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To be continued  作者: 綾瀬大和
国際線編
22/50

第22話涙の帰還ホノルルの空の下で

第22話「涙の帰還、ホノルルの空の下で」〈前半〉

 「JAL1903便、東京羽田からホノルル行き、本日のクルーをご紹介します――」


 機内アナウンスが流れる。ハワイ行きのB787-8の機体は、滑走路34Rにゆっくりと進入していく。


 左席・機長:桐谷隼人。

 右席・副操縦士:柳瀬悠人。――この布陣での国際線は、今回が初めてだった。


 「Approach checklist completed. Cleared for takeoff, runway 34R」


 桐谷の指示に、柳瀬がうなずいた。


 「Set thrust」


 エンジンが唸りを上げ、機体は滑走を始める。速度計が上昇していき――


 「V1... Rotate」


 桐谷の声に、柳瀬が操縦桿を軽く引いた。機体が地を離れ、雲へ向かって上昇していく。


 羽田の街が下に小さくなるのを見ながら、柳瀬は少しだけ、喉の奥が熱くなるのを感じていた。


 「あの時、ここに戻ってくるなんて思ってなかった」


 「……だな。でも戻ってきた。それが全てだ」


 桐谷はそう言って微笑んだ。


 太平洋の真ん中を、B787はひたすら西へと飛び続けていた。空は快晴、ジェット気流は弱く、機体は滑らかに巡航を続ける。


 巡航中のコックピットには、静かな時間が流れていた。オートパイロットに切り替えられた機体の中で、柳瀬はふと窓の外を見た。


 水平線が青く、どこまでも続いている。あの日、あの川の中で必死に生き延びようとした自分が、今、こんなにも広く自由な空を飛んでいる。


 「……なぁ、桐谷」


 「ん?」


 「やっぱり俺、空が好きなんだよな。足を折って、もう駄目だと思って、それでもやっぱり、この場所だけは、手放せなかった」


 「分かるよ。俺もきっと同じ立場だったら、何が何でも戻ってきただろうな」


 お互いの言葉が、じんわりと心に染み込んでいった。


 9時間のフライトののち、JAL1903便はホノルル国際空港のアプローチに入った。


 「Flaps 20... Gear down...」


 着陸態勢。柳瀬が副操縦士としての業務を丁寧にこなしていく。チェックリストは完璧に整い、最終進入へ。


 「100... 50... 40... 30... 20... 10」


 機体が滑走路に接地した。軽い振動がコックピットを通じて伝わる。


 「Speed brakes up, reverse green, manual braking」


 「Spoilers confirmed, decel」


 完璧な着陸だった。


 「Welcome to Honolulu」


 機内アナウンスが流れるころ、柳瀬は深く息をついた。


 タキシング中、桐谷がふと言った。


 「なぁ、柳瀬。今日のスケジュール、知ってるか?」


 「え? いや、普通にホテルチェックインだろ?」


 「……いや、ちょっと違うみたいだぞ。地上スタッフから“整備格納庫へ移動してくれ”って指示が入ってる」


 「え、格納庫? なんでまた……」


 「さぁな。ま、行ってみるか」


 スポットからゆっくりと格納庫エリアへタキシングする機体。その先に見えた格納庫には、JALのロゴ、そして――何かが見えた。


 「え……ちょっと待て、あれ……なんだ……?」


 格納庫の前に、数十人のJAL整備士と地上スタッフたちがずらりと並んでいた。


 その中心には大きな横断幕。


 「Welcome back to the sky, FO YANASE!!」


 柳瀬は、思わず息を呑んだ。


 「……これ……俺の、ために……?」


 機体が停止し、ブリッジから降りると、拍手が鳴り響いた。


 「柳瀬さん!おかえりなさい!」


 「奇跡の復帰、ずっと見守ってましたよ!」


 「また一緒に空を守りましょう!」


 次々と声が飛ぶ。整備士の中には、以前国内線で何度も顔を合わせた面々もいた。涙を拭う者もいる。


 そして、中心に立っていた初老の整備士が、柳瀬に近づいた。


 「よう戻ってきたな、柳瀬。お前が墜ちたあの日、ワシら全員、胸が張り裂ける思いだった。けどな……」


 その目も、赤く濡れていた。


 「諦めずに戻ってきたお前を、誇りに思う」


 柳瀬は、もう何も言えなかった。

 涙が頬を伝い、制服の袖に落ちた。

 言葉にならない嗚咽が、胸の奥からこみ上げてくる。


 そんな彼の背中を、そっと桐谷が叩いた。


 「……おかえり、柳瀬」

夕暮れのホノルル空港。B787の尾翼がゆっくりと茜色に染まっていく。


 整備格納庫前でのサプライズはしばらく続いた。カメラを手にしたスタッフたちが、柳瀬の姿を写真に収め、SNS用に動画も撮影している。


 だが、柳瀬はその中心で、ひとり静かに胸の奥からあふれる想いと向き合っていた。


 「この場を、お借りして――」


 拍手が自然と止まり、柳瀬の声に全員が耳を傾けた。


 「……皆さん、本当に……ありがとうございました」


 言葉の合間に、かすれた呼吸が混じる。


 「正直、あの日、多摩川の水面に突っ込んだ瞬間、もう俺のパイロット人生は終わったと思ってました。足も、心も、折れてました。でも……でも、それでも……」


 目の前の整備士たちを見渡す。中には、涙をぬぐう者もいた。


 「何度も病室で、訓練施設で、“柳瀬は戻ってくる”って言ってくれた人たちがいたから……ここに、戻ってこられました」


 柳瀬は小さく頭を下げた。


 「この空に、もう一度翼を広げられたのは、皆さんのおかげです。ありがとうございます。……本当に、ありがとうございました!」


 その言葉と同時に、再び大きな拍手が巻き起こった。


 その日の夜。ホノルル市内のホテルにて。


 クルーの歓迎会が開かれ、柳瀬は普段よりも緊張した面持ちで参加していた。もちろん、桐谷も隣にいる。


 「よう、人気者。飲み物は何にする?」


 「いや……今日はコーラでいいや。まだ心が追いついてなくて」


 「……分かるよ」


 静かにグラスを合わせるふたり。桐谷はひと言だけ、ぽつりと口にした。


 「……お前が生きてて、本当によかった」


 その一言に、柳瀬はまた少しだけ、目頭を熱くした。


 帰国便の当日。再びJAL1904便に搭乗した柳瀬は、操縦席に座りながら、コックピットの窓からハワイの空を見上げた。


 青空には、かすかな雲が流れていた。

 その雲を突き抜け、彼はもう一度、空へと昇っていく。


 「All set?」


 桐谷が笑う。


 「ああ。問題なし。今日は俺が操縦だな」


 「了解。任せたぞ、“柳瀬キャプテン”」


 「おい、まだ副操縦士だ」


 ふたりの冗談まじりのやりとりに、キャビンのCAたちがくすっと笑う。

 その中には、小机アンナの姿もあった。


 彼女が柳瀬の方へ歩み寄り、少しだけ声をかける。


 「……おかえりなさい。柳瀬さん」


 「ただいま、小机さん」


 言葉少なに交わされたその一言に、心の距離が、ふっと縮まった気がした。


 離陸直後の空。B787はハワイの海を眼下に見下ろしながら、再び日本へと向かっていた。


 柳瀬悠人。

 あの日、川に沈みかけた男は――


 再び、この青い空の上に、翼を広げていた。



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