35話
午後のサロンは、柔らかな光に包まれていた。室内に差し込む陽の光。窓辺では生徒たちが談笑しているのが見える。
穏やかなはずの空気は、一人の令嬢の一言で壊された。
「飛び級で入学なさったと伺いましたわ、レイティアラ様」
優雅な一礼とともに声を掛けてきたのは、名のある伯爵家の令嬢。柔らかな微笑みに、非の打ち所のない所作。
「同級生なのに周囲と年齢が合わないというのは、さぞお辛いでしょう?」
背後で、取り巻きの令嬢たちが小さく笑う。
如何にも心配しているかのような言い回しだが、令嬢たちの目は楽しげである。
ティアは小さく微笑みながら返した。
「ご心配、ありがとうございます。けれど、辛いと感じたことはございません」
空気が、わずかに揺れた。
「クラスメイトを始め、皆様が優秀ですので、学ぶことが多くございます。むしろ、ありがたいことですわ」
その言葉は、柔らかく、しかし逃げ場を与えなかった。それを証明するように、同情の仮面は呆気なく崩れた。
令嬢の笑みが、ほんのわずかに強張ったのだ。
「……努力を重ねてきた私たちにとっては、いくら優秀とはいえ、年下の方が自分たちと同じ場で学ぶことは少々複雑でございますの」
その声は穏やかだったが、周囲の視線は一斉にティアへと集まった。
飛び級。特例。
その言葉は称賛と同時に、疑念も連れてくるものだ。
公爵家の力が働いたのではないか。
試験の基準が甘かったのではないか。
そう考える者が居ないとも限らない。
”努力”──その言葉が紡がれた瞬間、令嬢の一人、カルミナの指先が、かすかに動いた。カルミナの胸の奥にわずかな熱が帯びた。
努力をしていない者など、この場に立つ者の中には居ない。令嬢であれば尚更だ。
何度も繰り返し、体に覚えさせる礼儀作法にダンスレッスン。魔力暴走を起こしそうになるまで魔力制御を繰り返すことも、誰にも見せないだけで、みんなしている。
けれど──。
ティアは、微動だにしなかった。ただ静かに、動じもせず、誇示もしない。
「……特例とは無条件で得られるものではありません。相応の実力がなければ許されません」
非難ではなく、事実の提示。そして、ティアは穏やかに続けた。
「未熟であれば、すぐに淘汰される。それだけのことでしょう? 疑念があるのなら、なおさら示すべきです。公爵家の娘という肩書きではなく、私自身の実力で」
その言葉は、自分を縛る鎖でもあった。けれどティアは、それを当然のように受け入れていた。
その声には、過剰な自信も虚勢もない。そこにあるのは覚悟だけだ。
「……確かに、実技では群を抜いていらっしゃったわ」
取り巻きの口からぽつりと零れた言葉。
中心に立っていた令嬢は、笑みを保てなくなったのか、扇子で口元を隠し視線を巡らせた。
「ですが、それでも納得できない方も居るのです」
「? 納得してもらう必要がありますか? 示すのは結果だけで十分でしょう?」
空気が止まった。挑発ではない、けれど、はっきりとした宣言。
”結果”。
令嬢の胸にはその二文字が、やけに響いた。
「失礼しますわ」
やがて令嬢たちは優雅に去っていった。
サロンには、午後の光だけが残る。
◇◇◇
教室に戻った令嬢──カルミナは窓辺に立つ。外では誰かが魔法を練習している。
カルミナはゆっくりと手袋を外し、指先に魔力を集める。すると小さな炎が灯る。その炎が静かに、揺れる。
カルミナは思い返していた。ティアのあの落ち着き。そしてあの余裕。決して努力を語らず、結果を語る姿。
──特例。飛び級。公爵令嬢。それだけですべてが片付くのならどれほど楽かしら。
私だって、積んでいる。私だって、努力している。
カルミナの気持ちに反応するように、炎が一瞬、大きく揺らいだ。
その時、窓に映る自分と目が合った。完璧な令嬢の微笑み。けれど、瞳の奥には陰りがあった。
──証明しなければ。言葉ではなく結果で。
”結果”。
その二文字は、軽くはない。努力はあくまで過程。だが結果は、必ず他者の目に晒される。評価され、比べられ、順位をつけられる。つまり──逃げ場がない。
言葉にするのは簡単だ。けれど、何をもって証明とされるのか。それが自身の望んだ結果ではなかった時はどうしたらいいのか。
──大丈夫。13歳のあの子ができるのだから、私にできない理由がないわ。そうよ、私にだってできるわ。必ず……。
炎を握り潰すように消すと、細い煙が立ち上る。
窓の向こうでは、小さな炎が揺れていた。その揺らぎが、まるで自分自身を映しているかのようで、カルミナはほんの一瞬だけ目を逸らす。
魔力制御において、冷静さは必須だ。少しの感情の揺らぎでさえ制御を狂わせる。
焦りが制御を乱す最も危うい感情だと知っているはずだった。
それでも今、本来であれば安定しているはずの炎が、荒ぶっている。そして、自身が冷静ではないことにも。
カルミナは気づいていなかった。




