03―B
芋縁の不満が止まらない。
追跡から逃れるように拠点を転々としてきたが、その度に部下の遠津兵が捕縛され、今では二桁も残っていない。彼の世話をする人員が減り、満足な暮らしを出来ないことが不満なようだ。
車内の後部座席から声が響いて来るが、運転席の背凭れに衝撃を与えてくるのは止めてほしいと桃井は思う。
「吾輩は、茶菓子を、食べたいのだ」
「もうすぐ屋敷に到着しますので、しばらくの我慢でございます」
だから耐えるのだ桃井。屋敷の門は目の前だ。
「ご到着にございます」
満面の笑みは心の中で。己と上司を車内から解放してやると足早に玄関へ向かう。急かされているからではない。早く仕事を終えたいからだ。
「お疲れ様でし、ん」
「どうした桃井。早う開けい」
玄関扉に触れた瞬間に違和感が桃井を襲う。これまで散々と受け止めてきた追手の圧力に近い。
誰かに見られている。
待ち構えられているのか、既に包囲されているのか。屋敷へ進んで籠城するべきか。車内へ戻って逃走するべきか。一瞬の判断が己の生を左右する。
「お待たせいたしました」
進むことを選んだ。
車内に戻る場合は上司を担ぐ必要があるため、間違いなく襲撃されるだろうから、彼を逃がしきることは困難である。ならば何も気付かぬ素振りをして、屋敷の中で籠城に持ち込める可能性に賭けるしかない。
自らを盾とするように扉を開け、奇襲がないことを確認すると、ようやく上司を手招きした。
「どうぞお進みください」
「吾輩の茶菓子はどこぞ」
足を踏み入れるや上着を投げ付ける芋縁。それを浴びた人物が既に刺客だった。動じることなく使用人として振る舞っており、命を奪うつもりはないようだが、決して気を抜けない茶会が幕を明けたと感じる。
標的の隣にいる部下らしき人物に気取られた。
屋敷の階段から様子を窺うアレンは標的ではなく彼を注視している。荷物を受け取るように配置したライトとレオンの二人は、無視されるか上着を投げ付けられるかして失敗に終わるが、部下は先行する上司を庇うような立ち回りを徹底していた。
「エミリ」
『わかっています』
忠告するまでもなく彼女は部下を引き剥がすよう使用人として接触する。分派の人間から話を預かっているだのと足止めをするが、まさかの芋縁に割り込まれてしまった。
「誰の娘じゃ。使用人ごっこに付き合う暇はない。もしや吾輩の茶菓子を横取りする腹積もりか」
子供扱いされて絶句するエミリ。芋縁の張り合いにドン引きする部下。現場は混沌を極めている。
「断じて子供ではありませんが、茶菓子をお求めでしたらぜひこちらへ」
さすが精鋭だ。屈辱と苦渋を飲み込んで状況を判断し、任務を果たそうと試みていく。しかし部下とて負けてはいない。
「芋縁さまはまだ手が空きませんので、茶菓子でしたら後ほど」
二人の交差する視線は、またしても芋縁の手によって遮られる。
「子供が菓子を寄越そうというのだ。受け取るのが大人の勤めであろう」
思考の切り替えが早すぎて付いていけないが、芋縁が茶菓子を手にするまで引かないと判断した部下は、苦渋の決断に出る。
「承りました。私が茶菓子をお持ちしますゆえ、芋縁さまは客間にてお待ちください」
「分かればよいのだ。早う子供から菓子を取ってこい」
最低な言葉を残して去っていく芋縁をあとに、部下はエミリと交渉を切り出す。
「話を預かっているのでしたね。ゆっくりお聞かせ願いますか」
「茶菓子をお選びいただければ、そちらの手を煩わせないで済むかと」
部下を引き離すことに成功したエミリは空き部屋へ案内し、待機していたアレンと合流する。
「呼び出してすまんな。聞きたいことがあるんだが、手荒な真似はしたくない」
「覚悟は出来ておりますが、私とて芋縁さまを護る責務がございます」
上司を護るためならば抵抗も辞さないという部下。なかなか肝が据わった奴だと感心するが、交渉は一筋縄では行かないかもしれない。
互いに攻略する糸口を構築していると、エミリが先手を仕掛ける形で切り出した。
「貴方は確か、占拠事件のときに人質を庁舎まで送り届けた方ですよね。名前は」
「桃井、と申します。その節については謝罪も申し開きもする意思はございませんゆえ」
アレンが芋縁と対峙したときには、彼は庁舎に向かっていたので面識がない。人質を解放した経緯についても不明な点が多く見られるが、彼は真意を明かすつもりはないらしい。
「構いませんよ。お互いに立場というものがありますから。ですが一つだけ確認させてください」
「答えられるものであれば」
「貴方は、内戦を望みますか」
それは人質を解放した真意にも繋がる質問だ。さらに是非のどちらを答えても桃井の本質が露呈してしまう。彼は既に黙秘の姿勢を示しているため答えないという選択もあるが、こと内戦となれば話は別である。
「望む人が、いるでしょうか」
絞り出すような声音は静かに震えていて、怒りとも悲しみとも取れる。彼が初めて露わにした感情は自身の写し身でもあった。
「私は戦いを望みません。こんな職に就いて何をほざくのかと思われるでしょうが、これは偽りない本音です」
つまり人質を解放したのは、官民の線引きをしているか、被害を減らしたいか、その辺りだろう。
「分かりませんね。そんな貴方が、なぜ生物兵器を蔓延させようとしているのでしょうか」
エミリは作戦以前から資料に目を通し、桃井の存在を知った時点から攻略の糸口を構築していた。引き離しさえすれば、彼の本質を利用できると。
「生物兵器、とは、どういうことですか」
「現場指揮の側近が知らないとは言わせませんよ」
実際、彼が知らないことは分かっている。だからこそ、戦いを嫌う本質と相反する状況にいることを指摘してやれば、簡単に引き摺り下ろせると考えた。
「本当に知らないのです」
「そうでしょうか。貴方の上司は、非道に手を染めないと、断言できますか」
「それは」
占拠事件を指揮した時点でお察しだ。さらに芋縁と幹部の通話でらしき単語が頻出していたうえ、その後の彼は明らかに挙動不審な言動が増えていた。
「芋縁という男は生物兵器の研究資料を所有しています。どこにあるか見当は付きますか」
生物兵器なるものにどんな影響力があるのか桃井には分からない。相手の手に渡ってしまえば内戦がより深刻になる可能性も大きい。
彼女は判断を急かしはしない。余計な情報も与えない。あくまでも桃井の中で話を完結させていく。
時が経つに連れ彼の焦りが増していく。自分の判断で内戦が揺らぐ。責任感から解放されたいと本能が訴え掛ける。冷静にならなければいけない。だから簡潔に考え直した。
彼女は生物兵器を非道と断言している。悪用する恐れはないのではと、実に短絡的な答えを出してしまった。
「穏便に済ませてください」
「貴方の上司次第ですかね」
「資料端末。いつも机の上に放置しています」
「ご協力、ありがとうございました」
予備知識の擦り合わせは済んだと部屋を退室するエミリ。その背中に桃井は警告する。
「遠津の幹部が来訪する予定です。二日後の話なので、それまでにお引き取りください」
疑念、不安、後悔、葛藤。随分と心を掻き乱されたのか口調が乱れている。彼の言葉を聞いたエミリは、全て分かっているような笑みを浮かべ、今度こそ部屋をあとにした。
「なあ、俺からも一つ聞いていいか」
「なんでしょうか」
生物兵器への関与と上司への裏切り。感情を掻き乱したまま放置していくのは気が引けたアレンは、整理を付けさせるために彼の覚悟を再認識させておく。
「どうして忌み嫌う戦場に身を置こうと思ったんだ」
「私は兄がおります。彼は前線にて戦う立場ですので、少しでも負担を減らす力になれればと。ですが近頃は、不出来な上司を見捨てられない自分がいるのです」
内戦が起こる理由も様々あれば、巻き込まれる人間も様々だ。ただ一つ共通していることがあるとすれば、正気な人間は戦いを望んでいない、ということ。
「内戦、早く終わらせような」
「ええ、もちろんです」
アレンが部屋から出てくると、エミリは端末を仕舞って迎え入れる。
「介抱は済みましたか」
彼のことだ。不安定になった桃井を放置できずに心の介抱をしてきたのだろう。追い詰めた当人である自分では難しいことだ。
「おまえにも辛い役回りをさせたな。ごめん」
「何のことですか」
人には適材適所がある。今回は偶然、桃井を追い詰める役回りを彼女が担当しただけ。事前に作戦資料を共有した段階から、弱みに付け込むのは得意だと部隊で打ち合わせていた。
「涙が出てるぞ」
「え、あれ」
「嘘だよ」
「よくも謀りましたね」
確認するということは自分が傷付いた心当たりがあるということ。しかし任務だからと割り切れないほど弱くはない。生半可な覚悟でこの場に立ってはいない。部隊の招待に応じた覚悟は以前に話した通りだ。
「これからどうする。芋縁と直接対峙するなら仲間に連絡して保険を掛けておかないと」
「既に仲間は配置済みです。ライトさんとレオンさんには退路の確保と周辺の警戒を。顔が知られているアリサさんには予備戦力として遊撃に就いてもらっています」
「手際が良くて助かる。奴は客間ではなく二階の突き当たり、書斎にいるだろうとさ。部下もまだ揃ってないのに、すっかり屋敷の主だよ」
「その旨も彼を追っていたライトから報告を受けています。準備は整いました。あとは研究資料を手に入れるだけです」
「茶菓子早う」
丁寧に扉を開けて掛けられた第一声がこれだ。部下の一人も置いていない環境で、警戒心がまるで存在しておらず、桃井の苦労も思い遣られる。
「芋縁さまですね。私たちは魔械省から参りました。貴方には生物兵器を穹窿内に持ち込む企てをした容疑が掛けられておりますので、これから強制捜査を行います」
自分の価値観が世界の常識だと思っている相手に話は通じない。芋縁に交渉は通用しないと誰もが判断したゆえに、正面から偽りなく職務を執行するのである。
「子供と戯れている暇はない。菓子を置いて出ていけ」
「こちらが裁判官が発行した令状になります」
手招きに応えるアレンが無言で歩み寄る。黙っていた方が圧があるのだ。彼の存在にようやく気付いたのか芋縁は焦燥を見せる。もしくは、初めてエミリが子供ではないと知って驚いたのかもしれない。
「生物兵器など、吾輩は知らん」
「知らぬ存ぜぬと仰せですか。占拠事件についても令状がございますが」
黙っているなら追加の令状を提示するまで。
「分かった。研究資料はくれてやる。それでどうだ」
「生物兵器についての詳細もお聞かせいただけますね」
「資料が届いたことしか知らんわい」
「おかしいですね。遠津から貴方の上官が来訪する予定があるのですが」
「ぐぬぬ」
最初から全てを提示しないのは追加の情報を引き出すためだ。研究資料の所在は桃井の告白通りだろうが、他に具体的な作戦予定がないとも言い切れない。
一つを引き出すために一つの手札を切る。丁寧に確実に、追い詰めていく。
「仕方ありません。続きは取調室で話してもらいましょう。思い出すまで、ゆっくりとね」
ひとまず手元に欲しい情報は入手した。あとは正当に連行して罪を償ってもらおう。
「ぞんざいな扱いを受ける謂れはない」
「貴方にはご自身が犯した罪を償ってもらいます」
「【コンプラ】の分際で偉そうに」
芋縁は観念したのか足掻くように暴言を浴びせる。しかし魔械省とて罵詈雑言に釣られる軟弱さは無い。
「手を挙げてこちらへ」
「【セクハラ】せんでくれよ」
口を曲げた相手に軽く持物検査を済ませていると、突如として魔械警報が鳴り響いた。最後の抵抗として芋縁が魔力を発動したのである。
予想していた二人は動じることなく対処していくが、当の本人は警報が響いたことに飛び跳ねて驚きの声を漏らしていた。
「魔石を用いるとは。これ以上の罪を重ねないでください」
どこから取り出したのか芋縁はフライパンを振り回して妨害を行う。暴力に屈しはしないと職務を執行するエミリだが。
「ふん。何も知らぬ者が生意気に言いおって。見ればますます【パーハラ】ではないか」
彼の一言にその表情を変化させた。
「いま、なんと」
「何度でも言ってやろう。この【パーハラ】め」
彼女の自制心が解けていくのか、徐々に笑みが浮かんでいく。
「いま、【パーハラ】って言いましたか。ハハ、そうですか。ええ。こんのクソブタ野郎があぁ」
取っ組み合いが始まってしまった。せめて絵面を守ろうとアレンは周囲を見渡す。
「おや、こんなところに立派な絵画が」
しばらくおまちください。
草花が微風に揺られる中を蝶々が楽しそうに飛んでいる。
「ぐへぁ」
軽やかな鈴の音が似合いそうな穏やかさだ。
「ひいぃぃ」
見ていると心が落ち着いていく。
「落ち着きましたよ」
「ごくろうさん」
振り返ると景色が違い過ぎて呆れるアレン。どれだけ暴れたのか。
「ああ、部屋が荒れているのは情報を掻き集めていたからですよ」
「ほんと」
「ええ。持参した風呂敷に纏めさせていただきました」
もう泥棒にしか見えんが、余計なことを口走らない方が身のためか。
研究資料に加えて作戦草案や分派の資金運用まで、あらゆる情報を手に入れることが出来た。あとは芋縁本人を連行するだけなので、奥の壁で折れ曲がった者へと調度品を掻き分けて進む。
「やりすぎじゃないか」
そう忠告したとき、開いた窓から気配が放たれた。
「運びの心得はあるようだが、度量は幼いと言わざるを得んな」
アレンは芋縁に合わせていた視界を最大まで広げ、気配の主を察知する。
灰色の髪を一つ結びにした壮年の男。身長は一七八、無駄のない筋肉で引き締まった身体。腰に佩いた刀は真剣か。視界から得られる情報はこの程度だが、開放された重厚な存在感に呑まれそうになる。
これだけの圧力を感じるのに、相手が影となって窓に降り立つまで、気配を悟りも出来なかった。
「エミリより強いか」
この屋敷に入ってから警戒を解いてはいない。油断もなかった。しかし男は詰問の運びを見ていたという。なのに気付けない。実力差は明らか。
やるしかない。
「殿は任せろ」
任務を最優先とするならばアレンに出来ることは相討ちだ。全力で仲間を逃がす。
「自分の価値も分からん者が、私へ相対できると思ったか」
刺客が魔装で作り出したのは、刀。アレンの二本の剣が一口の刀で捌かれていく。個人の力量では刺客に及ばない。
「そうですよ。ここで散るのはアレンさんではありません」
交差する剣戟へ割り込むように魔弾が押し込まれる。刺すような声音で加勢してきたエミリだが、その表情は冷たく見えた。
「遠津独立部隊隊長、忠岡誠。代表の懐刀が出張る現場とは思えませんが。何の用で」
遠津には、行政、軍事、開発、研究、四つの部門が存在しており、本部長を勤める者たちは幹部と呼ばれている。それらを束ねるのが政治団体遠津、遠津財閥、その代表だ。
忠岡は代表直轄の独立部隊、隊長を任される傑物であり、名実ともに遠津の最高戦力である。
そんな彼がどうして。言葉を濁さないなら、下っ端を相手にしている辺境、に出向くような暇はないはずだ。
エミリも彼の来訪を知らなかった。
「ふむ。モノの見方。振る舞い。司書の狩猫か」
「質問に答えていませんよ」
「答えならば、既に君が得ているはずだ」
目まぐるしい攻防の合間にも息一つ乱すことなく言葉を刺してくる。
遠津の重役にはそれぞれ監視を付けているが、彼も例外ではない。戦場の配置から私生活に至るまで全ての言動が魔械省諜報部らに共有される。
にも関わらずエミリは彼の襲来を知らなかった。或いは知らされなかった。導き出される答えは諜報員が始末されたか、それとも。
「私は、エサにされたのですか」
「私と君がこの場に招かれている。事実はそれだけであろう」
忠岡が挑発するように、試すように、叱咤するように、この場の現状を突き付けてくる。
【多少の犠牲は考慮している】
ならば狩猫として出すべき結論は一つ。既に覚悟は主へ捧げている。その忠誠に懸けて。
「全力で貴方を仕留めます」
「見事」
エミリと忠岡の集中力が上がった。二人の意思へ食らい付くようにアレンも自身に発破を掛ける。
「腰に佩いた真剣は飾りかよ」
「貴様には見向きもせんようでな」
「なら、意地でも抜かせてやる」
全力の二人を相手にしても忠岡は崩れる気配がない。
アレンの双剣の長所は一撃を繰り出す間に次の動作へ入れることにあるが、忠岡の刀はその予備動作を徹底して妨害するように剣を受け流してくる。
決して力任せではなく技量にて流された剣は、次の一撃の予備動作を阻害させられていた。
補助に回るエミリも二人の動きに合わせて妨害魔法を入れていくが、それも刀に斬られてしまう。弱魔法を間断なく繰り出すも、アレンの攻撃を受け流すついでのように、尽く斬られていった。
魔法の軌道に刀の角度を合わせ、剣撃を受け流し、次手を妨害。
つまり忠岡は一つの動作で三つの攻撃を防いでいる。
「どうした。こちらは一歩たりとも動いていないぞ」
おまけに彼には足枷が付いている。芋縁だ。
忠岡は彼を粗末に出来ないであろうと踏み、アレンとエミリは攻撃の延長線上を芋縁へ定めている。忠岡が二人の攻撃を無視すれば、背後の保護対象に危害が加わる構図だ。ゆえに彼は動くことを封じられている。
にも関わらずこの膠着。あと一手がほしい。
「その余裕、いつまで続くかしら」
エミリとアレンを遮蔽物として忍び寄った槍が、隙間を縫うように忠岡の魔石に伸びる。遊撃として駆け付けたアリサだ。
「少し見ない間にまた腕を上げたな」
「あなたと干戈を交えるなど考えたくもなかった」
干戈を交える。つまり戦争をするということは、たとえ旧知の間柄であろうと衝突させられてしまうということ。アリサが司書に保護されてから五年。同じ領地を支えていた都市が内戦を起こすことになろうとは。
「それが戦だ」
割り切れないモノを割り切るよう強いられる。戦争は人も立場も関係も変えてしまう。
「覚悟を」
三人の猛攻が迫るなか、忠岡の刀が鋭さを増していく。ようやく本領を発揮できると踊り出す高揚感は、しかし四人目の乱入により氷河期を迎えた。
「芋縁は抑えたぞ」
声高々に自身の功績を述べるのは高宮礼音。部隊の指示で外に待機させていたはずの人物だ。
「だから部隊から外せと」
エミリが歯噛みする。
部隊内で最も不穏分子である彼には外で周辺警戒を命じた。許されることではないが忠岡を見逃したことは、傑物相手に仕方なしと言い訳は出来た。だが、命令を無視し、遊撃でもないのに持ち場を離れ、合図もないまま乱入してきたことは罪である。
足枷であったはずの芋縁が離れたため、解き放たれた忠岡はアレンを斬り飛ばし、本命のエミリへ衝突させた。忠岡に対抗できる戦力二人を生かすため、アレンの衝撃を一身に受け止めた彼女は背後の壁に追突し意識を手放す。
仲間を護るため、仲間を意識から切り離したアリサは、渾身の一撃を放った忠岡の隙を見逃さず全力の突きを繰り出す。しかし相手は、乱入が発生してから刹那で展開を全て読み切り、一撃の余韻で以て躱して見せた。返しで放たれた蹴りには魔力が込められており、盾を避け、射抜かれた胴を中心に全身が傷を負い倒れ込んでしまう。
刀を振って、蹴りを入れた。二秒に足りるかどうかの間に三人が仕留められ、これまでの拮抗が崩された。
高宮礼音は分からない。
良かれと思って選択した行動が全ての元凶であると。戦局を見誤り、歯茎を見せ、部隊を壊滅させたと。一瞬だった。標的を確保して振り向いたときには全員が倒れていた。何が起きたのか、分からないのだ。
「戦場を穢したか」
ただ一人。最後に立っている者が勝者である。感情を失ったような冷徹な瞳。その視線に晒されるだけで身体は芯から冷え、肩が震え、足が麻痺してしまう。迫る刃を前に立つことも出来ない。
「未熟。あまりに罪深い」
防衛本能により空白に囚われた頭へ言葉が刺さってくる。一歩一歩、静かに近付く存在がただ恐ろしい。
「構えよ」
無理難題だが、言葉の力に強制されるように身体は反応する。痺れる足を叱咤し、震える肩を固めて、ゆっくりと立ち向かう。魔装の刀を抱き締めて。
「やはり同門か」
なぜ見破られるのか。
「一刀を見せよ。出来ねば散れ」
事態を打ち破る機会をくれてやろうと忠岡は守りの姿勢に構える。一撃で仕留めなければ、待っているのは終幕だ。
目を閉じ縛り、歯を食い縛り、唸りを上げて呼吸を整えていく。相手を両断する軌跡を練り上げ、目を見開いた瞬間にそれをなぞる。震える彼が放った一撃は自暴自棄も甚だしい有様だった。
「最後まで剣師であったこと、誇りに思うがいい」
心からの賛辞と共に沙汰は下される。
「だからこそ、散るには早いんじゃないか」
断罪の一振りを受け入れようとした高宮の前に赤毛の男が割って入った。
「我が一撃を逸らしたか」
刀を受け止めるアレンの胸には一筋の線が刻まれている。血の滲むそれは、急所から刀を逸らした傷だ。命がある限り、まだ剣を振れる。
「アリサを。いや、エミリを連れて脱出しろ」
言葉に合わせたのか扉が開きライトが資料を回収した。退路を確保していた彼であれば最低限の戦果は持ち帰ってくれるだろう。
あとは何人生還できるかだが、忠岡の間合いに倒れているアリサより、扉の前で意識を失っているエミリの方が連れ出しやすい。苦渋の判断をしたとアリサに心から詫びる。
「でも」
全員を助けることが出来ない。なんとか絞り出した声が抵抗を示している。
「レオン。おまえにしか、頼めない」
一瞬だけ振り返った瞳がレオンに立ち上がる力を分け与えた。今度は指示を聞いてくれたようで一目散にエミリの下へ駆け出していく。
「私を留めておけるつもりか」
「やってみるさ」
決意を表すように段階を上げたアレンに、忠岡も段階を上げ全力で応える。
再び激しい剣戟が幕を開けるや、エミリを抱えたレオンの一心不乱な気配が遠ざかる。確認した忠岡は笑みを浮かべ、アリサから距離を取るよう位置を変えた。
「これで本領を妨げるものはあるまい」
「言ってくれる」
アレンの双剣はこの短期間で適応を示し、動きを阻害されることなく舞い踊る。
忠岡はその成長を歓迎するように新たな型を披露し、彼の真髄を試すように刀を振るった。
何者も寄せ付けることを許さない二人の世界。この舞は一挙手一投足を誤ると終幕を迎えてしまう。その境界線の上で踊ることが二人の感情をより高めていくのだ。
しかしそれも唐突に終わりを告げてしまう。
窓硝子を突き破る魔弾がアレンの頭を横に弾き飛ばした。
「当たるものだね。僕の腕もなかなかだと思わないかい」
熱戦に水を差した若者は、相手が殲滅された戦場へ軽々しく侵入する。無粋な真似を平然と行う男へ、内なる憤怒を堪えた忠岡は視線を向けた。
「権城」
侵入者の名は権城。遠津財閥行政部本部長を務める男だ。青の七三を掻き上げ、三〇手前という年齢に釣り合わない気障りな態度で忠岡と対等に話す。
「やはり君を借りて正解だよ。僕には手が余る」
「資料は持ち去られたようだが」
「気にすることはない。司書のことだ。他所から裏取られるのも時間の問題に過ぎない」
「本命の品が手に入りさえすればいいというのか」
どこからでも手に入る資料などくれてやれと権城は言うが、資料が奪われ立ち行かなくなるのも、責任を負うのも現場の者たちだ。
そんなことは些事に過ぎないと宣う権城は、来訪の本命である芋縁に目を留める。
「この捨駒もやるじゃないか。装置を体内に隠すだなんて」
芋縁は屋敷に捜査の手が及んでいることを桃井が見せた異変から感じていた。失敗続きで追い詰められる芋縁は、茶菓子だなんだと騒ぎ立てている内に、装置を飲み込んでまで己の価値を示したのである。
咄嗟に本能的に食べただけかもしれないが。
「貴様が脅し付けたからであろう。幹部の優位を得たいがため直々に受け取りに向かうとな」
正確には装置の部品であるが、委員会の鼠から芋縁を経由して受け取る手筈になっていた。受け渡し場所として屋敷が指定されていることを知った権城は、他の幹部に優位を取るため直々に出向くことを考えたのである。
司書が屋敷へ妨害を入れると予想して芋縁に伝える日時を偽ったが、この惨状を見るに、彼女はそれすら読んでいたのだろう。忠岡の参入も想定内かもしれない。
「さて、司書の次手が発動する前に」
「どうするつもりだ」
「僕個人の本命を見付けたのさ」
目的を果たしたのだから退散するものと考えていたが、権城の内なる野心は収まるどころか増幅していく。禍々しい感情を感じて、思わず忠岡は警戒の声を掛けた。
すっかり様変わりした書斎を掻き分けた権城は、アリサの前で立ち止まる。
「こんなところで逢えるだなんて。君が花咲愛里彩だね。初めまして」
伏している身体の顎を持ち上げられることで、全身を駆け巡った痛みが再燃する。あまりの刺激で意識を取り戻したアリサは、痛みを堪えて藻掻くも顎の拘束さえ抜け出すことが出来ない。
「遠津の重役が揃いも揃って、何の用かしら」
痛みに肺を堰き止められながらも、アリサは強がりを見せた。意識を失っていてこれまでの会話を聞いていないことが面白いのか、権城は気障りな笑みを浮かべる。
「君の遺伝子がほしい」
生理的嫌悪感からじわりと後退った彼女は、立ち上がれないまでも、腕で身体を支えながら鋭い視線を向ける。
「それが叶わないことは、あなたたちが一番知っているでしょう」
怒りを込めた声を絞り出し、認識を改めさせるように拒絶する。そんな抵抗する姿さえ面白いのか、クツクツと嗤いを漏らしながら権城はアリサを見下ろした。
「いずれ、君から求めるように」
権城が何を言おうとしたとき、またも彼は立ち塞がる。
「アレン」
頭を打たれ、瞼を開く力さえなく、意識も取り戻しきれないまま、アリサを庇っている。
「いやはや、特異点の遺伝子が揃い踏みとは。だが失敗作に用はないんだよ。くはは。ああ。凡人如きが僕の道を阻むなあ」
満身創痍。限界を超えて、身体を支えることで精一杯の彼に、癇癪を起こす権城の細剣が心臓を貫こうと迫った。
「やめて」
アリサが最後の力を振り絞ってアレンを庇うよう立ち上がる。抵抗も出来ない二人。戦う余力さえ残されていない者を蹂躙するだけの剣。
それを止めたのは己の矜持が研ぎ澄まされた刀だ。
「これ以上、遠津の名を穢すことは許さん」
「撤回しよう。君を連れて来たのは間違いだったよ、忠岡」
剣と刀が衝突する余波に煽られて後倒するアレン。彼を受け止めたアリサも、程なくして意識を失う。
睨み合う二人。細剣に幾ら力を込めても微動だにしない刀。やがて痺れを切らしたのか、権城はやれやれと魔装を解いた。
「観客もいない舞台では乗り気になれないな。僕はおとなしく君の我儘に従ってあげるよ」
屋敷を舞台にした戦いの終幕が宣言された。
「それにしても運がいい。帰ったら花嫁と出逢えた幸福を祝おうじゃないか」
疲労した腕を隠すように鷹揚な仕草で窓から飛び去った権城。一人残された忠岡は静かに虚空へ問い掛ける。
「私が止めに入ると知って呼び寄せたか」
アレン、アリサ、そして忠岡。
この場に居合わせるには偶然が過ぎる状況に、全ての顔ぶれは仕向けられたのだと悟る。
「食えぬ者よ」
応えのない下手人に別れを告げる忠岡は、本来の目的である生物兵器を担ぎ上げ部屋をあとにする。装置の回収に難儀するであろうと呆れながら、最後に残される二人へ餞別をくれた。
「立ち上がれ。誇りを秘めた強者よ」




