13. プランク・ショー
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もうじき終わりますが…
『寄稿:首相達の狂騒曲。その黒幕は「午後の最後の首相」でないなら誰だったのか?』
20XX年X月X日、米国東部標準時01:00AM
執筆:R. E. B. B.、ジャーナリスト(カナダ)
(編集部注:著者名として記されているイニシャルは過去の民主化アクティビストの名前をもじったものであり、実質的には匿名と同義。)
革命最後となったX月X日、午前0時の15分前に、某SNSに「午前の最初の正義」と名乗るアカウントが4枚の画像を投稿した。
1枚目の画像は独裁政権の首領だった独裁者、そして対有事首相輪番制度に基づき指名された24人の要人の顔写真が所狭しと並べられているものだ。
賞金稼ぎ向けの手配書のフォーマットが適用されていて、Dead or Aliveの表示と共に、1人ひとりに米ドルで報奨金が設定されている。
右側にスワイプして2枚目の画像を表示すると、1枚目の手配書の上に、いくつも×が上書きされた画像が現れる。
×印がつけられているのはこれまでの報道で死亡が確認されていた要人の顔写真だ。
×のついた要人は、独裁者も含めて、14人。
あとの11人のうち、10人は行方不明。
残る1人はその日の最後、一番最後に首相就任を宣言した政治家だった。
その画像全体の印象は、さながら西部開拓時代のならず者たちを扱うような趣で、あまり趣味の良いものとは思えなかった。
その趣味の悪さがSNS上での関心を引いたのは否定しがたい事実ではあったが。
3枚目の画像は、番号の振られた紙袋を被せられた11人の男たちが、ビルの屋上の夜景をバックに並んでいる写真だった。
最後の4枚目は動画配信サイトのURLだった。
これら4枚の画像は、最初は外交や安全保障関連について詳しいブロガーたちによって拡散された後に、日付けが変わる5分前にテレビ局や大手の新聞のアカウントにフォローされた。
4枚目のURLをクリックすると飛べる先の動画はライブ配信だ。
画面は暗く、何も映っていないが、どこか遠くから革命を称える喜びの歌が聞こえてくる。
ジッポのライターが火を点けられる時の、金属音と何かが燃える音が続けて鳴ったかと思うと、低く声で、強いアクセントのスペイン語が、「3分」、と告げる。
時刻は11時57分。
真っ暗なライブ動画は何も映さないが、視聴者数だけは、毎秒千人単位で増えていく。
「日付が変わる3分前、私は顔にかぶされていた紙袋を外された。」
革命の最期の日に首相を務めた午後の最後の首相は当時のことを回想して言う。
「そこは独立広場の前のあるホテルのカンファレンスルームだった。
結婚式なんかもできるような大きさの部屋で、私も何度か来たことがあった。
私の横には、何といえばいいのか、黒いスーツに黒いサングラスをかけた、真っ当な仕事をしているようには思えない、いい体格の連中が何人もいた。
そのうちの一人、目じりと口元に皺のある男が、私に銃を突き付けて、『ショーが始まる時間だ。』と英語で言った。」
動画配信サイトの映像は、その音声を捉えていた。
ショーの始まりを告げる英語が聞こえたかと思うと、画面全体を覆っていた黒い何か(おそらくはカメラのレンズカバー)が外され、午後の最後の首相が映し出される。
戸惑った表情と、憔悴しきった目。
カメラとは違う方を見る午後の最後の首相は頷き、首元に巻かれたネクタイを締め直し、カメラから遠ざかるように歩いていく。
動画はそれを、ここ何年かでまた随分進歩した手ぶれ補正機能のために酷くなめらかなカメラワークで追いかける。
「カンファレンスルームの窓の並び、一番壁際の部分に一か所、バルコニーに出るために開くドアがあった。
そこから何かケーブルが伸びていて、それをたどってバルコニーに出るようにと私は言われた。
私は追い立てられる羊か何かになったみたいで、酷く気が滅入っていた。
ドアを開けると革命を称える歌が一段とボリュームを増した。
バルコニーの照明が点いて、縁のことろ、革命広場に一番近いところに、マイクを載せた演台が設置してあるのを照らした。
バルコニーは私の記憶にある状況とは様変わりしていた。
屋上から太いケーブルが4本垂らされていて、演台に繋がれている。
急に決まったことで、吊り上げ用のケーブルを外す時間もなかったのか。
あるいは取り立てて特徴もないホテルの、独立広場に面したバルコニーに少しでも視線を集めるために、ケーブルを残した方がいいと判断したのか。
広場の反対側、無骨な形をした白く大きな政府機関の建物の壁に、スクリーンよろしくプロジェクターの映像が投影されていて、斜め前のアングルから撮影された私が映っていた。
自分の顔の動きと映像から、カメラがあるのであろう方角に目を向けるが、かなり遠くから撮影しているようで、どこにも何も見つからない。
得体のしれない趣向に不快感を感じながら、私はマイクのところまで歩く。
マイクスタンドの先に取り付けられているマイクは傷だらけだ。
その先を指で叩くと、思いのほか大きな音が広場中に響いた。
広場の反対側にうつる映像のアングルが別のものに切り替わり、マイクの前に立つ私の様子を正面からクローズアップで抜く。
私は、何でこんな手の込んだ舞台が作り上げられているのかわからず、困惑して後ろを振り向いた。
私が出入りしたドアは既にしっかりと締め切られていた。
ガラスの向こう側、カンファレンスルームでは、ダークスーツとネクタイとサングラスという装いの連中が、無表情で私の方を見ていた。
まるで、牛や山羊が屠殺されるのを見物する精肉業者みたいだと私は思った。」
動画配信サイトで流れていたライブ映像にはその一部始終が記録されていた。
独裁制の最後の権力者が広場の方に向き直ると、民衆ががなっていた革命歌の旋律がやっと止まった。
それから間をおかずに、広場の四方八方から国歌が鳴り出した。
6年前のクーデターから今日に至るまで、毎日正午に国土の隅々で流されていた独裁者を称える歌で、革命軍も含めて、この国にいる誰もが知っているはずの歌だったが、それがワンコーラスも流れ切らないうちに、民衆の怒号が響き、何年か前のサッカーワールドカップをきっかけに広く知れ渡ったブブゼラの安っぽくうるさい音がその後に続いた。
「私は、自分の前任にあたる臨時首相たちが捕まったり、革命軍に殺されたという報道を耳にしても、あの方が逃亡中に死んだと聞かされても、まだどこか革命騒ぎを現実のこととしてとらえられていないところがあった。
そんな私に現状を突き付けたのは、斉唱すべき国歌をかき消す大音量の雑音だった。
そこで初めて、私もこの国も、そこに住む何百万人の人びとも、もう後戻りできないところまで来てしまったのだと、やっと理解した。」
ライブ映像にはこの少し前に、あと1分、と小さくスペイン語で呟く声が収録されている。
午後11時59分。
流れていた国歌が途中で不自然に止まると、ブブゼラの音も小さくなっていく。
それでも広場のあちこちに取り付けられたスピーカーはまだ生きていたらしく、誰かが浅く吐く息を拾い、拡声する。
「そこで私が何を口にするべきか、既に言い渡されていた。
躊躇いや迷いはなかった。
その少し前まではあったのだが。」
その後になされたスピーチは、現役の国家元首が行う公式のものとしては異例の短さだった。
その短さゆえに、世界中の活字メディアに安易に全文掲載されたのは皮肉なものである。
某国の左翼系政治結社の機関紙などは、政権移譲を宣言する言葉の簡潔さを褒めたたえると共に、現代西洋文明に代表される知性とそれに裏打ちされた複雑さこそが人類を更なる高みへ運ぶのだという幻想を打ち砕くためにも、人間らしい手触りを感じさせる午後の最後の首相のスピーチを国連の無形文化遺産か世界の記憶に指定すべきだと、よくわからない誇大妄想を書きたてていた。
称賛する対象である宣言の短さに比べて、その論説の、無意味な修飾の多い様が失笑を買っていたのは読者の記憶にも新しいだろう。
「本当は、まだ他にも言おうとしていたことがあった。
だが、政権移譲の宣言が一区切りついたところで民衆の大歓声とブブゼラの音が広場中に埋め尽くして、もう誰も私の言葉など聞くような雰囲気ではなかった。
すると、広場から大分離れた場所、方角で言うと首相官邸の方から花火が打ちあがった。
何発も、何発も。
独立広場の歓声はより一層大きくなった。
花火の打ちあがる音は遠い。
広場の至るところで爆竹が爆ぜる音がする。
突然、どこか上から何かの精密機械のスイッチが入るような音がした。
その音は短い間に規則正しい風切り音に代わり、ヘリコプターが飛ぼうとしているのだとわかった。
私は周りを見回したが、私を正面からとらえていたカメラの位置と同様に、それがどこなのかわからなかった。
水平方向ではないとしたら上かと、ホテルの屋上の方を窺うように見上げた。」
動画サイトのライブ映像はその瞬間、すごい勢いで午後の最後の首相が演台ごと空中に跳ね上がる様子を捉えていた。
演台に取り付けられていた4本のワイヤーロープがしなり、スリングショットのような要領で演台を撃ち出し、それがカメラに映っていない独立広場の民衆たちの真上に落ちていった。
演台の下敷きになった人たちはほとんど即死だった。
生放送で世界中に流されるにはあまりにもショッキングな光景だった。
花火は鳴りやまず、民衆の興奮したような叫び声は喜びと恐怖と痛みとをない交ぜにして、もっと大きくなった。
被写体が画角の内側からいなくなってしまったライブ映像はすでに放送を終わろうとしているところだったが、終了の直前、上から落ちてきた何かが床に激突する様子がカメラに映りこんだ。
それが午後の最後の首相は殺されたのだというデマが囁かれる原因になった。
報道関係者や政府関係者はすでにそれが真実ではないということを把握しているが、午後の最後の首相は革命に殉じたとする言説はインターネットを中心に蔓延している。
マラドーナやエディンバラ公フィリップ王子を信仰するカルトと同じような熱心さで、いつか列福されるに違いないと信じている人たちがいる事実について、革命の勝者であるはずの側は困惑を隠せていない。
「革命政府としては、旧体制の最後の首相が存命のまま亡命した事実は公式に認めています。
亡命政権の正統性は国際慣習法の観点から見て、なんら妥当ではないことと併せて。」
革命軍のスポークスパーソンに電話取材をしたところ、上記のような回答がうんざりしたような口調で寄せられた。
「こちらとしては、国内の治安上の不安要素を払拭するためにも、国賓扱いで公式行事に招待してもいいくらいに思っているんですよ。
もし居場所か連絡先をご存知なら、ご本人に伝えておいてくれませんか?
いつでも気兼ねなくお越しください、って。
昔みたいに楽しく話して旧交を温め合うのも悪いことではないはずですし。」
午後の最後の首相にそれを伝えたところ、顔をしかめて何も言わなかった。
空に打ち上げられた瞬間、ホテルの屋上から離陸していたヘリがワイヤーで彼を吊り上げなければ死んでいた。
それなのに、無関係な革命軍幹部から生きてて当然だというようなことを言われるのは不愉快なのだろう。
紙袋を被せられていた間に無理やり着せられていたハーネスに太いカラビナで接続されたケーブルワイヤーが繋がっている先が、屋上に駐機していたヘリだったなんて知らなかったと彼は言う。
打ち上げられてからの数秒間、落下と同時にほぼ確実に訪れる自身の死を待つことしかできなかった時の不快感は同じ目にあった人間にしかわからない、と。
打ち上げられるところまでなら、フロリダにある世界最大の逆バンジージャンプでできると私が言うと、一層顔をしかめて見せた。
「落ちる方を経験した奴らはみんな死んでいる。
あの時点まで安否が確認されていなかった私の前任の首相たちは、私が打ち上げられた後、誰かに屋上から落とされて、バルコニーに転落して絶命した。
それも10人もだ。
さらにもう1人、身元不明の人間も犠牲になった。
私の身代わりなのか、単なる数合わせのためだったのかは、今もってわからないが。」
それについては、11人すべての死因が転落によって引き起こされた外傷や出血多量などではないことがわかっている。
検死の結果、その全てが死後数時間は経過していたと、複数の医療関係者からの証言があった。
さらに言えば、身元不明の11人目は顔の損傷が酷過ぎて見た目からは誰だかわからなかったが、歯科治療の履歴は、それより前に死んでいたはずの独裁者のそれと一致するということも。
午後の最後の首相にそれを伝えると、信じられない、という答えしか返ってこなかった。
だが、こうした傍証は、午後の最後の首相の権限移譲宣言は、革命軍との共謀だったことを示唆する。
独立広場で、少しずつ静かになっていく民衆に対して何を言うべきか、既に伝えられていたと言っていたが、それは誰から伝えられていたのか?
筆者のこの質問にも、革命軍からの伝言と同様、午後の最後の首相は何も答えなかった。
だが、その表情は苦々しげにしかめられてはおらず、口元には微かな笑みさえ浮かべられていた。
某Youtuberの動画で見かけた「ただただ夜が明けてほしくない」というパワーワードが忘れられず、お蔵入りになってはいたけれど気に入っていたタイトル案を使った短編として成仏させることにしました。
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環境に優しい彼の欲望
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