後日談13 あの日のグリセルダ
青空の下、ダンジョンの最下層。
緑色の淡い光が全員を包む。それを確認して満足気にピンク色の髪の幼女は微笑んで、そのまま意識を失った。もちろん死んだわけではない。文字通りに魂が抜けただけ。
「チケン!」
おタヒは叫んだが、返事はない。意識はなく、眠っているような姿だった。
まるで飛び去った鳥を見送るかのように、全員がチケンの抜け殻を眺めている。
皆がチケンについて思い出を話し合っているのを、グリセルダはチケンを抱きしめながら聞いていた。
「……チケン、もう戻っちゃったの?」
おタヒの問いに、インテが応える。
「バイタルが上昇してきておりますのでもうすぐ日本でお目覚めになるかと!」
インテの言葉におタヒはホッとしたが、でも表情は明るくはならなかった。
「どうしてチケン、帰っちゃうのよ……」
「家族がいるのであろう。仕方があるまい」
「でも……」
「チケンにはここで為さねばならぬことはもうないだろうが、我らにはある。覚悟を決めよ」
グリセルダはそう言い聞かせるようにおタヒを諭す。しかし、これは自分に言い聞かせている言葉でもある。
グリセルダはヴェレルの最後を見届けるつもりでいる。もしヴェレルが逃げたなら宇宙の果まででも追いかけて殺すつもりでいる。おタヒも同様だろう。
だが、チケンにはもう関係のないことだ。無理強いはできない。
グリセルダもチケンがこちらに残ることを期待していなかったわけではない。
そうしてくれていたらどれほど良かっただろうか。
しかし、長くかかるであろう裁判期間、縁もゆかりもやることも無いチケンをずっと繋ぎ止めておくわけにもいかない。戻る場所がもうどこにもない自分たちと違って、チケンには戻る場所がある。
逆に言うと、それはどこにでもいける自由がグリセルダとおタヒにはあるが、チケンにはその自由はあまりない、ということでもある。
あのお人好しの男が、家族を捨てて自分一人だけテオネリアで悠々自適の生活をする……というビジョンはまるで思い浮かばなかった。
グリセルダが見た限り、ダンジョンではチケンは自分のこと「も」考えていた。
だがそれは『誰かが喜ぶ』『誰かのためになる』を優先事項にして、自分のことは後回しにしているようにも思えた。
そんなチケンだからこそいてほしいのだから、その行動を無下に否定するのも違うだろうと思う。
グリセルダはおタヒを抱き上げ、無言で顔を伏せグリセルダの服を握りしめるおタヒの好きにさせている。
おタヒに頭を下げる人間はこれからもたくさんいるだろうが、甘やかしてやれる人間は今はグリセルダしかいないだろう。
だから、そのくらいならしてやろうと思う。
思えばおタヒと出会ったときの印象は最低だった。
地位を鼻にかける、うるさい躾のなっていない犬のようだと思った。
だが、地位を鼻にかけるし、小うるさいけれど賢く、自分の決めたことはやり通す強さも持っている。
今では幼いが得難い友だと思っている。
おそらく、おタヒも似たような気持ちでいるのだろう。
今のグリセルダに後悔があるとすれば、もっとチケンとちゃんと話せばよかったということだ。
ヴェレルを倒して一週間ほど余裕はあったのだから、伝える時間はあったはずだ。
でも、この巨大な気持ちをどう伝えればいいか全くわからなかった。
このダンジョンでの戦い、そして生活を助けてくれたチケンへの感謝は尽きることがない。戦うためには、まず生きねばならないのだから。
どうやって恩を返せばいいのかわからないまま別れの時が来た。
金銭が望みなら多分、ローレンツェンの実家の蔵辺りから引っ張り出してくればチケンが望む程度の金銭は工面できるだろう。でも多分チケンはそう言うものは受け取らないだろう、とは思う。
贈るのなら言葉がいいのだろうが、何と言えばいいかわからなかった。
感謝は伝えたつもりだ。でも、もっと。何かあったのでは、と思ってしまうのだ。
傷つき苦しんでも自分を幸せにしてくれようとしたチケンに、自分がもらったのと同じだけの幸福を分け与えられればどれほど良かっただろう。
グリセルダは八歳から幼年学校、十三才から士官学校で育ち、十六歳からは王太子妃候補として周囲の人物に傅かれて暮らした。六歳までに培ったはずの情緒は六歳の時にすべて失っている。
故に、人並みの感情表現というものができない。その自覚がある。
多分、この小さなおタヒよりももっと感情表現が苦手だとは思う。
立場上、怒りや侮りには敏感にならざるを得なかったが、喜びや感謝を口にする機会は殆どなかった。勿論、礼を失することはない。礼を尽くされれば礼で返してきたと思う。
けれど情緒的な喜びや学びを得る機会は殆どなかった。故に、どう対処していいのかわからない。
こんな困惑した気持ちですら、以前は持ち得なかったものだ。困惑しているのに、おそらくこれは不愉快なものではない。それが不思議だった。
おタヒを抱き上げたまま、用意された部屋に戻る。眠ったおタヒをベッドに横たえさせて、七層の部屋の窓から海を眺める。
「やあ、ゼルダ。浮かない顔をしているね」
後ろからやってきたのは王太子だった。
「ああ、ディーか。どうした?」
「君の持っている疑問は、皆が持っている疑問だ。トライアンドエラーで解決していくしか無い」
「……何の件について語っている?」
王太子に聞きたいことはいくらでもある。大体は聞いてもはぐらかされるのだが。
「チケンくんのこと考えてたんだろ」
「……否定はせぬが」
王太子は笑ってグリセルダの手を取り、外へと連れ出した。インテがいてくれるので、おタヒは大丈夫だろう。インテにあとを頼み、夜のビーチを歩き二人はポツポツと口を開く。
「僕のことは十一層で見たんだよね? ずっと嘘をついててごめん」
しおらしく謝罪する王太子にグリセルダは言葉に詰まる。しばらく考えた後に、思ったことを正直に話すことにした。
「思い出せなかったこちらにも非はあるだろう。おかげで、結婚があのようなものだった理由はよくわかった。政略結婚故かと思っていたのだが……違っていたのだな」
「ゼルダのことはずっと友達だと思っていたからね、そんな事できなかった。でもずっといてくれてよかったよ。何度も助けてくれた。僕は君を守ってあげられなかったのにね」
王太子は何度も無惨に殺されたし、無惨に殺されるグリセルダも見ていた。
お互いにお互いの死に様を何度も見ていた。だからこそ、本当の理由を知る前からグリセルダは王太子に友情のような、腐れ縁のようなものを感じていた。
「私もお前を救えぬことが幾度もあった、お互い様であろうよ」
「そうだね、これからもずっと友達でいてくれるかな」
「無論だ」
王太子はそれを聞くと、十一層の図書館で見たときのような、花のほころぶような笑顔を見せる。グリセルダはふと、懐かしいと感じた。気のせいかもしれないが。
「でもね、ゼルダ。僕はもっと君に幸せになってほしいと思ってるんだ」
「そもそも、私は何をどうするのが幸せか、正直な所自分でもわかっていないからな……」
グリセルダは途方に暮れた。敷かれていたレールは木っ端微塵に粉砕されている。もう王太子妃には戻れない。
道なき道を、自分で進むしか無い。
敷かれていたレールを進むのは楽しくはなかったが楽だった。今それを痛感している。
「そればかりは僕の目にも見えないからね。自分で探すしか無い。でも手伝いはできる」
「ふむ、ではどう手伝ってくれると?」
グリセルダは少しだけ面白いものを見る視線で王太子を見つめる。
「そうだね、僕の千里眼によると次の夏には君はニホンという場所にいるよ」
「……チケンの祖国か」
「そうそう、おタヒ姫も一緒にね。かかる費用も手続きも、僕が口添えしよう。そして何より、僕の千里眼によると愛し子の裁判は五年後に始まる。君が楽しい休暇を取る時間くらいはあるんじゃないかな」
王太子がそういうのだから、実現はするのだろう。
しかしチケンの祖国にいる自分の想像がつかなかった。
テオネリアともローレンツェンとも全然違う、ものすごく人間の多い国だと言う。チケンを夢中にするような遊戯があり、簡単に食べ物も道具も手に入り、ヴェレルすら虜にするようなありとあらゆる娯楽に溢れた世界。
そんな場所でなら自分の楽しみも見つけられるのだろうか。
しかし、自分だけがそんな楽しい休暇をもらっていいのだろうか。沢山の人を救えなかった、罪深い自分にそんな権利があるのだろうか。
その幸せを享受するにふさわしいのは、自分ではない誰かではないか。
「お前は来ぬのか?」
「君が戦ってくれた分、少しは僕も働かないとね。でも、時間が出来たらそのうち遊びに行くよ」
「……そうか」
「それに、おタヒ姫をニホンに連れて行ってあげられるのはゼルダだけじゃない?」
少しだけいたずらっぽい表情を浮かべる王太子。
確かにそうかも知れない。
自分のことだけではない、友であるおタヒも幸せになってほしい。きっとおタヒはチケンとの再会を喜ぶだろう。もちろん自分も嬉しい。一石二鳥だ。
この気難しいお姫様を連れて遊びに行ったらチケンはどんな顔をするだろうか。
想像すると少しだけ楽しい気分になる。
今頃チケンは何をしているのだろうか。たまにはグリセルダのことを思い出してくれているだろうか。もしそうでなくても、元気でいるチケンを、この目で見たい。
「そうだな。お前の言う通りだ。その国に行ってみるのも悪くないな」
ホッとした王太子の顔を、今でもはっきりと思い出せる。
「僕はね。本当に君には幸せになってほしいんだ――――」
――――グリセルダは現実に戻る。
ヨシュアやジュスティーヌたちとの訓練で全力を尽くして疲れて帰りの車でうたた寝をしていた。
「グリセルダ、夜飯なにがいい?」
眼の前にはチケンがおり、前の席には運転をするチケンがいる。
そうだった。今日は専属運転手であるターボ婆ちゃんたちは集会を行っており、大きいチケンが代わりに運転をしている。
「お前が出したものがまずかった試しはないからな。ぜひ今日も口に合う食事を頼む」
「うげえ、何だよそれ。返事になってないだろ」
「ダンジョンのコウモリのスープですら美味く作ったお前だ、期待しているぞ」
「手作りをご所望って……コト!?」
「解釈は任せるが、美味いものを頼む。ワインに合えばなお良い」
グリセルダの言葉に小さな方のチケンがひどい顔をしていた。内心でグリセルダは面白く思っているが、顔には出さない。
「しゃーないな……なあ俺! 帰りスーパー寄ってくれ」
「わかった。でもメニューは任せたぞ俺、検索しながら運転はできないからな……」
「おう……」
小さいチケンは仕方なくスマホのレシピサイトを開いてにらめっこを始めた。真剣な横顔もかわいらしい。
ほんの冗談のような言葉に、真剣に応えてくれようとしているチケンの態度は大変好ましいものに思える。
グリセルダはふと思い出した疑問をチケンにぶつける。
「あの時の金貨はどうした? もう使ったのか?」
夏の海で一日の給仕の褒美に渡した金貨。何か好きな物を買うのに使ってくれただろうか。
「ん? おタヒにもらった香木と一緒に透明ケースに入れて大事にしてるよ。最近はオタグッズの展示グッズが充実しててありがたいな」
「……そうか」
小さい方のチケンの乱れた髪を手で撫で付けながら、グリセルダは自分の喜びの輪郭を少しだけ理解した。
何気ない時間。今までずっと得られずにいたもの。
口には出さないがグリセルダは思う。
これが幸せの一つの形なのだろうか、と。
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