02―B
初日の訓練を終えたアレンとレオンは揃って教官に呼び出しを受けていた。
「教官の許しも得ず段階を上げるとは何事だ」
「あまり取り繕ってもボロが出たときに恥ずかしくなるだけですよ」
実際、ライトが謝りに来るまでタメ口を利かれていたことに気付いていなかった。
「黙りなさい。反省をしていないのか」
私は怒っていますと意思表示してくる表情が初々しい。そんな彼女から揃って視線を逸らす二人も、少しは心の交友が始まっているといいが。
「まあいい。以後、気を付けるように」
なんだかあっさりと説教が終わりそうな雰囲気が漂うも、教官はしっかりと釘を差していく。
「二人とも経歴に恥じない力量を示してくれた。だが度量が足りないのは言うまでもない。これからは連携課題を主軸に訓練を行うので、そのつもりでいるように。ん」
ようやく解散かと思われたところで三人の端末に連絡が届いた。それは魔物の対処を生業とする者たちが情報を共有するための連絡網で、各地の勢力図や分布、異変に至るまでを纏めてくれている。
「どうやら実地訓練に御誂向きの場所が現れたらしいぞ」
一通り目を通した教官はニヤリと二人に微笑んだ。
後日。迷宮を制圧してこいと追い出された一行は、列車で壁門前の駅に降り立ち、遠くに聳え立つ穹窿の壁を見上げていた。遥か高く雲が浮かぶその先まで伸びる壁は、この都市全体を魔物の脅威から覆い隠している。
「この壁は、罪深い」
「いきなりどうした」
その門に向かう最中、レオンは感慨に駆られるように口走った。
「人類復興の歴史は知っているだろう」
「星を舞台にした大戦と災厄の話よね」
「そう。かつて星を舞台にした大戦が行われていた」
大地を歪ませ空を覆い尽くす人類の業。一度切られた火蓋を閉じることも出来ないまま、報復による報復が行われてゆき、人類は自ら絶滅への道を走っていた。
「その渦中に生まれたものが魔石です」
原始魔石と呼ばれたそれは各地に迷宮なる異界との門を呼び起こし、感情を具現化させ魔物を星へ解き放った。
「大戦は一転して、魔物との生存競争へ変貌を遂げてしまう」
魔物は人類の感情を餌とし導かれるまま戦闘に発展。戦場に渦巻く感情がまた異界との門を引き寄せるという悪循環。星は月が欠けるが如く魔物に覆われてしまった。
「そんな悲劇の中でさえ、人類の欲求は留まることを知らない」
魔物との戦闘で得られた魔石の性質は日進月歩に研究され、燃料として、素材として、或いは新たな兵器を生み出し、人類は復興への足掛かりを手にした。
「千年が経つ頃にはご覧の通り。人類は勢力図を半ばまで取り戻した」
魔物への対抗組織が各地で名を挙げ、穹窿都市を中心に文明は新たな形で取り戻されていく。しかしそれらは独立した意思を持ち、新たな戦国の世の火種となることは明白だった。
「そんな情勢の中で現れた司書が、新たな火種を危惧して改革に乗り出す」
魔械庁という名ばかりの組織を再編し、各地の武装勢力を統括する。魔械省として改めた組織を中心に、武装組織を自警団として傘下に組み込んだ。これにより不揃いだった展望が統一され、人類復興へと心を一つにした。
「まあ、結局は内戦してるんですけど」
現場が結束したところで上が変わるわけではない。人類普遍の欲望は、歴史を周到するように過ちを繰り返そうという。
「今回の任務で向かう迷宮は氷室だったね」
「そう。壁からは目と鼻の先だ」
壁門へ近付くに従い賑やかだった街並みは無骨な施設が目立つようになる。領地や穹窿を往来する陸上戦艦の港だ。
魔物の跋扈する壁外に於いて物資の運搬や人の移動に欠かせない手段である戦艦。人が流れ、荷降ろしがされ、整備点検し、再び出立する様は圧巻であり、同時に物々しさを訴え掛けてくる。
「災厄はまだ終わっていない。壁の外と内では世界がまるで違うんだ」
レオンの言う罪深さとは災厄を壁一枚で目隠ししていることにあるらしい。事実、壁の内を向けば華々しい生活を感じさせるのに、外を向けば見渡す限りの平原が野山まで続いている。壁内の生活からでは壁外の現実が見えないのだ。
穹窿に暮らす住民たちは隣り合わせの災厄から目を背けているのか。知ってはいても理解はしていないだろう。
「目を背けるなとは言わない。ただそこにある現実を知っていてほしい」
「レオンは壁外の生まれなのか」
「僕たちの生まれは別々の集落だけど、同じ場で修行を経てここに派遣されたんだよ」
「壁外の脅威を肌で感じながら生きてきたんですね。心中もお察ししますよ」
魔物に対抗できる戦力として魔械省は全体の一割しか賄えない。壁外に点在する自警団が九割で、その存在がなければ壁外は暮らしもままならないのが事実。
人類の復興に欠かせない存在のほとんどが壁外にいる。仮初の安全の裏には常に危険に晒されている存在がいることを知っていてほしいと、レオンは言っているのだ。
「なに、彼だって仰々しい話をしようってわけじゃないだろうから、気にしないでやってくれ」
「その心は」
「みんなと会話するための方便みたいなものさ」
つまり仲良くするきっかけとして仰々しい話題を振ってしまっていたのか。まあ彼が言っていることは嘘偽りない事実であるのだが、それゆえになんとも言えない空気になってしまう。顔を赤らめる当人を不器用と指摘できるライトが頼もしい。
「さて、そういや門って閉じたりしないのな」
「なんらかの軍勢が押し寄せてくれば閉じるでしょうけど、いちいち閉じたりしないわよ。開閉するだけでどれほどの資金が溶けるやら」
「庁舎だって御下がりですからね。人手も足りないし世知辛いものです」
空気を変えようと始めた下世話な話は、穹窿の空調だの天候操作だのにまで広がる。
「ところで俺たちの戦艦は」
「徒歩に決まってるでしょ。そんなお金はないの」
「安寧に胡座をかくなってか」
「ここから先は魔物の世界よ」
氷室。春日山に在する地。名前の通り氷の貯蔵庫として活用されたのが始まりで、現在も氷に関する行事が開かれている。
そんな土地に出現した迷宮。異界への門と呼ばれる入口は、さも旧来から存在していたかのような洞窟の様相だった。
しかし周辺には魔力が漏れ出し、並立する氷柱には色とりどりの花や鯛などの魚が閉じ込められている。内部も壁床天井と窺う限りが氷で形成されていた。
「氷室の迷宮。氷の洞窟って感じだな」
「綺麗な見た目に惑わされないように」
「雰囲気からして、海関連の魔物がいるのでしょうか」
大和に海は無いが。
「行けば分かるさ。分担はどうする」
迷宮に入るに当たっては事前に兵種の役割分担をしておくのが通例だ。近接、遠隔、耐久、補助、遊撃と得意な魔法に合わせて担当を決め、内部で別行動する班に振り分ける。
「レオンの魔装は刀で近接と遠隔が得意。僕は魔装を刀と弓で使い分けるから耐久以外なら」
「俺は一通りに熟せるから好きな役割を選んでくれ」
「わたしは槍と盾を使うけど、後衛も出来るわ」
「では一班は近接をレオンさん、補助をアリサさんにお願いします。二班は耐久をアレンさん、遠隔をライトさんで」
仲良し組など普段から連携を取れていそうな組み分けにはしない。これは訓練を兼ねているため不慣れな組み合わせにしなければ意味がないうえ、欲を言えば実力も測っておきたいところ。
「エミリの役割はどうなんだよ」
「私は遊撃を担当しますよ。出来ないことは存在しないのでね」
氷室迷宮の内部は洞窟自体が発光していて幸いにも明るい。これは魔石の性質を応用した構造であると判明しており、魔道具にも技術として取り入れられている。
ではなぜそのような性質が備わっているかといえば、争いを起こして感情を餌にする魔石にとって都合がいいから。もちろん暗闇の恐怖を煽るために照明の役割を取り入れない迷宮も存在する。
「照明器類が必要ないのは助かるが、やはり魚のような魔物が多いな。また通りから向かってくる」
「そうね。迷宮や魔物はその土地に漂う感情を読み取って構築される。野外では生物を模した魔物が多いように、街中なら日用品とか工具みたいな無機質な魔物が現れる。風船なんかもなぜか多いのよね」
感情を求め、感情を模する。そんな魔物の形態を見知った人間から情報を得ていけば、自ずと魔物を模した魔物が生まれることもあり、類似した形態が増えてしまうこともある。
しかし魔物は共通して行動できる範囲が決められているのか、空を飛ぶことが出来ない。魚たちも地上一メートル付近を浮遊しているだけで、跳ねることはあっても飛びはしない。これは迷宮や魔物が、戦艦など移動する対象には出現しないように、何らかの規定が存在すると考えられている。
「みんなとは仲良く出来そうかしら」
「不必要に交友しようとは思わない。仲間として不要な気遣いは不測の事態を招く要因になりかねないからな。それに」
「それに」
不慣れな交友に難儀しながらも、少しだけ心を開いてくれたことが嬉しい。しかしレオンが態度を改めた要因は他に強く存在していた。
【思考放棄してるだけだろうが。人の名前を借りないと何も出来ねぇのかよ】
図星だった。ゆえに強く心に突き刺さり、捻じれ、拗れていく。自我とは何か。存在意義とは何か。
「なんでもないさ」
「宝箱だぞ」
「ほんと、子供っぽいんだから。あのときの気迫はどこに行ったんだか」
探索を続ける内に何度目かの宝箱と遭遇を果たしたアレンが無邪気に飛び付いている。これが部屋を護る群れと戦った後だというのだから、ライトも切り替え具合に付いていけない。
「仕方ないだろ。宝箱なんて戦利品は自警団にとって花形なんだからさ」
「もう自警団じゃないだろうに」
「そういうおまえも人のことは言えないんじゃないか」
呆れつつも宝箱を漁る隣に並んでしまうライト。彼もやはりこの手のものには惹き寄せられるようだ。武具の破片から貴金属、謎の物体まで、雑多な中身の箱を見掛ける度に開いていく。
「そういえば知ってる。これって魔物の被害に遭った人たちの持ち物だったってこと。魔物には戦利品を収集する性質があるんだ」
「活動を続けてりゃ知ってるさ。それに、不謹慎とも思わんくなった。まあ、自警団の拠点には持っていくけどな」
自警団の活動を支援、管理する拠点には各地から依頼が寄せられる。討伐や護衛などの依頼が張り出されており、その中には故郷を取り戻してほしいというものもあった。
魔物に奪われた大切な物や思い出たち。拠点にはそれらを取り戻す依頼だけでなく、盗難届が届いたりもする。
アレンは宝箱の中身など戦利品が分配された際には、売り払いはせず、必ず拠点に届けるようにしていた。
「優しいなぁ。ほんと子供っぽいんだから」
「魔石の集まりは平均的でしょうか。魔物の質からしても下級迷宮のようですね。まあ外に溢れる前に制圧しないとですが」
迷宮に入って左右の太い道へ分かれた一班と二班。その中間に広がる枝道をエミリは行く。迷宮の状態、魔物の質、戦域状況を調査しながら各班と連絡を取り合うのが遊撃の役目だ。謂わば部隊の指揮を担当している。
『中央深部、掌握。助けは必要ですか』
『一班、異常なし』
『二班、深部の視界確保。区域の掌握に掛かる』
端末の文章で遣り取りをする限り、どこも特筆した危険は見られない。少し一班の情報が欲しいところだが、このまま任せても問題ないだろう。
「レオンさんを警戒しての配置でしたが、目立った動きは見られません。アレンさんの方も経歴に見合った評価で問題ないかと」
対面早々に問題を起こした二人だ。ここで組ませるという選択肢もあったが、急いては事を仕損じるだろうと段階を踏むことにした。
「迷宮で問題を起こされると取り返しが付かなくなる可能性を考慮して引き離しています。少なくとも彼らの感情がどこへ向いているのかを測ってからの方が良さそうですからね」
中央の掌握が終わるも新手の気配を探りながら警戒を続ける。迷宮の核である最深部の魔晶を破壊しない限り魔物の生成は続いていくからだ。
しかしそれも下級迷宮の状態であれば高が知れている。エミリの懸念は迷宮とは違った要素に存在していた。
「どうして以前から兆候のある方たちを集めたのか腑に落ちません。この部隊は言ってみれば火薬庫。いつ爆発してもおかしくないでしょうに」
特殊な生い立ちを背負ったアリサ。出生も不明ながら異常な経歴を記すアレン。明朗な仮面を被り続け決して裏の顔を見せないライト。排他的な集落から送り込まれてきたレオン。
エミリからすれば不穏分子でしかないそれらを集めた意図が分からなかった。
「これだけの人材を集めたからには意図があるんでしょうけど」
指揮棒に似た魔装を背後から一刺し。的確に魔石を貫ぬかれた魔物が光となって散っていく様を見ながら、己の一線を通信相手に淡々と告げる。
「貴方に刃を向けることがあれば、私は躊躇いなく排除しますから」
『改革を迅速に行うために多少の犠牲は考慮している』
迷宮最深部と思しき区域前で三組は合流した。それぞれに魔石を獲得しているようで、その価値を正しく理解していることが窺える。戦利品やらを持っている欲張りもいたが、どこかに置かせて制圧後に回収すればいいだろう。
「みんな無事でなにより」
「そうね。最終戦の準備は万端といったところかしら」
「ここが最深部ですかね」
「探索で見逃しは無かったからおそらく」
「大型の魔物がいる。あれが守護獣とみて間違いないだろう」
三つの道が合流した更に先。洞窟の奥深くには鎮座するように構える氷の大人形がいた。立ち上がれば身長はおよそ五メートルに達しそうな巨体を前に、そこいらの雑魚とは明らかに違う圧を感じ取る。
迷宮の核である魔晶を破壊するためには守護獣として待ち構える魔物を討伐する必要がある。これまでの道程はそのための下準備と言っていい。各々は持ち得た情報から相手の性質を推測し、対処法を練っていく。
「人形系なら何体か討伐した。氷の身体を盾に突っ込んでくるだろう」
「身体で弱点の魔石を防御してくる感じよね。部位破壊は必須かしら」
「斬撃は効きそうにないですから打撃を着実に当てていきたいですね」
たとえ下級迷宮であろうと油断はしない。対処法を考察した後は再び役割を確認し、配置や立ち回りを打ち合わせていく。新規の部隊でありながら順調に話が進むのは各人の経験が豊富な証か。
「ならその方向でいこうか。対策通りに動けば多少の異変があっても補えるよ」
「最後まで油断はするな。オマエは昔から常に浮ついて見える」
「余裕を残してるってこと。君こそ思考を凝り固めないように」
親友だからこそ気付ける変化もある。前向きな方に行くのか後ろ向きな方に行くのか、それを然りげ無く支えようとする気遣いが感じられた。
「準備は出来た。さあ、決戦だ」
念には念を入れ、万端にした準備の結果を言えば、失敗だった。もっと簡潔に言うならば、落ちた。
区域に侵入した瞬間に守護獣が突進してくる。それは想定内だったが、問題は地形にあった。
振り被られた氷の巨腕を見た瞬間に回避し、区域の内部へ侵入、それぞれの配置に就くというのが段取り。入念に叩き込んだ想定だからこそ、思考が凝り固まる。
防いで、というアリサの叫びも虚しく回避したレオンは、入口から見えなかった落とし穴に嵌る。それを見た彼女は盾で防いだ反動を利用して彼を突き飛ばし、代わりに穴へ落ちていった。
「いや見事な罠だったな。受けるか落ちるかの二択かよ」
そう言って笑うのは後を追って飛び込んだアレン。氷の穴を滑りに滑って落ち着いた先にはアリサも無事にいた。
触手に片腕を持ち上げられ吊られている様を無事というなら。
「タコに捕まったんだから、どちらも魔物の攻撃を受けるで変わりないわよ」
タコはデカい。先の守護獣と見当を付けていた人形と同等には。
「無様に罠に嵌った気持ちはどうだ。教えてくれよ」
「せっかく整えた髪がヌメって最悪」
タコのヌメりテカった触手を見て、器用に掴んでるな、という感想を抱いたアレンは彼女を観察するように周囲を歩く。
「氷の魔物が多いのにタコはナマモノなんだな」
「閉じ込められてた氷壁から飛び出してきたの。落とし穴と二重に驚かされたわ」
呑気な会話をしているのは魔物に焦りの感情を喰わせないため。捕獲されている様を見て不用意に斬り込む判断を捨て、冷静に情報を分析しようというのだ。
魔物は恐怖の感情を引き出せず困惑しているのか、ゆったりと触手を空に彷徨わせている。
「崩れた氷壁の奥に見えるのが魔晶か。こっちが本物の守護獣ってわけね」
「正確には二体共が守護獣なのかしら。落とし穴といい、ほんといい性格してる」
守護獣の話題を出した途端にタコが僅かながらに動きだす。それが図星だったからなのか、感情を煽り出すことを諦めたからか、アリサへ追加の触手が迫っていく。
「アリサ」
「アレン」
同時に互いの名を呼んだ瞬間に、アレンは迫る触手へ、アリサは拘束している触手へ、魔刃を放つ。逃れる獲物を追う触手を次々と斬り、彼女の身体に傷を付けないよう優しく受け止める。
「大丈夫か」
「平気よ」
再び立ち上がった二人は守護獣へ向けて駆ける。事前の会話から斬撃に弱いことは推測できた。打撃に弱い上層の守護獣と対を成すように、斬撃に弱い下層の守護獣。ならばある程度は予ての作戦を参考に出来る。
「徹底的に接近しろ」
「上層とは反対に魔装で攻略できる」
何を言わずとも二人は繋がる。双剣の手数で数多の触手を圧倒し前進。斬った触手が活動を止めず迫れば盾で防ぎ、触手が再生する度に槍で引き裂いていく。
止まらぬ猛攻。守護獣の身体に囲われながらも自ら深く突き進む。タコの口に剣を突き立て、もう片方の手で背後のアリサを突き上げた。
「おまえが決めろ」
タコの眉間に嵌った魔石が槍に貫かれる。
「助けに来てくれて、ありがとう。巻き込んじゃって、ごめんなさい」
「お互い様だから気にすんな。心配しなくても仲間に許可は貰ってる」
守護獣を討伐し、魔晶を背凭れにしながら二人は言葉を交わす。迷宮は制圧をすると崩壊を始めるため、人形との戦闘が終わるであろう、仲間の連絡が来るまで待っているのだ。
「戻れないかもとか、考えなかった」
「考えてる暇なんてないだろ」
落とし穴から自力で脱出する術は無くもない。自らを一メートル球状の影とし縦横無尽に駆ける技、魔法跳躍を使えば最長一〇〇メートルの距離まで飛ぶことが出来る。
かなり万能な魔法がゆえに弱点も多く、時速は三六キロと固定されていたり、空中で解除すれば落下してしまうなど。何より問題なのが発動中は障壁も張れず受け身も取れず、攻撃を防ぐ手段が無くなってしまうことにある。
「でも」
「いいじゃねぇか。攻略を進めて隠し扉も出てきた。仲間に連絡は上げたから、そのうち返信も来るさ。連中にはかなりの強者だっているし、守護獣に後れを取ることもない」
頭の中で反省会を開いていそうな彼女を心配して、気楽に構えている風を大袈裟に見せる。
アリサが罠に嵌るや否や、助けに向かうために現場を任せていいかと仲間に視線を送った。すると言葉を交わす間もなく頷いてくれた彼女を信じて、アレンは落とし穴へ飛び込んだ。
自分に匹敵するか、それ以上の実力を持つであろう彼女ならば、何も心配はいらない。
「ひとつ、聞いてもいい」
「なんだ」
反省会に参加させられるのかと身構えるが、彼女の真っ直ぐな瞳からは不安な感情は消え去っていた。
「占拠事件のときもそうだった。どうしてあなたは助けてくれるの」
「誰を助けるのに理由なんか付けてられるかよ」
「あのときは満身創痍だったのに駆け付けてくれた」
どうも費用対効果が釣り合っていないと考えているようだが、アレンの行動理念は非常に単純である。
「後悔したくないだけだよ。アリサだって何度でも立ち上がったじゃないか」
彼女だって損得勘定で動くような人間ではないはずだ。人質のために果敢に立ち上がった姿を忘れはしない。
「約束したの。大切な人に」
「どんな」
「太陽に負けないよう前に立って皆を照らす、ってね」
キラキラと眩く天蓋を眺めて理想へと想いを馳せる。
「約束か。俺も同じだよ」
「なになに」
「大空に恥じないよう胸を張って今を生きる、ってな」
かつて絶望の中で見付けた小さな光。今もどこかで見ていると信じて二人は約束を口にする。
「応援するね。一緒に理想を追い掛けましょう」
「ありがとう。一緒に約束を果たしてやろうぜ」
かつて叶えられなかった約束は、今もなお、燃えている。
氷室の迷宮は攻略された。異界と歪に繋がった空間は元の自然へ戻るため崩壊を始める。魔法が創り出した幻影が振れ、木々が消えては現れ、顕現していた異物が還るのだ。
物を置き忘れていたとしても取り返せはしない。崩壊する迷宮は存在する以前の状態に戻るため、途中で踏み入れば異界送りにされると言われている。
実際に試した者がいたとして、帰ってこないのだから、異界に行ったのか捻り潰されたのか分別は付かない。
「何か食べましょうよ」
脱出を終えた一行の影が夕暮れに伸びる。想定外のことは起きたが壁外なんてそんなもの。概ね順調に任務を達成できた開放感に空腹感まで溢れてくる。
「飛鳥鍋とか、どうだい」
遠慮がちに何かを探りながらライトは提案するが、反応は釈然としない。
「なにそれ」
「美味しいの」
懸念した通りの反応に肩を落とす。
「この辺りは、カキ氷が有名らしいですよ」
労働後の身体にちょうどいいかと思った提案があるも。
「いや、気分じゃないな」
魔法で生成する物質はあくまで質量を持った映像に過ぎない。炎のようなものを生成したとて、熱もなければ一酸化炭素中毒になることもない。
氷の迷宮であろうと寒くはないが、それでも視覚的に得た情報は身体にも影響を及ぼしてしまう。
「くちゅゆ」
「くしゃみ助かる」
アリサのくしゃみに助けられた一行は帰路に就くことにする。帰りに飲食街にでも寄って打ち上げをしようと盛り上がり始めた。
そんな姿に背後から歪んだ視線を向ける者がいる。
かつて護る対象であったアリサに庇われ、窮地に陥る彼女を颯爽と救出してみせたアレン。
この気持ちは何なのだろうか。羨望でもあり、嫉妬でもあるが、もっと根本的な部分から込み上げる危機感。そして焦り。
「オレは、何をしているのだろう」
己の価値や存在意義そのものが、分からなくなっていた。




