程に合ったよい死様だったなぁ、轡井よ。ふむ、だがあの本を失ったのは痛いなぁ。痛い痛い。せっかく封印を解いてやったのに、肝心のターゲットを回収せずに帰投するとは………」
原型を失った骸を前に頌忌は独り、愚痴をこぼす。本来であれば、既に計画の最終段階へと移行する手筈だった。だが、要となる触媒は完成せず、外部からの思わぬ妨害を受け、大きな計画の変更を余儀なくされる。
「まったく。だがまぁよい。もう少しでワシは、神を越えるのだからなぁ!この結果は、誰にも覆せん!!」
傲慢さに満ちた頌忌の声が、静寂に包まれている地下に響き渡る。その高らかな声は、失敗の二文字を徹底的に排除し、敗北という恥を捨て、屈辱という名の破綻を圧し殺す。彼の脳内に完璧なプランが、幾重にも浮かび上がってくる。
奏というアンカーを断ち切る刻―――。
それは、新世界の到来を意味する。いずれ訪れる崩壊と新生。その中心を担う事こそ、頌忌の願いであり生き甲斐。
新生の刻は、近い。
「刹那。瞬く間…………嗚呼。なんと、なんと言えばよいこの感覚。この昂る気持ちは!異国の地であってもこの南風泊の威光は、満遍なく皆に届けられるべきである!!へぇぇえ……軍が来るか。来るのだな?」
南風泊 頌忌は、そう言い残し、地下を後にする。来る異国の軍勢を、魔恐の軍勢を、阻止を狙う陣営を、根絶やしにする為に。




