4.4月17日
こちらでは紙の配給が途絶えてしまったため、挨拶は省略させていただきます。さっそくですが、現状のわたしたちについてご報告いたします。仕事は三日もらえたらいいほう。すぐにお役御免となってしまいます。父は痛み止めをもらえず苦しんだ末に飛び降りました。葬儀をするお金もなく、荼毘に付すだけで精いっぱいでした。母は足を悪くして病院へ行けておりません。行けたとして治療費はまかなえませんから、どうすることもできません。老人は苦しみ、あげく死ぬだけです。若者は働きたくとも働けず、いまあるものを奪い合っているだけです。わたしの幼い頃は旅行へ行く余裕もありました。いつからこんなことになったのでしょう? 戦争のせいでしょうか? わたしたちが無関心だったから?
「あはは! 傑作だねえ! すっごくつまらない」
「おまえにゃそうだろうよ。戦争を起こす側なんだから」
「戦争? そんなの起こしてなんかいないよ」
「実行したかじゃなくって、立場の話をしてるんだ。おまえは人間を駒としか思ってないだろ? 笑っていられるのがなによりもの証左だろうが」
「笑うのがなんなの? だってこれ、ジョークでしょ?」
バカバカしいけど、笑う以外にどうともできない絵空事だ。ドームの中は当然として、外の世界にも存在していないことばかりが書かれている。誰も理解できないというのに、存在する意味はあるのだろうか? 正直なところ気遣って笑っただけで、たいして面白くもない。時間と紙の無駄に思えてきた。
「管理官以外は笑えないんだよ。つーか黙ってろ。二枚めを読んでみる」
タウノシンは紙を手に、ふたたび朗読を始めた。
「給料日まで二週間もあるのに車ぶつけちまったんだ。賠償に金が吹っ飛んだ。三万でいいから貸してほしい。すぐに返すから。これを証書にしていい」
「キューリョービってなに? クルマって? ショーショってのがこの紙の名前?」
「こりゃ、金の無心だな。嘘くせえ。次のを見る。えっと……つける薬のないバカ娘へ。スマホの番号を変えたりアドレスを全部不通にするなんて、親と縁を切るつもりなんでしょうか。もう一度記しておきますが、おまえはワトソンとやらに騙されています。警察や探偵に調べてもらった結果、山ほどの被害届が出されていたことがわかりました。やつが結婚詐欺師である証拠は出揃っています。と書いても、信じてくれないだろうな……ああ、馬耳東風とはこのことか。学生時代に習ってもぴんとこなかった言葉が今、身を斬られる痛みとともに理解できたよ」
「バジトーフーってなに? タウノシン」
「……いちいち口を挟むな。後で説明してやる。えっと……おまえが本気でワトソンをかばうつもりなら、こちらとしても考えがある。おまえとワトソンのふたりから詐欺の被害に遭ったとして警察に届け出るつもりだ。六百万のその金は確かにおまえに遺すつもりの金だった。だがそれは詐欺師との子にじゃあなく、うちを継いでくれる孫のための教育資金としてだった。だから……っと、千切れちまっている。続きはないようだな」
「どういうこと? サギってなんなの?」
「まったく、そんなに無知で管理官になれるってのは恐ろしい話だな」
「管理官に知識は必要ないからね。必要なのは美貌とカリスマ性だろう?」
「あとはスピーチ力ってか? ないじゃないか」
「なんだって? 僕のスピーチは一番人気だよ?」
「あれは九十九パーセント俺の力だ。一パーセントはおまえの見た目だろ」
「ひどいな。八十パーセントくらいは僕の力だよ。これほどの美貌はいないって生まれたときから称えられているんだよ?」
「……今は臭くて汚れまみれで不潔だけどな。ああ、これの続きはないが、憐れなる娘の手紙らしきものはあるぞ」
不潔は本意じゃない。むしろタウノシンのための犠牲なのに、と憤慨していた僕だけど、女の手紙とやらが気になって文句は飲み込むことにした。
「女は親に反論したの?」
「そいつはわからん。宛名はワトソンのようだ。どうやら捨てられたらしい。お金は全部渡す。子どもは堕ろすから捨てないで、だとよ。子どもはまだ生まれていないようだ。堕ろす、ってのは殺すってことかな? 文脈的に。大昔は合法じゃなかったはずなんだが、覚悟のうえなんだろうか」
「女は人殺しなの?」
「そのようだ。仲間意識が芽生えたか?」
「なにが? 僕は殺したことないよ?」
「直接手を下していないだけだろ。何百人も虐殺しやがって」
「安心安全かつ清潔な世界で足並みを揃えられない者は死んだほうが幸せだよ」
「大勢のために尽くすのが個人の役割ってか?」
「そうだよ」
「おまえのどこが尽くしてるって?」
「こうやってタウノシンを修理しに来て、気まぐれに付き合ってるのも尽くしているからじゃないか。それより手紙は他にないの?」
「あ? ……まさかおまえ、面白いのか?」
「うん。非常に興味深いね。続きがあったら聞きたいな。僕には読めないし」
タウノシンはまんざらでもない顔で鼻を鳴らし、まだある、と答えてふたたび朗読に戻った。
「拝啓、時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。平素は格別のお引き立てを賜り、厚く御礼申し上げます。さて、このたびの縁談は貴殿にとって申し分のない提案であると存じます。街から少し離れた閑静な土地に、お嬢様のため新たに邸宅を建設いたしました。いっさいの不自由ない生活を送っていただけると保障いたします。お嬢様の好む食事や衣装を惜しみなくご用意いたしますし、邸宅の外に出ず可能なものであれば、どのような娯楽もご用意いたします。ただ私の他に、どなたもお近づきになれない、というのが条件です。貴殿や奥方がご挨拶にいらしてもお会いすることはできかねます。そのことだけご了承いただけましたら貴殿の起業への投資はすべて飲むつもりであります。ご検討いただけますと幸いです。なるべくのお早いご返答をお待ち申し上げます。それでは略儀ながら書中をもちましてご挨拶申し上げます。敬具……なんだこりゃ」
「タウノシンもわからないの?」
「理解できるかよ。惚れた相手の親に向けた手紙のようだが、束縛の度が過ぎてやがる」
「ソクバク?」
「要は生活や行動に制限をかけて、思うがままにしたいという欲望だ。自由を奪うっていうのか……ああ、そうか。おまえらルーウィン機関のユートピア理念と同じだな」
「ユートピアと同じ?」
驚くことを言われて、僕は内容をいま一度吟味してみた。相手のために生活の面倒を見て娯楽も提供し、幸福にしてやる。素晴らしいじゃないか。条件は外へ出ないというだけだ。
「確かに、まさしく我がユートピアだね! ルーウィン機関は愛を提唱していたんだね」
ユートピアとは愛の世界だったようだ。これまでは愛ってものがよくわからなかった。過去の遺物のひとつと思っていたけれど、いまだに現存していたらしい。そればかりか機関が体現していたとは驚くべき事実だ。
「そうだな。かなり一方的で、むしろ自己愛ってやつだが」
「それが悪いの?」
「……最低最悪のクソじゃん」
タウノシンじゃない声が聞こえてきて、僕は飛び上がった。声のするほうを見ると、小汚く不衛生な青年がふたりドアの前に立っていた。いつの間に入ってきたのだろう。というか、ドアの開く音などのいっさいがまったく聞こえなかった。
「誰?」
「それは俺らの台詞だって。エナとおばあを助けてくれたみたいだけど、あんたたち、何者?」
赤土みたいな髪色の男が右手を前に出した。手のなかには尖った鉄を握っている。あれは錆というやつだろうか。髪の色よりどす黒く目にも汚い。修理屋のところで見かけたとき、質問したら答えてくれた気がする。中にはないものだ。
「僕はシュカ。ルーウィン機関の次期管理官の地位にある。こっちは相棒のタウノシン」
「はっ! 本気で言ってら。エナから聞いてまさかと思ったけど、冗談はやめようぜ。中のお偉いさんがこんなところにいるわけないんだし、もう少しまともな嘘つきなって」
「本当だよ。こんなところに来たくなかったけど、タウノシンを修理するためには出るしかなかったんだ」
「修理? 治療じゃなくて?」
治療とはなんのことやら?と首を傾げたら、タウノシンが「そうだ」と割って入ってきた。
「俺は生き物じゃない。ロボットだ。あんたらはエナさんの友人か?」
「ああ。エナに頼まれて来たんだ」
「……かわいい」
赤茶の男の横で、白い髪の男がぽつりと言った。色白で線の細い彼は、妖精みたいな見た目そのままに愛らしく甘い声をしている。男とわかる低さだけど、一瞬だけ目があったとき、奇妙にもどきりとしてしまった。
「どうしたメハズク、気に入った?」
「うん。欲しい」
「暑苦しそうだけど、奪っていくか」
聞き捨てならないラケルの言葉を耳にして、僕はひしっとタウノシンを抱き寄せた。
「タウノシンは僕の相棒だよ?」
「わかってるよ。あんたらふたりは離さないでおくって。だからどっちにも来てもらうことにする」
「来てもらう? 僕らはもう帰るんだけど」
「帰ったらいい。ただその前にちょこっとだけ寄ってくれないか?」
「嫌だよ、どこにも行きたくない」
「エナがあんたたちに礼をしたいらしい。連れてきて欲しいって頼まれたんだ。親父さんの葬儀に是非参列して欲しいって」
「なんで僕が!」
「なに葬儀って言っても故人を火葬したあと宴会をするだけだって。一週間分の食料を大盤振る舞いするから、あんたらの分もあるはずだ。仲間が大量の食料を手に入れてくれたから、わりにいいものが食えるぞ」
「大量の食料って、まさか修理屋のことじゃないよね?」
もしかして僕が取引した食料のことじゃないだろうか。疑念はぴたりだったようで、赤茶の髪は面食らった顔をした。
「……そうか。そこが繋がっていたのか。じゃあ、あんたがお偉いさんだってのは事実だったのか」
ひとり納得した様子の赤茶髪の横で、白髪の青年はタウノシンから目を離さず物欲しげに見つめている。僕はぞっとしてタウノシンを強く抱きしめた。




