郁美(2)
【安全な場所に避難しましょう】
しかし次に出てきた言葉に私は思わず苛立つ。
――こんな静かな場所でどこにそんなとこがあるのよ!
職場は都会だが帰る場所は片田舎。こんなに遅くなるならもっと近い場所に引っ越すべきかとも思ったが、AIを使って条件を確認した結果をもとに最終的にその安さに釣られた。まさかそのしわ寄せがこんな所で訪れるとは思ってもみなかった。
寂れた駅から家までは5分程。普段なら何てことない距離だが今になって本当に何もない場所だと改めて感じる。コンビニなど商業施設があれば良かったが、運の悪い事にそれらは全て逆方向にある。歩く距離が増えればそれだけ危険に晒される時間と可能性は増す。
【安全な場所ってどこよ】
まるで人間を相手に打つように、感情そのままAIに言葉をぶつけた。
*
使う理由も特に思い当たらなかったので手を出さなかったが、何やら凄いものがあるという事はよく耳にしていた。しかしそれがより身近になったのは皮肉にも金銭以外何ももたらさないと思っていた職場の取り組みの一環だった。
文書作成、校正、企画立案、調べものといったまだ事務的な部分での活用が主ではあったが実際に使ってみると思った以上の機能で私は素直に驚いた。その興味と無料でも使用出来るという事で、面白半分で自分の端末にも入れてみた。
恋愛占い、心理テスト、小説と始めは娯楽程度にしか使わなかったが、簡単な料理レシピや欲しい商品といった生活面での活用から、ただの雑談に近いような自分の将来についての相談相手としても使うようになっていた。
履歴は気付けば恋愛絡みだった。それを見る度自分を恥ずかしく思ったが、とにかく私は幸せになりたいんだとAIを通して自分の事を知った。
ただ残念ながら、今のところ何か結果が出るという事はなかった。
*
【位置情報を有効にして下さい。周辺情報を検索します】
このポンコツと打ってやろうかと思っていた僅かな間に表示された文章で思いとどまり、位置情報をonにする。なるほど、流石にそれで投げっぱなしなんて事はないか。
しかし本当にそんな場所なんてあるのだろうか…。
【この場所に向かってください】
文面と共にマップにピンが表示された。見る限りそのまま直進を続け、自室のアパートを通り過ぎた少し先の場所にピンが立っていた。
どこだろうか。逆方向に商業施設がある事からはなからそっち方面に興味もなく周辺探索もした事はなかった。そのあたり情報収集はさすがAI、お手の物といった所か。ネットにある全ての情報を知識として活用出来るのだから単純に人間の頭よりも優秀だ。
私は目的地に向かいながら次の質問を投げかける。自主性がない所が弱点の一つか。
【警察に連絡するべき?】
本当は今すぐにでも連絡して人の助けが欲しい。でもどうしてもリスクが邪魔をして行動に移せない。自分以外の判断を出来る何かがあるというのはありがたい事だ。
【不審者が後ろにいる場合、個々の状況によりますが、一般的には警察にすぐに連絡することが適切です。以下に考慮すべき点をいくつか挙げます。
1自己の安全を最優先に考える:もし不審者が自身の安全を脅かす可能性があると感じる場合、警察にすぐに通報してください。自己防衛のために、他の人の目がある場所や人通りの多い場所に移動することも考慮してください。
2異常な行動や危険な状況の兆候:もし不審者が異常な行動をとったり、あなたを追いかけたりしている場合、または身体的な脅威を与えるような行動を見せている場合は、速やかに警察に通報しましょう。
3状況を正確に伝える:警察に連絡する際は、不審者の特徴や行動、現在地など、可能な限り正確な情報を提供してください。これにより、警察が迅速かつ効果的に対応できます。
また、地域によっては、不審者に関する情報を地元の警察署や緊急通報番号に提供するための非緊急通報番号が設けられている場合もあります。事前にそのような情報を確認しておくと良いでしょう。
以上の点を考慮した上で、自身の安全と周囲の人々の安全を確保するために、不審者が後ろにいる場合は警察にすぐに連絡することをお勧めします。】
やはりこいつはポンコツだ。今私が知りたいのはそういう事じゃないし、そんな事は分かっている。思わずスマホを地面に投げつけたくなる。
【ですが、現在の状況を考えるとまずは避難を優先しましょう。避難場所まではそう遠くありません。後ろの不審者が現在この状況下においてあなたにすぐ攻撃や接触を試みてこない事から、過度な対応は必要ないと判断します。警察への連絡はその後でも大丈夫です】
確かに。これだけ人気のない状況であれば、すぐに行動に起こされてもおかしくはなかった。今更ながらそれに気付かされると、悠長にAIに助けを求めていた事に少し血の気も引いたが、とりあえずは今頼りになるのはこれだけだ。
後ろからついてくる足音は特に聞こえない。だが少し離れた位置で目立たないように歩かれたら音ぐらい殺せてしまう。
”すぐに攻撃や接触を試みてこない”
もう一度振り返るか。これでついて来ていなければそれが一番だ。それならわざわざ自室を通り過ぎる必要もない。距離もある。
私は少し空を見上げ、今日何だか暑いなと空気を眺めるような素振りで首を動かす。そして視界の端に映る何者かが同じスピードで後ろからついて来ている事を確認してしまう。
心拍数が跳ね上がる。あれはたまたま同じ帰路に向かっている人間じゃない。根拠はと改めて問われたら怪しいというただそれだけだが、自分の中で爆音を鳴らす警告音という直感が私にとっては明確な答えだ。何もなければこんなにも人は危機感を憶えない。
――逃げなきゃ、逃げなきゃ。
今すぐ走り出したい衝動に駆られるがぐっと気持ちを抑え込む。
どうして? 何故私が狙われるの? 考えた所で何の心当たりもなかった。
スマホのマップを確認する。着々と目的地には近づいている。一体どこにAIが連れて行こうとしているのかは分からないが今は信じるしかない。
【どうして私が狙われてるの?】
不安がそのまま言葉になる。聞いても分かるわけのない文章を気付けば投げかけてしまう。だが真面目なAIはしばらく考え込んだ後、返答する。
【なぜ誰かに狙われているのかはさまざまな理由が考えられます。以下に一般的な状況と考えられる理由をいくつか挙げてみますが、これらが必ずしもあなたの具体的な状況に当てはまるわけではありません。
1 財産や資源: もし、あなたが高い価値を持つ財産や資源を所有している場合、それに興味を持った人々や組織があなたを狙う可能性があります。例えば、大金を持っている、貴重なアート作品を所有している、あるいはビジネス上で成功を収めているなどの場合です。
2 場所や地位: あなたが特定の場所や地位に関連している場合、その場所や地位に興味を持つ人々や組織から狙われる可能性があります。例えば、政治的な立場にある、特定の地域で影響力を持っている、あるいは重要な組織のメンバーであるなどの場合です。
3 個人的な問題: 過去に関与したトラブルや対立、個人的な敵対関係などがある場合、それが原因で狙われることがあります。これは人間関係や個人的な過去の出来事に関連する場合があります。
4 情報や秘密: もし、あなたが特定の情報や秘密を知っている場合、その情報が望ましくない人々や組織にとって脅威になる可能性があります。例えば、重要なビジネスの内部情報を知っている、政治的なスキャンダルに関与している、あるいは秘密裏に行われている不法な活動に関する情報を持っているなどの場合です。
これらは一般的な理由であり、あなたの具体的な状況には当てはまらない可能性もあります。もし実際に狙われていると感じているのであれば、警察や関連する法執行機関に相談することが重要です。彼らはあなたの状況を詳しく調査し、必要なアドバイスや保護を提供してくれるはず】
何かピンポイントな事でも言われたらどうしようかと思ったが、あくまでもAIの回答は一般的なものしかなかった。しかもどれも特にピンとはこない。強いてあり得るなら3番か?
ただあくまで消去法に過ぎず、具体的に何かがあるわけでもない。
あいつは誰なのか。私が知っている人間なのか、そうでないのか。
少なくとも男性ではあった。男性に狙われる理由。残念ながら魅力的な女性とは自分でも言い難い。期待は捨てていないが、自分に言い寄ってくれるような期待した異性が現れないという現実が日々の色を着実に薄めている。
そうなると私が狙われる意味はなんなんだろう。
正体不明の不審者の事を考えながらも歩を進める。アパートを通り過ぎ、踏み入れた事のない領域を進んでいく。しばらくまっすぐ歩き続けた後、本当に合っているのか疑いたくなるほど細い路地へ入った。ただでさえ人気の少ない場所から更に暗く細い道へ進む事に不安は隠せない。
――このまま袋小路に陥ったら。
今更ながら私はAIの言う事を信じてよかったのだろうか。
【目的地に到着しました】
――噓でしょ……?
私の選択は間違っていたのかもしれない。
目の前に現れたのは、心霊スポットと言われても納得しそうな廃屋だった。




