5話 恋煩い 〈一年前〉
魔石入れをマクシミリアンが受け取ってから、一年が過ぎた。
オルテンシアは十七歳になり、二十六歳になったマクシミリアンは師団長に就任した。
(何度見ても、素晴らしい魔石入れだ……こうして持っているだけで、力が湧いてくる気さえする……)
マクシミリアンはオルテンシアが作った魔石入れを、大切に使っていた。
レナートは首から下げていたが、マクシミリアンは魔石入れが傷まないように懐のポケットにいつも仕舞っていた。
『どうか、気に入っていただけると嬉しいです オルテンシア・ローディア』
繊細な文字でそう書かれたメッセージカードを、マクシミリアンは大切に持っていた。オルテンシアが考えに考えて、そのひと言だけを記したものだった。
(オルテンシア……可憐な名だ)
マクシミリアンは、魔石入れと花が描かれたメッセージカードを眺めては、顔も知らぬオルテンシアに想いを馳せた。
(どんなご令嬢なのだろう……刺繍が趣味なら、きっと淑やかな令嬢に違いない。――いや、勝手に決めつけるのは良くないな)
――だが、顔も知らぬ自分のために、こんなにも丁寧に刺繍をしてくれたのだ。どんな令嬢であろうと、きっと心根の優しい、素敵な女性のはずだ。
彼は、庁舎の廊下に飾られた花瓶に白薔薇を見つけては、立ち止まった。
白薔薇を見て物思いに耽るマクシミリアンに、庁舎では次第に白薔薇が飾られるようになった。
「おい、師団長、またやってるぞ」
「『白薔薇姫』は、余程難攻不落の城なんだろう」
((頑張れ、師団長……!))
団員たちは、彼の様子をそっと見守っていた。
(『白薔薇姫』? まさかな……)
白薔薇姫と呼ばれるからには、それは美しい高貴な姫君に違いない。――レナートは、まさか自分の妹が、噂の『白薔薇姫』だとは少しも思っていなかった。
「レナート、妹さんは息災だろうか」
「はい。元気にしていますよ」
「そうか……」
(私は九つも年上だ……それに、手紙に名前を書くことすら忘れて――)
マクシミリアンは重いため息を吐いた。
彼は、オルテンシアへのお礼の手紙に、宛名だけでなく自分の名も書き忘れていたと後になってから気付いて、悔やみ続けていた。
(今更、何を言えば良いんだ……それに、いい歳をして若い部下の妹に懸想しているなんて思われたら――みっともないよな……)
それでも、マクシミリアンは、オルテンシアを密かに想い続けた。
その感情を何と呼ぶのか、女性と深く関わることなく生きてきた彼には、まだわからなかった。
そうして更に半年が過ぎた頃、レナートの忘れ物を届けに、オルテンシアが第二師団の執務室を訪れた。
(可憐な令嬢だな……いや、何を考えているんだ……私には――)
そう思いながらも、マクシミリアンは彼女に見惚れた。
澄んだ翡翠色の瞳に、淡い金色の長い髪。控えめで、淑やかなその佇まい。
マクシミリアンは、楚々としたオルテンシアの姿を見て、幼い頃に読んだおとぎ話の姫君のようだと思った。
そのとき、彼の瞳にオルテンシアの髪を飾る白薔薇が映った。
(あの、髪飾りは……)
見開かれた青い瞳。
ガタリと立ち上がったマクシミリアンに、団員たちは「どうされましたか」と声を掛けた。
「いや……今しがたのご令嬢は……」
「ああ、レナート卿の妹さんですよ」
「そう、だったか……」
そう低く呟いたマクシミリアンは、胸の内で盛大にガッツポーズをしていた。叫び出したい衝動を必死に抑えながら、彼はすました顔で席へと着く。
何せ、不毛な片想いだと信じていた相手が目の前に現れ、自分が贈った髪飾りを着けてくれていたのだ。
(私は世界一幸運な男だ……!)
笑みを隠しきれないマクシミリアンに、団員たちは視線を交わした。
「なぁ、師団長、どうしたんだ?」
「さぁ……何か、余程良いことでもあったんだろう」
(しかし……オルテンシア嬢が、あんなにも可憐な令嬢だったとは……)
マクシミリアンは引き出しの奥からメッセージカードを出すと、切れ長の目元を緩ませた。
(世界が明るく見える……何故だ?)
微笑むことが増えたマクシミリアンに、団員たちは『白薔薇姫と上手くいっているのでは……』と囁きあった。
(オルテンシア嬢は、今日もあの髪飾りを着けてくれているだろうか……)
引き出しの中からメッセージカードを出して眺めては、口元を緩めるマクシミリアン。その姿が噂になり、団員たちは確信した。
『鉄壁のマクシミリアンは恋をしている!!』と――
だが、ひと月が経った頃。上機嫌に執務に励んでいたマクシミリアンを、絶望が襲うことになる。
「……婚約?」
「はい、実はレヴェル公爵子息と妹の婚約の話が出ていて……」
明るく輝いていたマクシミリアンの瞳は、一瞬で落胆の色に染まった。
『妹さんを紹介してほしい』
魔石入れを受け取った日に、そう、ひと言告げていれば――
「師団長?」
「いや、婚約とは……めでたいことだな」
(私は、一年半も何をしていたんだ……)
モタモタせずに、動くべきだった。
あの日、執務室に来た彼女に声を掛けていれば――そんな後悔が、彼の内側を激しく駆け巡っていた。
「師団長、駄目だったみたいだな……」
「俺たちには何もできねぇよ。……そっとしておこう」
暗い表情で黙々と執務をこなすようになった彼に、団員たちも密かに落ち込んだ。
そして、廊下に置かれた花瓶から、白薔薇は消えた――
「はぁ……」
何度吐いたかわからないため息。
マクシミリアンは、メッセージカードを引き出しの奥へと仕舞った。
(……彼女が幸せなら――それで良いじゃないか)
押し寄せる後悔の中で、マクシミリアンは、何度も自分に言い聞かせた。
そうして、半年ほどが経った頃、一部の団員たちの間で、ある噂が囁かれるようになった。
『レナートの妹と婚約予定の男が、違う令嬢と遊び回っている』という噂だった――
「おい、レナートは知ってるのか? あいつの妹、確かレヴェル公爵子息と婚約するって言ってたよな?」
(――レナートの、妹……?)
耳に飛び込んできた言葉に、廊下を歩いていたマクシミリアンは足を止めた。
「家同士の問題になるし、俺たちが口を挟んで良いものか……だけど、このままじゃ妹さんがあまりに気の毒だ」
「このまま結婚したら、絶対に苦労するよな……」
マクシミリアンは、とても我慢することなど出来なかった。
「……何の話だ。聞かせてみろ」
そして、彼は知ってしまった。
間もなくオルテンシアと婚約式を行うはずの、フラヴィオ・レヴェルの所業を――
(冗談じゃない……そんな男に、渡せるものか……)
この瞬間――マクシミリアンは、初めて自分の気持ちを自覚した。
「レナート、大切な話があるんだ」
この日、マクシミリアンはローディア侯爵家にオルテンシアとの婚約を申し込んだ。




