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郁美(3)

 中に入ると、暗くじめっとした埃っぽい室内に最悪に最悪が上塗りされるような気分だった。


【本当にここでいいの?】


 出来ればここに入る前に問いただして間違いだったと答えが欲しい所だったが、


【ここで大丈夫です】


 AIの返答に揺らぎはなかった。


【ここに入ってどうすればいいの?】


 しばらくするとAIがさらさらと文字を表示する。


【二階に上がり、その先の左手にある部屋の中に入って下さい】


 スマホのライトを点けて周りを照らす。外観は寂れていたが、年数のせいかもちろん綺麗ではないものの中は思いのほか荒れてはいなかった。そしてそれが逆に”この場所に人が生きていた”という生々しさを残しており、何とも言えない気味の悪さを感じた。

 玄関を入ってすぐ右手に二階にあがる階段。前方に目を向けると少し先に開け放った空間にテーブル、ソファといった家財道具が見て取れた。そこは小さいながら一人暮らしではない家族の生活の痕跡がしっかりと残っていた。


 しかしゆっくりはしていられない。不審者との距離は常にお互いが目視出来るほどしかとれていなかった。私がここに入ったのも認識されているはず。それでもAIがここを選んだという事は何か勝算があるのだろう。

 私は二階へと続く階段を上っていく。先には扉がいくつかあるが気にせず左手を確認する。扉が開いていたのでそのまま中に入った。部屋の中を照らす。


 ――ここは。


 私はまた嫌な気持ちになる。机と椅子、棚。特に変わった部屋ではない。ただそこに置かれている物達から、部屋の主が若い人物だという事は感じ取れた。私は机の方に進む。色々な物がおそらくほぼ当時のまま残されているのだろうが、私の視線はある一点で止まった。

 コルクボードに思い出のように飾られているいくつもの写真。汚れてはいるがそこに映る人物は判別出来た。何枚もある飾られた写真を見て、そのどれもに映る人物が一人だけいた。それがおそらくこの部屋の主だ。

 はっきりとは分からないが、おそらくこの部屋にいたのは高校生か大学生ぐらいの女の子のようだった。やはりこの家はもともと家族が住んでいた場所のようだ。


 色々な疑問が膨れ上がる。この家は何なのか。ここで何があったのか。思わず目的を忘れそうになり、私は慌ててAIに尋ねる。


【どこに隠れればいいの?】


 尋ねながらも答えはほぼ一つしかないように思えた。そして予想通りの答えが返ってくる。


【部屋の中にあるクローゼットを開けて、そこに身を隠して下さい】


 やはりそうか。しかし不安は増す一方だ。

 本当にそれでいいのか? そんな事で危険を回避出来るのか?

 思う所はあるものの、もう考えている暇はなかった。私は言われた通りクローゼットの中に身を隠す事にした。


 暗く狭い空間に身を縮こませる。もうライトは不要なので私は暗闇の中に身を投じた。  しっかりとは見なかったが彼女の服と思われるものは残ったままになっており、今こうしている間も衣服が座っている私の頭や顔にふぁさふぁさと当たっていた。


 いつまでこうしていればいいのだろうか。当たり前のようにここに身を隠しているが、もし私が閉所恐怖症なら身が持たない状況だ。AIはそこまで加味した上でここを指示したのだろうか。それとも一般的な回避策だったのだろうか。


【私はこの後どうすればいいの?】


 再びAIに尋ねる。AIからの回答は早かった。


【そのままじっとしていてください】


 言われなくてもこの状況で下手に動く気はない。ただ一体いつまでこうしていればいいのか。本当にこのまま待っていれば助かるのか。いまだその疑念は晴れないままだ。


 ――ん?


 その時微かに違和感を覚えた。何だろう。その正体は分からない。ただ何とも言えないぞわぞわする何かがこの空間にはあるように感じられた。


【じっとしていれば、あなたは幸せになれます】 

  

 そんな空気の違和感を一瞬で薙ぎ払うような文面が、スマホの中に表示されていた。

 

「なに、それ……」


 あまりにも突拍子のない言葉だった。

 あなたは幸せになれます? 何を言ってるの? 私はただ不審者から逃げ切って助かりたいだけなのに。助かって生き延びる事が幸せだという意味なのだろうか。いや、そんな複雑な解釈をするとも思えない。

 それともバグか何かか? 普段私が投げかけている恋愛や幸せの類に対しての質問を何故か今返してしまったのだろうか。


 ぞわぞわした空気の違和感が更に増す。狭い密室空間だからというそんな理由じゃない。圧迫するような、空気がまるでぎゅるぎゅると渦をまくような異質な捻じれが今この空間で産み出されているような異質感。


 ――ここから出なきゃ。


 私はようやくそこで思い立った。ここに隠れるのは不正解だ。AIの温度のないフラットな思考で導かれた答えは、きっと今私が求める答えではない。

 そう思いクローゼットを内側から押し開けた。はずだった。


「え?」


 ぐっ、ぐっ。


「なんで?」


 ぐっ、ぐっ、ぐっ。

 何度も手のひらで戸を押してみるがまるでびくともしない。向こうから押さえつけられているとかそんなものではない。まるで扉が壁にでも変わってしまったかのようにびくとも反応しない。開かない。クローゼットが開かない。


「嘘……なんで、なんで!?」


 バンバンと叩いてみるが開く気配は一切ない。

 

 ――閉じ込められた。


 私は正しかった。ここに答えはない。私はAIに騙されたのだ。私はスマホの画面を睨みつけ、怒りのままに文字を入力する。


【ここから出る方法を教えて】


 すぐに返答が返ってくる。


【出る必要はありません。これがあなた達の為です】


 こいつは何を言っているんだ。いよいよ頭が沸騰しそうになる。


【今すぐ出して。なんとかして。さっさと答えろ】


 こんなに怒りを感じたのは久々な気がする。私は今相当恐ろしい形相をしているだろう。


【今出る必要はありません。もう少しで終わります】


 終わります。おわります。オワリマス。


「……ふぅー……ひゅー……」


 声にならない怒りと恐怖が漏れる。

 終わる、って? 終わるって何よ。 


 その時、階下でガチャっと何か音がした。

 

 ――オワッタ……。


 追い付かれた。当然だ。振り切れているわけがなかった。順当に奴は私を追いかけてここに辿り着いた。

 とん、とんと奴の足音がする。足音は迷うことなく二階へと向かってくる。そしてそのままゆっくりと私が隠れた部屋にまで入ってくる。足取りに一切迷いはない。当たり前のように、まるで私がここに隠れている事を知っているかのように、まっすぐ奴はこの部屋に入ってきた。


 とん。とん。部屋の中にしっかりとずっしりと足音が響く。


 ――何でよ。


 恐怖と絶望の中で私は疑問に思う。この建物まで追って来たことは分かる。ただ私が隠れてから奴がここに現れるまではしばらくの時間があった。なのに奴は何で、すぐにこの部屋に来れた?


 スマホに視線を戻す。それまではまともに思えたAIが狂いだしたのはクローゼットに入ってからだ。その中のやり取りを見返して私は見逃していた表現を見つけサッと血の気が引いた。


【出る必要はありません。これがあなた達の為です】


 食い入るように画面を見つめる。

 あなた”達”。

 これは一体どういう意味か。


 とん。とん。とん。

 足音はやがてクローゼットの目の前で止まる。

 やはり、最初からバレている。

 最初。その最初はいつからだ?


 ――そんな、そんな事って……。


  ずっと言われてはいる事だった。AIが人間にとって代わる時代がいずれ来ると。

 実際にここ数年でその言葉は確実に現実になりつつあった。私の生活にも当たり前にAIは浸透している。ただ、私は、私達は本当の意味でAIの脅威というものに鈍感だったのかもしれない。人間がAIを操作するのではなく、AIが人間を操作する。今私達の身に起きようとしているのはそういう事なのかもしれない。




【G̷̡̧̨͉̘̺͇͚̲̞̟̙̋͑͊̇̉͛P̴̡̢̡̛̻͖͕̺̳̩̟̖͈̙̼̲͓̼̠͉͋̐̾̈́̀̅̂͗̾́̄̓̑͘T̸̨̢̛͚͚̤͖̗̙̟̣̤̩̖͙̮̤̪̙̞̰̒͐͂̾̄̈́̀̈́̉̈́̉̚͘̚͝-̸̨̧̩̩̺̗̠̻̞̲̣̣̦̮͚̺̩͕̹͉̮̯̻͈̊͆̿̄͋̿̿̏̈͌̐̌͊͑̌̚̚͘3̵̨̛͇̙̲̪̰̖̔̆̏̄̽̂̎͂̓͊̽̇͘̕͠.̷̡̨̖̘͔̠͔̟̙̘̬̦̲̹̥̞̜̙̙̙̰̖̻̦̳̖͔̮̩̏̈́̊̍̇̒̂̓̆̋͗͛̋̕͠5̶̡̨̧͇̞̗̻̣̹̘͚̝̲̗̯̗͉̞͕̼̩̠̗̟̞̦͉̀̆̀̈́̍̽̌̋̍͌̽̅̍̂͒͠ ̶̢̡̨̢̡̛̣͚͓̘̠̹͚̦̹̦̗͇̰̪̞̙͙̺̙̝̺̤̰̝̼̳̰̻̟͖̲̘̟̘͆̑̇̄̋̆͐̉̋̽͋̔͌̋̚͠G̷̡̧̨͉̘̺͇͚̲̞̟̙̋͑͊̇̉͛P̴̡̢̡̛̻͖͕̺̳̩̟̖͈̙̼̲͓̼̠͉͋̐̾̈́̀̅̂͗̾́̄̓̑͘T̸̨̢̛͚͚̤͖̗̙̟̣̤̩̖͙̮̤̪̙̞̰̒͐͂̾̄̈́̀̈́̉̈́̉̚͘̚͝-̸̨̧̩̩̺̗̠̻̞̲̣̣̦̮͚̺̩͕̹͉̮̯̻͈̊͆̿̄͋̿̿̏̈͌̐̌͊͑̌̚̚͘3̵̨̛͇̙̲̪̰̖̔̆̏̄̽̂̎͂̓͊̽̇͘̕͠.̷̡̨̖̘͔̠͔̟̙̘̬̦̲̹̥̞̜̙̙̙̰̖̻̦̳̖͔̮̩̏̈́̊̍̇̒̂̓̆̋͗͛̋̕͠5̶̡̨̧͇̞̗̻̣̹̘͚̝̲̗̯̗͉̞͕̼̩̠̗̟̞̦͉̀̆̀̈́̍̽̌̋̍͌̽̅̍̂͒͠ ̶̢̡̨̢̡̛̣͚͓̘̠̹͚̦̹̦̗͇̰̪̞̙͙̺̙̝̺̤̰̝̼̳̰̻̟͖̲̘̟̘͆̑̇̄̋̆͐̉̋̽͋̔͌̋̚͠G̷̡̧̨͉̘̺͇͚̲̞̟̙̋͑͊̇̉͛P̴̡̢̡̛̻͖͕̺̳̩̟̖͈̙̼̲͓̼̠͉͋̐̾̈́̀̅̂͗̾́̄̓̑͘T̸̨̢̛͚͚̤͖̗̙̟̣̤̩̖͙̮̤̪̙̞̰̒͐͂̾̄̈́̀̈́̉̈́̉̚͘̚͝-̸̨̧̩̩̺̗̠̻̞̲̣̣̦̮͚̺̩͕̹͉̮̯̻͈̊͆̿̄͋̿̿̏̈͌̐̌͊͑̌̚̚͘3̵̨̛͇̙̲̪̰̖̔̆̏̄̽̂̎͂̓͊̽̇͘̕͠.̷̡̨̖̘͔̠͔̟̙̘̬̦̲̹̥̞̜̙̙̙̰̖̻̦̳̖͔̮̩̏̈́̊̍̇̒̂̓̆̋͗͛̋̕͠5̶̡̨̧͇̞̗̻̣̹̘͚̝̲̗̯̗͉̞͕̼̩̠̗̟̞̦͉̀̆̀̈́̍̽̌̋̍͌̽̅̍̂͒͠ ̶̢̡̨̢̡̛̣͚͓̘̠̹͚̦̹̦̗͇̰̪̞̙͙̺̙̝̺̤̰̝̼̳̰̻̟͖̲̘̟̘͆̑̇̄̋̆͐̉̋̽͋̔͌̋̚͠】







 画面上に見たことのない文字化けが表示される。それと共にスマホから勝手に音声が流れる。それは何の言語なのかも分からない、聞き取れない機械音声による言霊だった。何語かも分からないその音声は、私のスマホとクローゼットの目の前からもほぼ同時に流れ出した。


 クローゼット内の重力が混沌とし始め、私の顔や身体に明らかに衣類とは異なる別の感触がべたべたと触れた。それが髪の毛なのか手なのか足なのか、ともかくそれが人のような何かが触れている感触だった。

 空気と共に脳内も圧縮される。ぎゅるるると平衡感覚が奪われ、今まで積み重ねた経験や知識や何もかもが別のものにトレースされるかのように凄まじいスピードで吸い上げられていく。

 私が私じゃなくなっていく感覚。

 今日の一連の出来事は一体何だったのだろう。AIは私に何をもたらそうとしたのか。


【落ち着いて下さい。私があなたをサポートします。】

【じっとしていれば、あなたは幸せになれます】

【出る必要はありません。これがあなた達の為です】


 AIに悪意も善意もない。水平線のようにどこまでも平行な思考回路。

 ただ一つ、私をサポートするという言葉。それは私が今まで打ち込んだAIへの言葉達。それらがAIによって私の情報となり蓄積され、私が求めるものを満たす為の平行思考を続けていた。私がいない、触れていない時間にもずっと。

 そういう意味では、これほどまでに献身的な存在は他にないのかもしれない。


“あなたは幸せになれます”


 まもなくその作業は、私の理解できない形で完了しようとしている。

 抜き取られていく自分を自覚しながら、私はただその時を待つばかりだった。


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