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魔械乱世  作者: 明松沢実
第一章
7/8

04―A


 黒髪の美丈夫は静かに語る。


「その昔、長者の娘が修行に通う役小角えんのおづるという術師へ恋をした。しかし見向きもされず燻り続けた恋心は、やがて娘の肉体を大蛇へと変貌させてしまう」


 男は村を這いずり回る大蛇の姿を見やる。


「村を這いずり、火を吹き、田畑を荒らす大蛇に驚いた農夫は、咄嗟に持参した汁を掛けた」


 しなやかな手から放たれる水玉は目算一四メートルの大蛇を怯ませる。


「怯んだ大蛇はたちまち井戸へと身を隠し、村人たちは巨大な岩で井戸を覆う」


 逃げ回る大蛇を巨岩で追い詰めていく。


「その後、村は蛇の眠る穴と書いて、蛇穴サラギと名付けられ、封印された娘を供養する祭りが開かれるようになった」


 新しい人々が訪れる憩いの地。新来と書いて、さらき、と読んでいたなど、由来は諸説存在する。


「五穀豊穣、恵みの雨を願う祭りは、集落内外の人から愛されるようになっていく」


 岩に囲まれ逃げ場を失った大蛇。その巨大な魔石が男の剣に貫かれると、蛇は解放されるように光へ還っていった。


「娘の恋心は肉体が滅びてなお変わらず残り続けるが、想い人である役小角は晩年に謀反を企てたという虚偽の密告により流刑にされたという伝説が残されている」


 男は残された魔石を手に取ると、かつての物語に思いを馳せながら問い掛けた。


「肉体は容れ物に過ぎず、魂こそ永遠なり。おまえには、身を崩すまで焦がれる想いはあるか」





 アレンは試験管の中で産まれた。


 液体で満たされ数多の管が繋がった装置で五年の育成がされたのち、ようやく外の空気を浴びたと思えば選別が開始される。規則正しく並んだ幼子の列が進み、白衣の者たちから石を渡され、反応を確かめられると作業のように分けられていった。


 選別が終わると選別が始まる。義務教育と基礎体術を叩き込まれ、処分の篩いに掛ける試験が行われる。その試験が終わるとまた選別だ。


 定期的に行われる魔石の適応検査。


 試験を突破し一定以上の適応を示す者は次の位へ進むことが許され、また選別を繰り返す。


 しかし、彼が最初の選別を突破するときは待てど暮らせど来なかった。


「失敗作」


 その烙印を押された者たちは試験で一定の評価を残した個体のみ生存を許可される。座学と鍛練のみが生であり、そのときが来れば傀儡と化し捨駒として戦場に投入される。らしい。


 不具合を起こさないよう与えられた個室の檻に押し込められ、碌に手入れもされない区画の中で与えられる餌を食う。ただ生かされているだけとも知らず。知らされず。


 そんな日々に疑問を抱くことはない。この環境が被験体の常識なのだから。


 だが、彼は思った。


 檻の格子が外れそうだと。


 だから何だという話だが、初めて自分から生み出された発想に、何かが込み上げてくるのを抑えきれない。

 すると、音さえ立てるのを阻まれる静寂に初めて気付いた。誰に指示されることもなく動く個体がいないからだ。そんな事実も新たな発見として刺激され、目が耳が鼻が、独りでに次々と情報の発見を流し込んでくる。


 彼は初めて、物心を得たのだ。


 作成されて一〇年が経過しての出来事は、この施設で初めての脱走者を生み出す。


 檻を出た。だから何だ。それを確かめるために数多の檻の前を横切っていく。中の子供は誰も、彼に興味を示さない。異変だと思う物心がない。

 手入れのされていない区画は檻さえあれば事足りるというように自由な行き来を許していた。どこに行くのかという疑問、新しいモノを見付けた驚き、他の足音への恐怖。足を運ぶに連れて本能が感情を教えてくれる。これまでの経験を知識として再認識させてくれる。


 扉を開くには鍵が必要だとも、その鍵を棚の上に放置していることも知っている。白衣の者たちは被験体のことを警戒していないようだ。


 扉を開いた先に、空色の髪をした子供がいた。


 だから何だ。基礎体術の相手にもならないような華奢な身体。どうということはない。


 知っている。分かっている。なのに目を離せない。


「個体番号〇一〇五二五」


 挨拶してみるが反応もない。この個体識別証には〇二型の〇五年製と書いているが、別の型との遭遇自体が初めてだ。何度挨拶を試みても個体は俯いたまま動かない。思考も認識できない。顔すら見えない。


 見てみたい。


 この場まで好奇心に導かれてきたように、興味に駆られるまま、ゆっくりと覗き込んだ顔は。


 瞳から水が絶え間なく流れていた。


 正確には泣いているのだが、そんな個体と遭遇したことがないゆえ、分からない。ただ、見ているだけで胸が締め付けられる。

 この個体も同じ痛みを感じているのか。助けたい。だから自分が欲する言葉を不器用に紡いでいく。


「希望の、光。見よう」


 言葉を紡ぎながら頭を優しく撫でてやる。


 伝わっただろうか。そんな不安な気持ちを打ち消すように、彼女は顔を上げ、瞬いた。





「あなたがいたから、わたしは生きる意味を知ることが出来た」


 アリサは試験管から産まれていない。


 魔物に滅ぼされた村の戦災孤児として研究所に引き取られ〇二型の被験体とされた。自分より先に被験された個体は一〇才を迎えることなく魔人化し、後に被験された個体も同じ末路を辿った。

 命が絶え間なく消費されていく絶望。最長記録として沸き立つ研究員も、魔人化していく子供たちも、親の愛を受けて育った彼女には純粋な恐怖として認識できた。


 一〇才を迎えて歓喜する研究員たちとは別の意味で発狂しそうだった。


 何も出来ず、何をすることも許されず。ただ絶望に打ちひしがれるしかない。そんな自分の頭に感じた温もりを忘れることはないだろう。


「希望の光を見よう。そう言ってくれたから頑張れた」


 絶望を乗り越えることが出来た。


「みんな、あなたのおかげ、だったんだね」


 窓から差し込む朝日に照らされた彼女の影が、寝静まるアレンへ重なっていく。

 あの日から一日が経過したが彼が目覚める兆しはない。最低限の成果を得て失敗に終わった任務から救出され、意識を取り戻した瞬間に彼を想って駆け付けた。治療を終えて横たわる彼のそばをひとときも離れはしない。


「だから今度は、わたしが励ますの。お願いだから起きて」


 何度枯れたと思っても、涙は自然に溢れ出す。


 この特別な想いを伝えたいから。




 懐かしい夢を見ていた。


 自分が自分を手にした日。護りたい存在を得た日。強くなりたいと決意した日。約束の日。


「希望の光を見よう」


 忘れることはない自分の生きる指針。あの娘と想い結んだ約束。いつか必ず見に行こうと交わした約束は、果たされることなく滅ぼされてしまった。

 研究所からたった一人生き延びた責任として、いつでも胸を張って空を見上げられるように、彼女に見られて恥ずかしくないように、生きるのだ。


「だからもう、泣かないでくれ。笑顔を見せてくれ」


 朦朧と霞む視界には空色の髪が胸に寄り添って寝息を立てており、彼女の瞼には涙の跡が見て取れる。それを優しく拭ってやると、約束の彼女が本当にそこにいるように感じられた。

 嘗て紡げなかった言葉を掠れた声で伝えると、そっと頭を撫でてやる。もう悲しむ顔は見たくない。ただ笑顔を見たいのだ。


 込み上げてくる感情が鼻の奥を刺激し、霞む視界がさらに潤んで彼女の姿を曖昧にさせていく。このまま、また消え去ってしまうんじゃないか。そう思うと耐えられない。


 アレンは決して強くない。才能なんてありはしない。だから努力もするし、こうして弱音も出てしまう。平凡な一人の人間だから。


 今だけは、それを許してほしい。


「そばにいて」


 きっと目が覚めたら、希望の光として強がりを見せるから。胸を張れるよう強くなるから。


「大丈夫。わたしは、ずっとそばにいるよ」


 重ねられた手の確かな温もりに、ついぞ涙が溢れてしまった。堪らえようと顔を強張らせるも、視界だけは離したくなくて、無様な内面を曝け出してしまう。


「ごめん。俺は、君を助けられなかった」


「わたしも、今まで一人にさせてごめんね」


 何度となく虚空へ伝えていた懺悔をようやく言葉に出来る。たとえ夢であろうと幻であろうと、アレンは心の底から本音をぶつけた。


 すると彼女も意を決したように想いを囁く。


「あなたにとって、今のわたしは、どんな存在、かな」


 彼女は今まで人を避けて生きてきた。こんな自分が人と関わりを持っていいのかと葛藤し、定められた結末を恐れ、それでも羨望は止まず、期待と不安の奔流に呑まれていた。

 それでも、彼になら伝えられるのではないか。望んでもいいのではないか。この淡い想いをただ知ってほしくて。その答えを待つ。


「支えたい。支えてほしい。両方、かな」


 想いを自覚できたアレンは、甘い香りと柔らかな温もりに包まれて再びの眠りに落ちる。


 想いを告白できたアリサも、これまでの葛藤に区切りを付けて急激な微睡みに襲われる。


「一〇年。永かったよ」


 ようやく再会を果たせた。ずっと想い続けてきた人。生きる意味をくれた人。


 生きていてくれてよかった。希望の光。




 目が覚めたときに寝顔と対面したらどうする。しかもなぜか胸が高鳴るような、そんな相手の寝顔を一番に拝んでしまったら。

 スヤスヤと寝息を立てるアリサを起こさぬように布団から離脱を試みる。のだが。


「ずっと繋いでくれてたのか」


 動きを悟られたのか、繋いだ手を離さないというように僅かな力を込めてくる。こんなことで己の未熟さを実感したくないと、アレンは苦笑いした。


「おい、起きろ。起きてくれ」


 もうどうとでもなれ。そんな思いを込めて声を掛ける。揺すり起こすどころか、触れる度胸もない。ああだこうだと四苦八苦していると、寝息を立てていたはずの彼女が堪えきれないようにクスクスと笑い出した。


「もう離れちゃってもいいの」


「この難局から早く脱したい」


「すっかり元気になったのね」


 全身包帯塗れの男に何を言う。


「てかマジで包帯やべぇな。梱包されてらぁ」


「あんまり動かないで。傷に障っちゃうから」


 きつく縛られた包帯は幸いにして解ける気配もない。それは喜ばしいのだが。


「にしても腹が減った。もう朝か」


「なに言ってるの。夕方でしょう」


 彼女は呆れたように座り直すと、わざわざアレンに布団を掛け直してから窓を指し示す。確かに影の向きは日暮れを示しており、どうやら赤い日差しが朝と夕を間違えさせたらしい。


「丸一日は寝込んだかよ」


「え。あれ。もしかして」


 覚えてないのか、なんて聞ける勇気がアリサには無かった。せっかく再会したのに、全部が無かったことになるなんて。


「夢でも幻でもなかったさ」


 そう言って頭に乗せられた手の平の温もりに、また涙が込み上がる。夢でも幻でもないし、決して忘れることも出来ない。


 あんなに弱音を晒してしまったのだから。


 気不味い展開が続いて笑ってしまいたくなるが、アレンは急ぎ確認しなければならないことに思い至る。


「みんなは無事なのか」


「部隊の仲間は全員が生還したわ。あなたを心配してたから、目が覚めたって教えてあげないと」


 言って端末すら持参していないことに自ら呆れた彼女を見るに、仲間に大きな問題はなかったと安堵する。心配を掛けたなら謝っておかないと。


「任務についても謝ることがいっぱいだ」


「そうね。わたしも絶えない後悔がある」


 あのとき上手く立ち回れていたら。早く判断が出来ていたら。皆が多くの反省を抱えているに違いない。足りなかった言葉を交わすには場所を選ぶ必要があるだろう。各々が整理を付けるまでの猶予も必要だ。


 そんな風に時を眺めていると、アレンはどうにも存在を主張してくる日程に気付く。


「どれくらい寝込んでた」


「ちょうど丸二日かしら」


 告げられた数字と頭の中の予定表が合致する。何に気付いたかその事実に焦燥し、頭を抱えるも、そこにまで包帯が巻かれていた。


「なあ、外に行きたいんだが」


「絶対にダメ。すぐにお医者さんを呼ばないと」


「頼む。今じゃなきゃ、絶対に後悔する」


 布団から上体を起こし平気であると嘯く彼を押さえ付けようにも、見るからに痛々しくて、どこに触れたものかと焦るアリサ。

 そもそも、彼はどうして慌てているのか、何に後悔するのか。ともかく早く医療班を呼んだ方がいいと立ち上がろうとするが、手は繋がれたままだった。


「それなら、付き合ってくれ」


「同行してほしいのなら言葉選びを間違えているわね。療養中でもなかったら頬を張っていたところよ」


 視線を鋭く言葉を捲し立てるが、渋々と、仕方なく、外出の目論見を見逃してやることにした。


 服を着て帽子を被れば包帯も隠せるだろうと準備に勤しむ姿は、確かに平然としている。怪我が治ったわけでもないのに、根性だけは凄まじいと感心してしまった。

 包帯を気遣って着衣に難儀する様が幼く見えて、手伝ってあげているうちに、笑みが溢れてしまう。


「やっぱさ」


「なに」


「笑ってる方がいい」


 そう言われて思い出す。この部屋に来てずっと泣いていたことを。医療班に衛生面を指摘されて着替えなどはしていたが、涙の跡は残っているのだろう。アリサも療養中に駆け付けていて人のことは言えないなと気不味くなってしまう。


「ちょっと、顔洗ってくるね」


 いそいそと洗面所へ隠れた彼女を微笑ましく思っていると、部屋の外に来訪の気配が現れる。

 扉の向こうで開けるか否かを迷っている気配は、アリサの声を聞いたのか遠慮がちに去っていった。誰が来たのかは想像も付くため、また顔を合わせたときにでも茶化してやろう。


 生きているからこそ反省も後悔も出来るのだから。


 改めて再会という言葉の奇跡を噛み締めていると、急いで支度を終えたアリサが元気に駆け寄って来る。


 新たな後悔が増えないように、今という時を大切に生きよう。




 夕暮れに包まれた街は仕事から解放された人々の賑わいで溢れていた。

 街灯や店舗の明かりに包まれる繁華街には、家族連れが今日の思い出を手に語らっていたり、夕飯を求める列があちこちに出現していたり、或いは買い物を楽しむ往来が見られる。


 そんな日常の風景を楽しみながら二人は歩く。


「なんか、新しい食べ物が流行ってるみたいだな」


「そうみたい。元気になったら行ってみましょう」


 空腹なのか単なる好奇心なのか、美味しそうな飲食店を見付ける度に報告していくアレン。療養中なので飲食は避けるよう注意しつつ、次の外出を約束するアリサ。

 お互いに服と帽子を身に着けていれば、誰も包帯に巻かれた怪我人だとは思わないようで、風景に溶け込んで楽しむことが出来ている。


「かなり賑わってるけど、この辺りとかは普段来たりするのか」


「食材とか日用品は安いとこをハシゴするし、繁華街にまで来るのは大きな買い物をするときくらいかな。アレンは那羅に来て二カ月くらいだけど、もう街には慣れた」


「庁舎付近は慣れてきたけど、街が広すぎて網羅できそうにもない」


 急ぎの用件で外出したはずだが、歩くのが楽しくて繁華街まで来てしまった。

 彼は早朝の走り込みくらいでしか訪れたことがなく物珍しいようで、彼女も滅多に訪れない繁華街の空気を味わっている。二人して本来の目的を忘れたかのように雰囲気に呑まれていた。


「それで、行きたい場所があるんじゃなかったっけ」


「忘れてないさ。けど、繁華街の店で残ってるやら」


 不安になった彼は急ぎで目的を優先する旨の許可を貰って、とある店を探し始める。彼女を置き去りにしないよう配慮しているが、路地を覗き込む姿勢から内心の焦りはバレバレだった。


 そして、ようやく見付けたという店だが。


「ここ。コンビニ」


「そう。コンビニ」


 本当に繁華街まで来る必要があったのかと疑問に思うと同時、一緒に歩いていて楽しかったと自覚しているアリサは何も言えない。


「この系列じゃないと手に入らないんだ」


「もしかして、アレンが焦ってたのって」


 幟旗で察したが、入店してすぐに分かる。


「そう。推し活だ」


 癖になる音楽に合わせて流れている明るい声が提携商品の宣伝を伝えており、商品棚の一角は目立つように飾り付けされていた。もはやアリサにとっても身近な存在となったVタレである。


「そういえば期間限定の商品は今日までだったわね」


「しかも一定額以上の購入で特典が付いてくるのさ」


 商品棚に飾られた絵には特典の詳細が可愛らしく記載されており、装飾や印章などが紹介されていた。やはり人気なのか限定商品の中には売り切れてしまった物もあり、お菓子なども残り僅かとなっている。


「商品はまだ残ってるみたい。駅前や繁華街だとすぐになくなっちゃうのよね」


「競争倍率が半端ないからな。入荷してくれたのか残ってるだけもありがたい」


 話している間にも二人は気になった商品を手に取っていく。屈んで奥に隠されていないかも確認している内に、二人分の特典金額は容易く満たされていった。


「これで二人分の特典は貰えそう。推しの子が当たるといいわね」


「アリサも当たるといいな」


 部隊の顔合わせで深く知って以来、彼女はVタレの配信を観るようになっている。初めに出会った子を追い掛けている内に、本格的な推しとなったそうだ。

 この間も箱企画で推しが阿鼻叫喚していたなど話が盛り上がり、寝込んでいる間の録画を消化しなければと笑い合う。


「じゃあ、そろそろ籤引きしちゃいましょうか」


 ついにこの時が来た。会計に向かうと微笑ましい表情をした店員さんが籤引きの箱を振り混ぜて待ち構えている。二人が棚を覗き込んでいるときから用意してくれていたと思うと小恥ずかしい。


 商品の購入に応じて差し出される籤引きの箱。推しへの思いよ届けと、いざ、全神経を集中させる手を入れた。




「俺がお迎えしたのはアリサの推し」


「わたしがお迎えしたのはアレンの推し」


 コンビニ前で改めて獲得した特典を確かめ合う二人。その手には、推しのぬいぐるみが煌めいている。二人組としての活躍が有名なVタレが揃ったのだが、アレンとアリサはそれぞれ相手が迎えた対象を推していた。


「よければさ、交換するか」


「えぇ。どうしよっかなぁ」


 もちろん手にしている子も推しではあるが、やはり最推しを前に苦渋の提案を持ち掛けるアレン。そんな彼の提案に勿体振った笑みで返すアリサ。

 日常でも滅多に見られない彼のしょぼくれ顔を愉悦するように、ぬいぐるみを近付けて弄んでいる。


「くそっ。俺にだって、アリサの推しぬいがいるんだぞ」


 対抗するように、ぐわっ、とぬいぐるみが威嚇する。


「そうね。交換してあげてもいいわよ」


「マジか。ありがとう」


「その代わり」


 彼の狼狽えっぷりに満足したのか、ぬいぐるみと連動するように揺らめく彼女は、おずおずと提案を持ち掛けた。


「この子たちのために、もっと一緒にいたいな」





「不満か」


 日差しを取り込んだ開放感を感じさせる広大な一室。直射日光から本を隠すため扇状に並んだ本棚。それは正しく図書館であり、中央に鎮座する主は間違いなく司書である。

 執務室にしては独創的に過ぎる空間には、司書に対面しても怯む素振りのない少女がいた。


「指示の意味や理由を考えろと教えてくれたのは貴方です」


 大抵の人間が見れば執務机に腰掛けている少女を命知らずと言うだろう。しかし当の司書は気にした風もなく、いつもと変わりない光景に茶を嗜んでいる。


「頭が空っぽの傀儡など、後の世に必要としていない。三年前の言葉を忘れたわけではあるまいな」


「それは狩猫に限った話。私はともかく、部隊を意図的に窮地へ追い込んだ理由を問い質したいだけなんですよ」


 穏やかに詰問を続けるエミリの考える通り、先の屋敷は司書が用意した舞台であった。手中に収めた分派を餌にしたこと。取引場所の候補を掌握したこと。遠津幹部を競い合わせたこと。忠岡を私的に連れ出すよう幹部の野心を刺激したこと。


 そして、事前の忠告に従わずレオンを部隊に残したこと。


「結果として資料を確保し、委員会が釣れた。成果として誇ってくれて構わない」


「貴方はそこまでして、この部隊に何を望んでいるのですか。犠牲になっては元も子もありませんよ」


「犠牲になるならそれまでのこと。内戦が激化する中、改革は急を要する」


「貴方に仕える存在は狩猫を始めとして極めて少ない。まさか、被験体を抱え込むつもりで」


「何のことやら」


 アレンはアリサと同じく政府の研究によって生み出された存在だった。仲間として接していたエミリはその可能性に賭けて二人に結末を託した。


「可能性として浮上した段階で、アレンさんの身元を徹底的に洗いました。ですがどこを調べようと、三年前からの記録が見付からない。最初に彼が表舞台に姿を現したのは、中級迷宮を単独で攻略したとき。そんな実力者がどこにも記録されていないなんて不自然ですし、まるで不可抗力のように名が現れている」


「なるほど」


「彼が被験体であると知っていましたね。部隊へ招いたのは不穏分子が相手に渡ることを危惧してですか」


 特異点が生み出された政府の研究。司書は生存者をその手元に置きたいのでは。


「あれの中で現在も生存しているのはアレンとアリサ、私。そして奴だけだ」


「ますます重要な存在を追い込んだ意図が理解できません。彼は元から貴方に不信感を抱いているのに」


「乱世が齎す悲劇を分かち合った二人は祝福の再会に結ばれる。これで彼には部隊を離れられない理由が出来たではないか」


 司書が誂えた困難に不信を募らせていたアレンとアリサ。皮肉にもそれを乗り越えることで、被験体の二人は互いの存在こそが部隊を離れられない理由となった。


「まったく。そんなだから心が無いだのと言われるんですよ」


「だからこそだ。おまえたちは世を支える存在とならねばならん」


 司書なくして改革は成り立たない。委員会。遠津。急拵えの内部を含め。相手は多かれど、しかし強行を続ける彼女には近辺を固める人材が不足している。


 全ては後世のため。舞台の仕込みは急を要されていた。


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