第十三話 未来の星
「おい!押すな!こっちには子どもが居るんだぞ!」
避難民の若い男が、同じく避難民である老紳士に怒りを露にする。
彼らは皆、光の川を辿り、メルググラード駅へと向かう。皆、生き残りたいの一心で歩み、邪魔と見なした全てを無情にも蹴落とし、虚飾と強がり、虚言で身を固める。
罵声と泣き声それから愚痴。それらが常に飛び交う生命体の川を、ペトナは大聖堂の立派な屋根から見下ろす。とうにガタが来たボロいコートを纏った彼女は、独り言つ。
「いつから、ワタシは弱くなったのかしら」
来る決戦に備えて、己の英気を養う。ペトナもそう思っていた。しかし、実際に口から出たのは、それだった。
「……わからないわ」
ペトナは、答えなど見当たらないと解っている。でも、訊きたいのだ。でも、知りたいのだ。
「もう逃げるのはやめた。やめたい」
ペトナは、逃げて、逃げて、逃げての繰り返しだった。無論、そう思っているのは、彼女だけ。周りから見てみれば、彼女はよくやっている。迫る責任から逃げず、常に仲間を第一に考えてきた。
「ワタシは強いのよ。強い。昔の事よ。大丈夫、だいじょうぶ、大……じょうぶッ!」
立ち上がると決めた心。決意によって固められた心の塔。天をも穿たんとする塔。しかし、土台は今にも崩れたそうだ。彼女は権能によって長く苦しめられてきた。故に、権能の行使は封印すると決めた。彼女の権能は強大だ。だが、その分代償もまた重い。そして、その封印を解く日がやって来た。来てしまった。
「………」
視線の下を流れる生命体の川に終わりが見え始めてきた。
よかった。ペトナがそう思ったその時、北部地区から嫌なモノが漂い始める。
「……何かしら?アレ」
崩落したヴァンフ百貨店から噴き出す白い霧。常闇を塗り替えるように霧は、北部地区を覆い隠す。
「霧?魔力を感じられるわ……。魔法、ね」
ペトナは、上空でジャミングをしているエヴォイに魔法で問い掛ける。
「ええ、余からも見えておりますぞ。百貨店を中心にして渦巻くように霧は動いている様ですな」
エヴォイの声が、ペトナの脳に流れ込む。
「それに霧の中から、強大すぎる魔力も感じられますよ。肌がピリピリしますぞよ」
確かに、微かにだが焼け付く様な痛みがある。しかし、気になる程度ではない。
ペトナは閑散とした川を刹那に見て、想いを馳せる。
――いつから、こうなってしまったのか。ほんの小さな、取りに足らない程に小さな間違いだったのに………。ううん。違う。あれは小さくなんてない。認めない。何て言われようとも、今度こそ、皆を護って助けて幸せにさせてあげないと。幾度、何様だと言われても、今度こそ、逃げない。逃げやしない。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
かつて失敗を繰り返して、名声を地の底へと落とした名無しの魔術師。
名を失った、カスタロフを大地を放浪とした恥ずべき根無し草。
同類、流浪の民からも嘲笑され見下された、悲運な狐憑き。
身体さえも変えさせられた悲劇に染められた女。
運良くメルググラードへと流れ着いた女魔術師は、この地で死ぬと決めた。無一文で、貧弱で、魔法からも魔術からも逃げた彼女は、狭く悪臭漂う路地裏に足を踏み入れた。誰の目にも着かない、見向きもされない路地裏へと。されど、彼女は幸運だった。この路地裏に住む、何でも屋を営む小肥りで不衛生を極めた男と出逢ったのだ。義手を弄う彼に、彼女は問うた。
「あなた、私を殺してくれないかしら」
彼女の口から吐き出された問いに彼は、怪訝と憐れみの同居する視線を返して、義手を地面に叩き付ける。力の込められた一撃は地面を少しばかり抉り、彼女の耳を穿つ。
「あぁあん?殺せと?幼いお前さんを?他を当たってくれ。もう人殺しは、ゴメンだ」
彼はやや冷徹に答えると、暗い彼女にガンを飛ばす。だが、彼からは圧を感じられない。優しさが根にあるのだろう。完全な悪態ではなく、心配と慈しみが微かに、顔から漏れ出ている。
「………あら、そう。わかったわ」
予想通りの返し。彼女は、そそくさと彼の前を通り過ぎようと足を前へ前へと進める。それと同時、心の奥底で引っ掛かる何かに気付く。
「………」
少しばかり歩いた処、少なくとも彼の視野の外で立ち止まり、強まりつつある引っ掛かりを考える。
私は、アレに………。いや、そんな筈はない!あんなデブなんかに………でも、でも。あの人なら?こんな私を、理解してくれるかしら?
彼から漏れでる優しさが、彼女の心を引き留めて手繰り寄せる。強くはない。でも、心も身体も抵抗したいとは思わない。
彼女は半身を彼へと向ける。薄暗くて狭くて臭い路地裏の奥、古臭い建物の壁に寄り掛かる彼。彼も、彼女からの視線を感じ取ったのか、気恥ずかしそうにその場を去ろうと身を翻し、歩き出す。
「………」
彼の背中には、感じたことのない悲壮感があった。全てを賭けて、失った。そう思わせる程に。無論、彼女は彼の全てを知っているわけがない。今、見て知った男だ。だが、解る。彼がどんな栄光の路を歩み、堕落し、今を生きているのか。痛い程に解る。
「………」
彼女は、じっと彼を見つめている。
――これは、興味などではない。
――これは、好奇心などでもない。
――これは、気になる訳でもない。
そう、心の中で呟く。
見つめてしまう理由が欲しい。もっとちゃんとした、証拠のある、恥ずかしくない理由。それ相応の理由が、欲しい。
「………おい。なんだよ?」
彼は、気まずそうに立ち止まり、徐に義手を弄い始める。
彼も、同じだったようだ。
古ぼけて錆びた義手はギシギシと軋み、今にも壊れそうだ。
彼は、ゆっくりと後ろへと振り返ると、頬を赤らめる彼女が立ち尽くしている。二人は、向き合ってましった。その気などないのに。
「……いえ。なんでも」
彼女は、照れ隠しのようにそっぽを向いて、答える。彼の顔を視られない。急な恥ずかしさが身体と精神を支配する。
――なんで?こんなデブなんかに。
――分からない。
――もしかして、運命……なのかな?
『運命の到来』
かつて、彼女の似非占いで浮かび出た言葉。あの時、気にも留めなかった言葉。どうでもいい、取るに足らない言葉。
「………」
沈黙が続く。
彼も彼女も、視線は何処か違う処へと向いている。20m程の距離。遠いのか近いのか分からない。しかし、この距離が気まずさを助長していることだけは理解できる。だが、後ろへ下がる事も、前へと歩む事も、今の二人には存在しない。故に、気まずいのだ。
「……お前さん、オレを見て、どう、思った?」
「――――え」
彼の突拍子のない問いに対して、彼女の情けない声が返る。
――どう思った?
――わからない。
「オレはお前さんを見て、こう思ったさ。嗚呼、オレと似ているな、って。だから………その、な。つい、なんだよ。悪い、気にしないでくれ。忘れてくれ」
彼はそう言うと、路地裏の闇へと消えようとする。臭くて、薄暗くて、じめじめと湿った、狭い路地裏へと。
先程通った路地裏。でも、今更、この路へ足を踏み入れたいとは思わない。
「ま、待って!」
不意に彼を呼び止める言葉が出る。
望んだ訳ではない。
そうすべきだ。と、思ったのだ。
望んだ訳ではない。
これは、義務だ。と、思ったのだ。
「あ?お、おう」
彼は再び振り向き、足を止める。
彼も同じく、そう思っていた。
義務であり、責務。
新たな指令、新たな任務。
新たな人生の到来を告げる彼女の声。
これに呼応するように彼は、彼女の元へと小さく歩み寄る。
「――――?」
彼は、彼女の目の前へと着く。
遠くからでは解らなかった彼女の顔。
「泣いて、いるのか?」
幼い彼女の頬には、無数の雫が伝っている。それは、静かでか細い。
――泣いている?この私が?
彼女は、顔を力一杯に擦る。
――冷たい。
――濡れてる。
痩せ細って、汚れがこびりついた手から伝わる懐かしい感覚。最後に泣いたのは、記憶にない。
「あ、ははは。なんでだろ」
涙を、押し寄せる感情を振り切り、笑顔をつくる。不恰好で、醜くて、そして下劣な彼女の顔は、晴れやかだ。涙と希望に溢れる彼女を見て、彼は慌てふためく。他には誰もいない路地裏と言えど、幼い女の子が、小肥りの中年男性の目の前で泣き出したのだ。事情を知らぬ第三者からしてみれば、良くない事だと直感で解る。解ってしまう。
「あ、ちょっ、なんで泣き出すかなぁぁあ?オレ、悪い事でもしたかぁ?」
「……ち、違いますよ」
「じゃ、なんで?」
「……あなたもわかってるんじゃ?」
「………」
彼女の投げた言葉に、彼は答える事が出来なかった。
「あっ、そうだ。私は、えーと。ペトナよ」
返事に困っている彼を尻目に、ペトナはボロボロな手を差し出す。爪は割れ、泥と古い角質が混じり合う手。しかし、彼は迷いなく、その手を取った。
「オレはヴァイロフだ。ペトナと言ったな、よろしく」
「ええ!よろしくヴァイロフ」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「――懐かしいわね。あの時は本当に運命だと思ったもの。でも今思えば、不思議ね――」
ペトナは、曇天へと手を伸ばす。決戦の時が刻一刻と、静かに、しかし確実に近づいている。その事実を、彼女は十分な程に噛み締めている。
「そうだな。誰かに仕込まれていた、って言っても過言じゃない」
ヴァイロフの逞しさのない声が、ペトナの脳内に響き渡る。彼女は、「うん」と相槌をうち、続けて、
「アーバもそうだったでしょ?運命を感じたって言ってたじゃない。夕凪様だって、ね」
「ああ。感じた。コイツなら、ってな。まぁ、夕凪は予想外だったけどな。幾らなんでも魔恐の適性が高すぎる」
「まるで………、って事よね?本当に人、なのかしら?アーバもだけど。あんな偏食してたら死ぬわよ」
「ああ。まったく、だ………うん?」
「どうしたの?」
突如会話を切り上げたヴァイロフ。ペトナは直感的に、異常事態が起きたと察する。街の中心に居るペトナには、何が起きたのか分からない。
「………これは」
言葉を失うヴァイロフ。彼にしては珍しい。故に、ペトナは警戒を強めざるおえない。
ペトナは、咄嗟に全方位を見渡し、魔力の流れを感じ取る。目を閉じ、全神経を集中する。
「――――え」
北部地区を覆い尽くす白い霧。その中心、ヴァンフ百貨店から放たれるおぞましい魔力。それと同居するテレポート、空間魔法の痕跡。これは、何者かが此処に侵入したことを意味する。
「ヴァイロフ!これって………」
「魔神なのか?魔恐なのか?それか……」
言葉が出てこない。
初めての事だ。圧倒的な魔力と気配。
「――ううぅ!」
身を内側から抉り取るような悪寒がペトナを襲う。魔法で誤魔化そうにも魔法が使えない。魔力の集中できない。
「も、もう………無理……―――」
手足が、身体の末端が、髪の毛先が、神経の端、全てが凍てつく。物理的な寒さではなく、魔力。それも己の持つ膨大な魔力が直接冷えて、身体を壊していく。
――嗚呼。これで終わり、なんだ。
ペトナの身体は内側から凍結されていく。抵抗も出来ずに、一方的に。身体の芯、脳髄の芯、心の芯までもが氷塊へと変わりゆく。
遠退いていく意識。
ペトナは凍える目蓋を閉じて、一抹の安寧を得ようとする。聖堂の屋根、曇天の元で。
その時だった。
「――まったく!無防備にも程がある!!」
消えゆく意識の中、歳を感じさせない勇ましい声が思考を駆け巡る。
「――――え」
身体が温もりを取り戻していく。中心から末端に至るまで、再び熱を帯び始める。感じる。感じるのだ。生命の暖かさと、心の温もりを。
「あり、がとう。エヴォイ。助かったよ」
あの勇ましい声の主は、すぐに解った。ペトナは魔法で結界を展開し、身の安全を確保する。
「エヴォイ。さっきのは……もしかして」
「ええ、そうですとも!アレは恐らく、ツクヨのもう一つの権能でしょう」
「え、ツクヨ?」
予想の遥か斜めを行く答えに、ペトナは驚嘆を隠せない。そんな彼女の様子など気にもせずにエヴォイは続ける。
「あの魔力反応は、そうでしょうな。アレは厄介極まりないですぞ!ヤツの権能は、対象の魔力の操作ですからな」
「なんでそれをもっと早くに言わないのよ!アホなの?バカなの?!!」
ペトナは声を荒らげ、今更すぎるエヴォイを咎める。だが、咎めると言ってもまだ優しい罵倒だけ。
エヴォイは、申し訳なさそうに付け足す。
「それが、ですね。余も、ツクヨにやられてしまいましてね。魔力操作の対象は一人だけ。故に余は操作を喰らい、言えなかったのです。そう言う事です。でも変ですな。何故ペトナ、貴女に?」
「知らないわよ!でも、確かにそうね。それを知ってて、裏切っている事も知っているのに、なんでかしら」
ペトナは結界に寄りかかり、思考を巡らせる。
――ターゲットが変わった、とか?違うか。ワタシなんかよりもエヴォイの方が遥かに脅威の筈だし。うん?そう言えば……。
「ねぇ、エヴォイ。確認したい事があるの」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ヴァンフ百貨店跡地
栄光と繁栄に満ちた百貨店。それは既に原型を留めてはいない。
「まだなのか!遅すぎるにも程があるぞ!!」
崩れた地下の一室に、男の怒号が響き渡る。声色からして老人だ。それだけが解る。
「まったく!他の連中からの妨害は無いのだろう!?」
「……も、申し訳ありません。ボス……」
老人の前で、地に額を擦り付けるピンク髪の少女、エクーネ。しかし、彼女の誠意と謝意など空しいものに過ぎない。
老人は、加減を知らない。昂る老人の杖が、エクーネの後頭部へと突き刺さる。叩き付ける。そして、罵詈雑言。
「この役立たずの穀潰しめが!!ワシが幾ら時間と金とを費やしたか分かっているのか!?轡井やら特牛やらにィィイ………!」
呼吸さえも忘れる老人。しかし、老人は己の限界を知らない。怒りが身体の限界を通り越した故、彼は呼吸に専念する。ひどく息切れ、カスカスヨレヨレの声だった。
「すみませんすみませんすみませんすみませんすみません…………―――」
一方、エクーネは正反対だ。只ひたすらに「すみません」の一単語を延々と、壊れた様に出力している。それも全て同じトーン、同じスピードで。
「――――ッ!!ッ!」
それを見つめる、サッカーボール程の肉塊がひとつ。辛うじて眼球と識別できるモノが二つと、歪んだ口らしき穴。無数の漆黒の体毛。そして、花の髪飾りが、それとめり込み、一体化している。直視どころか視界にさえ入れたくもないそれは、悲鳴と似た声を発している。無論、意味があるのかは、誰にも分からない。
それは、己の肉塊をねじらせ、曲げて、転がして、移動を可能にしている。だが、無理をしているのだろう。動く度に聞いたことの無い、不快な音、悲鳴が肉塊から漏れでる。
しかし、その不快な音も老人の荒呼吸と、エクーネの謝罪で無情にも書き消される。
肉塊はついに諦めたのか、人形へと成り果てようとする夕凪の元へ転がる。
「――――ッ、ッ!」
夕凪の純白であった髪。だが、今は、その白を炭の様な黒が侵食している。虫に食われた葉の様に所々に。呼吸しているのか、コアは稼働しているのか、肉塊はそれが気になっている様子だ。
「おいッ!コレ!貴様、それに触れるな!!」
肉塊の動きに気付いた老人は、杖で肉塊を叩き付け、つつき回し、夕凪から距離を取らせる。
「―――あああぁぁあ!ガマンできん!!もうガマンできん!!!まだなのか!!」
老人は再び発狂して、湧き出る怒りを呻いている肉塊に情け容赦無くぶつける。何度も何度も何度も、執拗に、狂った様に、肉塊にぶつける。
「うぅぅぅ、あぁあ!」
杖の先端で眼球をつつかれ、肉塊は筆舌に尽くしがたい悲鳴を上げる。破れた眼球からは朱色と黒色の液体が悪臭と共に流れ出し、混じり合う。
気付けば肉塊は沈黙している。だが、死んだ訳では無い。ぴくぴくと動いては止まる。それを繰り返している。
「………」
老人は、足元に転がる肉塊へ軽蔑の眼差しを向け、背後で傍観を続けるエクーネに指示を出す。
「………エクーネよ。挽回のチャンスをやろう。どうやら外で不潔な呪い共が集まっているようじゃ………わかるな?」
「………はい。今度こそ、必ず」
エクーネは音もなく、部屋から出ていった。
独り残った老人は、夕凪の元へ足を運び、
「透、貴様は何故生にしがみつく?貴様は貴様の使命を果たせばよいだけだ。にも拘わらず…………そうか。だからか。だからこいつを……ははっ!そうかそうか―――」
未だ沈黙を保つ肉塊。
老人は、漸くそれの存在意義を理解した。
そして、同時に湧き出す優越感と自信。
「嗚呼、嗚呼。奏を、喰らってこい!」
老人の奇に近い声に反応を示す肉塊。それを指示として理解したのか、はたまた使命としてか、肉塊は呼応した。
眼球から黒い液体を垂らしながら肉塊は、部屋を出た。
今度こそ独りとなった老人。
彼も、願いの為に、最後の準備へと取り掛かろうとしている。だが、それの完了には触媒の完成が必須。
未だに完成しない触媒を老人は妬ましい眼で、嫌味な視線で、侮蔑を意を込めて、眺めている。
だが、手を出す訳にはいかない。
幾ら再生能力が高くても、幾ら意識が無いとしても、万が一傷が付いて機能が失われては元も子も無い。それ故、彼は、只眺める事しか出来ないのだ。
「…………………………」
彼は、何も言わずに、部屋を後にする。
計画の最後の準備の為に。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
漂白された外は、とても綺麗だ。
白霧渦巻く北部地区の一部は、白一色に染められている。他の色なんぞ無く、只あるのは無。
その白き世界と対をなすは、純粋な黒。
今、エクーネの目に写るのは、黒く呪われた生命と、歪められた生きたいという生き物の欲。
魔恐の感染者が白い無を冒し、黒い有へと塗り替える。
「はぁ。星の災い相手にウチの力、通用するかなぁ?」
無数に建ち並ぶ娯楽施設を軽快に飛び移り、黒い世界の全容を把握する。軽く見積もっても万に届く感染者。更に、ある程度の統率も執れている。数も質もエクーネの予想を大きく上回る。だが、撤退という選択肢は、無い。
エクーネは、天へと手を伸ばし、高らかに詠唱を始める。だが、慣れているとは言えない。詠唱の不正確さと荒さが随所に見られる。彼女の得意とする魔法は、単体に特化している。精神攻撃や小規模な攻撃魔法はお手の物。しかし、大規模な物となれば途端に調子が狂い、失敗する。
「喰らえぇい!呪い共!」
――何でコイツらが居るんだろう?
何故この地に魔恐が蘇ったのか、彼女は知らない。最初の頃は、ツクヨかユキト、エヴォイらが持ってきたモノかと思っていた。だが、どうやら違う様だ。
「おりゃりゃりゃぁぁあ!」
不慣れな詠唱の後放たれるは、火球。彗星が如く立派な尾を引く火の塊は、一直線に黒を穿つ。白は焔に染められ、黒は火炎によって照らされる。だが、
「……やっぱり、かぁ」
案の定、火力はイマイチ。
確かに強力な攻撃魔法であったが、エクーネの魔力では火力不足が否めない。
「うぅうぅううん。どうしたものか……。聖魔法なら?使えないなぁ。弾道弾?持ってないしなぁ。空間断裂?出来ないしなぁ……」
漂白された魔道具店の屋根の上に、エクーネは腰を下ろし、思い付く対応策を声に出してみるが、全て使えないか持ってないかのどれかだった。
「ウチじゃぁちとキツいね。あんなのどうすればいいのさぁ!」
諦めた様に屋根にふんぞり返るエクーネ。そして、それを嘲笑うかのように数を増やす感染者。
「……うん?」
――何か、ある。なんだろう?空から?
感染者に気を取られていて、違和感に気付けなかった。このメルググラードの空に存在している何かに。
「…………ざらざらしてるね。これ」
魔力探知を遮るそれは、明らかに自然発生したものではない。知的生命体が発生させていると解る。
「ジャミング………?あぁ、そっか!負け犬エヴォイのか!!」
エクーネは、満面の笑みを浮かべる。目の前にある絶望的な光景など忘れて――。
「ふんふん!何か企んでるなぁっ!」
今一度立ち上がり、闘志が漲り溢れる。そして、感染者らを微笑んだまま凝視する。その鋭利な視線は、彼を見逃さなかった。
「おんおんおん?あれは―――」
彼には見覚えがある。あの時、夕凪を回収した時だ。夕凪と一緒に居た可哀想な少年だ。
「成る程ね……。あれ、いや、彼が親玉なのね―――」
「ユキト、面倒なのを遺しやがって。ホントホッッントォに使えないか奴だったなぁぁあ。変にイキがって、変にカッコつけて、変に調子こいて死にやがってさっ!」
エクーネは、かつての仲間だった男をこき下ろす。彼女にとって仲間とは、そういうものだ。使えなければ捨てる。多少使えるのなら顎で使う。使えるのなら無理矢理にでも。
ユキトとはどちらにも当てはまらないと、エクーネは評価している。チート能力と勘違いしてイキがる彼を、内心嘲り、キモがっていた。チート能力の正体は、ツクヨの能力移譲だと露知らず。
反面、ツクヨは使えると考えていた。呪いも、洗脳能力も、能力移譲も全てが高水準。性格に難があるとはいえ、十分に制御できる。だが、それは前の事。今のツクヨは、一言で言えば、自爆兵器だ。厄介なアンカーを担う奏を葬る為の手札。
「あっ、そうそう。エヴォイ君もあっさり寝返っちゃったなぁあ!なんでっかなぁあ!」
エヴォイとはあまり面識は無い。彼は、このカスタロフに住まう原住民族の司祭。それしか知らない。使用魔法の詳細や魔術権能の能力も訊けずにいた。訊く時間がなかった。彼は、この計画の始動寸前に加入したのだ。故に、
「まっ、いいか。よし!あれを火葬してやらないとねっ!」
エクーネは手を掲げ、魔法陣を展開する。それは、先程までとは違い、より大きく、より高出力のもの。それに加えて、
「へへッ!とっておきの………ね」
小瓶に入った妙な液体を飲み干す。いかにも怪しい妙薬。それは、科学の結晶。文明の利器である。
「あはっ、あははははっ!いいねいいね。魔力が漲るよ!これで!ウチは!無敵!!」
魔力ブースターをキメたエクーネは、もう止められない。空の小瓶を屋根に叩き捨て、魔法陣の完成を待つ。次第に巨大化し、歪なものへと変わる。真円から樹木のようなものへと変わる。
「え゛え゛い゛ぃぃあ゛! これが!ウチの本気!本気だぁぁあ!!」
刹那、樹木の陣から一筋の熱光線が放たれる。大気を焼き付くし、空間を断ち切る光線が感染者の海を割る。
光線による爆発は、悉くを蒸発させ、万物を無へと帰す。爆炎の渦の中、黒い感染者らは灰すら遺さずに消えた。只一つ、スライム状のあれを残して―――。
「はぁぁあ!まだ………生きてるの?あれ。嘘でしょ嘘嘘。嘘に決まってる」
エクーネは、必死に眼を擦り、あれを見つめ直す。
見間違いであって欲しいな。
嘘であって欲しいな。
「はっ、はは。マジかぁあ………。魔恐、怖いなぁ」
虚しい願いに過ぎなかった。
確かにそれは、存在している。
むしろ、それは拡がっている。
「とりま、無視でいっかなぁあ」
エクーネはそう言い残し、彼らが居るであろう場所へと、テレポートを行った。
「勝てる訳ないよね、あんなの。うんうん。ウチは悪くないナイ。あれがオカシイだけよ。ハンソクよ!」
メルググラード南部地区、ポキン運河に架かる橋 · ポキン第一大橋前へとテレポートしたエクーネは、ぶつぶつと愚痴を垂れ流す。
吹く風は冷たく、少し痛い。ポキン運河の水温と、メルググラード結界内の環境も相まって季節外れの風が吹いている。何より、南部地区はそれが顕著だ。
「魔恐って、あんなにも…………まぁっ、いいさ、いいや。いいよ。でも、ツクヨちゃんは奏クンの為のものだしね、うんうん。弾道弾も蒸発爆弾も無いのに………うーん、効かないか」
情緒も口調も思考も上手くまとまらない。目が回る。足がふらつく。耳鳴りが、うるさい。
「ぶ、ブースターキメちゃったから、かなぁあ!ああ!はあぁああ!!足らないよぉお―――」
魔力ブースター薬。それは、非常に強い依存性と、短い作用時間が特徴だ。それどころか人間用の薬の為、淫魔であるエクーネには、それがより強く出る。
「あぁぁぁぁぁああああああぁ!!」
気が狂ったエクーネ。
頭をかきむしり、髪の毛を引きちぎり、奇声を上げる。
その姿は、誰の目で見ても気ちがいのそれである。
白い鳩の漆黒の瞳が、副作用で狂うエクーネの全貌を捉える。彼女の狂った一挙手一投足全てを記録し、主の元へ一部転送している。
「あぁぁぁぁぁあ!!!」
獣の咆哮と化したエクーネの奇声を合図に、鳩が曇天へと羽ばたく。
鳩の瞳に、白霧渦巻く北部地区が映し出される。数分前までよりも、遥かに勢いを増した霧。何かを隠したいという防御よりも、侵食したいという攻撃にさえ思える。
この増幅速度を保てば、2時間程でこのメルググラード全域を覆い尽くす事が出来るであろう。
白き遣い鳩は、中央地区を経て、西部地区の上空で姿を消した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
華咲く野原に聳え立つ、古びた苔むす塔。その頂上に、幼き大魔術師トネルベルが荘厳さ溢れる姿で鎮座している。
彼女の腕には、先程帰還した遣い鳩が留まり、記録した全てを主へと伝える。その報告を感じたトネルベルは満足気に微笑み、鳩に話し掛ける。
「ふふ。そうねそうね。軍も動いてるし、仲良しなお仲間さんも離反した。そ、れ、に、アンカーも機能してるし―――」
ガタッ――
トネルベルの背後にある木の扉が開く。
その奧から、幼さのある中性的な白エルフが一人、トネルベルに問い掛ける。
「あのっ、お師匠。す、水晶が!おかしくなっちゃいました…………」
ひどく動揺し、涙混じりの中性的な声。
白銀の瞳に同じく白銀の短髪。まさに白銀の擬人化、擬エルフ化である。
彼は、黒く淀んだ水晶玉を抱き抱えている。それは、未来を映し出す魔術球体であり、運命でさえねじ曲げる奇蹟の星。『もう一つの星の分身』。
「あらあら。またやったのね。仕方ないわね―――」
トネルベルが濁った水晶を触れた瞬間、在ってはいけないモノが彼女の脳裏を過る。
「こ、これは!?『此方側』?いや違う。『中央教義』?」
「な、なんですか?その……『メルト』とか『中央―――」
「クルシア。貴方、何を―――?」
見習いエルフ·クルシアが開けた禁忌の扉。
本来開く筈の無い、地獄の門。
禁断の運命図式、パンドラの箱。
その鍵を、クルシアは開けてしまった。
「わ、わたしは、何も………本当です。いつも通りマニュアル通りに……した、筈です」
「……………」
トネルベルは、考えている。
この星が迎える破滅の時を。
全てが初期化され、『彼方側』に侵された未来の星。
それを、どう回避するかを。
「クルシア。貴方の、才能が、私は怖いわ」
水晶は、依然濁ったまま。
だが、トネルベルの顔は晴れやかだ。
彼女にさえ視れなかった未来を、視れたから。
「あ、あの、お師匠?」
「貴方には、言わないとね。これはね―――」
トネルベルの口から放たれた未来が、クルシアの脳内に流れ、刻まれる。
クルシアは、全てを知ってしまった。
「……………」
クルシアは、沈黙を選んだ。
沈黙しか選択肢が無いからだ。
それと対称的に、トネルベルは饒舌だ。
「夕凪 明里。彼女が換えるのね。………うん―――?」
もう1羽の遣い鳩が、面白い情報を伝える。
それを聴いたトネルベルとクルシアは、同じ反応を示す。
「軍が『ゾプアノンの巫女』と接触した?」
「巫女との邂逅!?えっ!?」
ゾプアノンの巫女。
時を繰る悲劇の巫女。
「へぇへぇ。これは予想外ね。パフノフの耳にも嬉しい知らせね―――」
「やっぱり、豪運将軍ね。実力も運も、人望も………彼には勝てないわね」
巫女との接触が成功すれば、カスタロフ事変の流れが変わる。あとは、夕凪の目覚めだけだ。
「長い旅になるわね。この星の全てを賭けた旅が、始まる。ま、それ以前に夕凪 明里が虚妄精神領域から脱け出せたらの話だけど………きっと大丈夫」
「お師匠、確信ですね。でも、わたしも同じです」
クルシアは、いずれ訪れる英雄に胸を踊らせる。年相応な反応と言える。無邪気で明るく、まだ闇を知らず、触れていない穢れなき純白。だがしかし、英雄の到来は、闇の襲来であると同義。悪無くして正義は存在しない。そして、中立など意味を成さない。常に二極、悪か正義かである。
クルシアは、まだ知らない。
この星に眠る魔恐の真実を。
権力に溺れ、醜い夢を見る『此方側の敵』の存在を。
用語ばかりになってしまい申し訳ない。




