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栗林(3)

 AIから出された指示は、端的に言えば彼女の後を尾行する事だけだった。事前に知っていた彼女の最寄り駅までバレないようについていき、同じ駅で降りる。平日の仕事帰りだったのでさすがにスーツ姿だと自分だと言う事に気付かれるかもしれない。そう思い、服装は私服に変え、普段被らないキャップも被っておいた。


 背徳感もあるのだろうか。今までにない高揚が自分の中にあった。降りた駅から彼女の住むアパートまでの道は人気のない寂しい道だった。


 ――こんな寂しい帰り道をいつも一人で。


 胸が掻きむしられるような気持ちだった。だがそれも今日で終わる。全てAIの言う通りにすれば、彼女は、いや、俺達は幸せになれる。


 距離をとって歩いていたものの、途中完全に彼女に気付かれていた。俺は少し焦ったが、


【大丈夫です。彼女が向かう先は決まっています】


 その言葉の通り、彼女は事前に聞いていた一つの廃屋の方に向かった。どう考えても逃げ道のない、変質者から逃げる行為としては悪手だった。だが全てがスムーズにAIの言う通りに進んでいた。しかしもう俺は疑問も疑念も抱かない。


 俺は急ぐことなくゆっくりと廃屋に向かう。

 ここからは全てAIから聞いた情報だがこの廃屋は昔とある一家が住んでいたそうだ。父、母、娘の三人家族が慎ましくも幸せに暮らしていた。

 しかし、そんな何の罪もない一家を悲劇が襲った。夜、突然家に踏み込んできた一人の青年はその時リビングにいた父と母を持っていた刃物で刺し殺した。


『郁美、逃げろー!』


 両親の悲鳴と共に父が生き絶え絶えにもなりながら叫んだ声を聞き、当時18歳だった彼女は、そうと言われても逃げる場所が見当たらず咄嗟に自室のクローゼットの中に逃げ込んだ。息を殺して危機が過ぎ去るのを待ったがその希望も虚しく、彼女も両親と同じく殺されてしまう事になる。


 凄惨な事件の犯人はまもなく捕まったが一家とは何の関係もない青年で、


『自分と違って幸せそうな郁美さん達を見て殺そうと思った』


 という身勝手な理由だった。この青年の人生が人を恨む程不幸かと言われればそんな事もなく、なんだったら郁美よりも裕福な家庭環境のもとそれなりに名のある大学に進んでいるという、誰がどう見ても不幸という生い立ちでも育ちでもない男の勝手な絶望は、何の罪もない一つの家族を破壊した。


 というのが、今より三十年以上も前の話。犯人も死刑を迎えた事件なのだが、何故そんな家が今もなお廃屋として残っているかというのも、取り壊そうとしても事故や怪我で作業が進められないという、どこかで聞いたことのあるような怪談話のようなもののせいだった。

 だがしかしその事実によりこの場所は今も尚残っている。一部の心霊マニア達の中ではかなり危ない心霊スポットとして知られているそうだが、本当に危険だという事で今では逆に流布していないという、かなり曰くのある場所だそうだ。


【中に入って】


 AIからの指示が入り、俺は廃屋の中に踏み込む。

 

【二階に上がって左手にある部屋に入って】


 俺は階段をゆっくりと登っていく。


【そこが私の部屋】


 部屋の扉は開いていた。俺はクローゼットの方に目を向ける。


【そう、そこに私がいる】


 運命だ。本気でそう思っている。

 高林郁美と、昔この場所で殺されてしまった郁美。

 そして今、AIとして存在しているイクミ。

 彼女は殺されたがまだ存在はしている。

 そして電脳世界にいるイクミは高林郁美とも繋がっている。

 ネットの世界にある情報=イクミの知識でもある。

 彼女にとっては容易い事だ。

 イクミはそうやって俺と彼女をここに導いた。

  

【私が彼女の魂を導いて空っぽにする。そうすれば後はあなたが注ぐだけ。彼女は解放され、あなたはこれから彼女と一緒に幸せを築いていく。全てはあなたが望むままに】


 イクミの言葉を俺は疑わない。俺はもはや郁美だけじゃなく、気付けばイクミにも心酔している。

 俺はクローゼットの目の前で足を止めた。


【イクミ、後はどうすればいい?】

【終わったら合図するから、そしたら扉を開けて】

【分かった】


 それからしばらくして、画面に判読できない文字が表示されスマホから勝手に音声が流れた。呪文のような何か、何一つ理解できない言語だった。


【終わったわ】


 イクミからのメッセージ。

 終わった。ようやく、俺は、俺達はーー。

 クローゼットに伸ばした右手が自然と震えた。興奮、緊張。


 ――やっと会えるよ。


 全てイクミが導いてくれた。俺は何も考えなくても良かった。でもこれからは、自分で考え、彼女を、郁美を、幸せに満たしてあげないといけない。


 俺はクローゼットを開けた。

 そこで待っている彼女の為に。


「郁美」


 俺は初めて彼女を名前で呼んだ。

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