32話
剣術の授業が終わって、木剣を所定の場所へ戻しながら、まだざわめきが完全には収まっていない周囲をそっと見ると視線を感じる。
──あーあ。やっちゃったよ。完全に目立った。
小さく息を吐き、その場を離れようとした時だった。
「おい」
低い声に呼び止められ、振り返ると教官が立っていた。
「少し来い」
人気のない訓練場の端まで歩くと、教官は腕を組んだままこちらを見下ろした。
数秒の沈黙の後
「……面白いな、お前」
「面白い……ですか?」
「本気じゃなかっただろう」
「……まあ」
否定はしない。流石にあの程度で本気と言うのは、無理がある。
教官は小さく鼻を鳴らした。
「あの動きは素人じゃない。剣はどこで覚えた」
「……師匠が居ます。誰かは聞かないでください」
「そうか……強い奴は目立つ。目立てば、面倒も増える」
一度言葉が切れる。
「それでも折れるな……と言いたかったんだが、お前は大丈夫そうだな」
それだけ言うと、教官は背を向けた。
「戻れ」
「……はい」
小さく返事をしながら、その背中を見送る。
──面倒も増える、か。まあ、それでちょっかいかけて来るなら、望むところだけど。
◇◇◇
教室へ戻る途中、すれ違う生徒たちの視線を感じる。
「さっきの一年の子だろ」「何が起きたかわからなかったらしいぞ」
──……鬱陶しい。
教室の扉を開けると、空気がわずかに変わったのがわかる。
数人がこちらを見て、慌てて逸らす。
「ティア!」
フェリが小さく手を振っている。
その隣にはメルお兄様とエミリアン殿下、カーティス様。
「さっきの、凄かったね」
開口一番、エミリアンが言った。
周囲の空気がわずかに揺れた。
──よりにもよって、殿下に……。
「先程のは素晴らしかったよ」
「ありがとうございます」
──ここは素直に受け取ろう。
「どこで覚えたんだい?」
「秘密です」
師匠たちのことは言うつもりはない。
その時だった。
「随分と楽しそうですわね」
後ろから聞こえた声に、振り返ると、数人の令嬢が立っていた。
その中の一人が、こちらを見て微笑む。
「一年生であれほど目立つなんて、さすが公爵家のお嬢様ですわ」
褒めているようだけど、どこか棘のある言い方。
──お早いことで……。
「ありがとうございます。ですが、まだ基礎を習ったばかりなんですよ」
ここは嘘を吐かず事実を言う。
「まあ、ご謙遜を」
令嬢は扇で口元を隠し笑いながら続ける。
「殿下までお褒めになるなんて、とても素晴らしいのでしょうね」
「公爵家のお嬢様は、やはり違いますわ」
──ああ、はいはい。そう来るのか。
「幼い頃から特別な環境で過ごされて来たのでしょうね」
「ええ、私たちとは違って」
後ろの令嬢は、隠しもしない含みのある言い方をする。
だが、最初に話しかけてきた令嬢は、一瞬だけ視線を伏せた。
それに気づかない取り巻きの一人が続けた。
「きっと才能がおありだったんでしょうね。羨ましいですわ」
──棘だらけだね。みっともない。
「……毎日努力なさっている方も居るというのに」
「おやめなさい」
最初に声を掛けてきた令嬢は、制するけれど完全には否定しない。
──ふーん。訳ありかな?
「ティア」
考え事をしていると、メルお兄様に静かに名前を呼ばれる。
わずかに警戒した気配が感じられた。
「大丈夫ですよ、お兄様。……努力できるというのは素晴らしいことだと思います」
私の言葉に先頭の令嬢がわずかに目を見開いた。
「才能だけの私は、まだまだ足りないみたいですね」
ほんの少しだけ、棘を返す。
数秒の沈黙。
取り巻きたちは、わずかに戸惑ったように顔を見合わせる。
先頭の令嬢は一瞬だけ何かを言いかけたが、結局何も言わずに口を噤んだ。
数秒の沈黙の後、彼女はゆっくりと扇を閉じた。
「……失礼しますわ」
それだけ言うと、取り巻きたちを連れて踵を返す。
去り際、ほんの一瞬だけ視線が合った。さっきとは違う色が混じっている気がした。
──悔しさか……戸惑い?
「……ティア」
フェリが心配そうに声を掛けてくる。
「大丈夫?」
「ええ、大丈夫」
その隣で、メルお兄様が小さく息を吐いた。
「お前は本当に……」
「何か?」
「いや」
言いかけて、結局何も言わずに頭を軽く撫でられる。少しだけ、不満そうな顔を見て、思わず小さな笑みがこぼれた。
「ティア嬢、先程の言葉は立派だったよ」
「ふふ。ただ黙っているほど、優しくはないですよ」
「しかし、あれは本当に凄かったな」
カーティス様が少し興奮気味に言う。
「俺、ほとんど見えなかったぞ」
「僕もだ」
エミリアン殿下が苦笑する。
「気づいたら終わっていた、という感じだったな」
「……あれでも加減はしたんですけどね」
そう言うと、二人が同時に顔を見合せた
──信じてない顔だな。
「ティア」
メルお兄様が静かに名前を呼ぶ。
「目立つなと言っても無理だろうけど……少しは気をつけて」
「善処はします」
即答すると、深いため息が返ってくる。
──お兄様は少し心配性だね。
教室の空気はまだ少しざわついているけれど、嫌な感じばかりではなかった。
──もう、なるようにしかならないか。
そう思いながら席に着いた。




