31話 祈りと呪い 〈ジュリエッタside(後半)〉
六月になり、王城の庭園には淡い色の紫陽花が咲き始めた。
庭園の東屋で、私は国王陛下とともにお茶をいただいていた。東屋の端には、レナート兄様や国王陛下直属の近衛騎士たちが控えている。
(大変なことになってしまったわね……)
ジュリエッタが起こした騒動は、王都中で噂になっているようだった。その流れで、私とマクス様が正式に婚約したことも瞬く間に知れ渡った。
私はため息を呑み込むと、遠くの回廊を歩く高官たちを眺めた。
息子の婚約者がしでかした不祥事の責任を取る形で、レヴェル公爵は長年務めていた高官の職を自ら辞したのだという。
それと同時に、フラヴィオが廃嫡されたことも王城の噂で耳にした。今は親子共々邸で過ごしていて、姿を見かける人はいないのだという。
レヴェル公爵家については、あの場で公爵がジュリエッタを叱責し、何度も私たちに謝罪しようとしていたこともあって、表立って責める声はそれほどないようだ。
だが、ヴァレンティノ伯爵家は非難の的となっていた。大公家の次男であり、第二師団長を務めるマクス様と聖女として任じられている私の名を貶めようとしたと、ジュリエッタと彼女の実家であるヴァレンティノ伯爵家を『処罰すべき』だという声が大きくなったのだ。
そのことを知った私は、すぐに国王陛下の元を訪れ、嘆願した。『マクシミリアン卿とわたくしの正統な関係は、既に世間に広まりました。あの噂話を収めるためにも、どうか事を大きくしないでいただきたいのです』と――。
たとえ出任せだとしても、“浮気”や“不貞”とジュリエッタに言われたことはとても不愉快だった。何より、大切な髪飾りを投げられたことと、マクス様を侮辱した発言は絶対に許せなかった。
けれど、プライドが高く思い込みの強いジュリエッタに逆恨みされることだけは避けたかった。彼女を刺激するのは危険だ。それが正直な気持ちだった。
「オルテンシアよ……それで良いのか?」
国王陛下は、静かな眼差しで私を見つめた。
「はい。構いません……彼女たちを処罰することで、何か起こるかもしれません。それが、わたくしは恐ろしいのです」
私を貶めようとしたジュリエッタの評判は地に落ち、彼女の未来は絶たれたも同然だった。
追い詰められた人間は、何をするかわからない。彼女がまた何かすることで、私だけでなくマクス様や大公家、この国の威信にも関わる問題に発展するかもしれない。――それが、一番恐ろしかった。
(許せないけれど、ジュリエッタはおかしいわ。……これ以上、関わりたくないもの)
私は怒りを呑み込んで、そっと両手を握った。
これから私はこの国の聖女として務めを果たし、愛するマクス様と結婚するのだ。もう、あんな人たちのことは忘れて、心穏やかに過ごしたい。
「……相わかった。ならば、オルテンシアの言う通り、今回のことは特別に不問といたそう。……蟄居を命じずとも、しばらくヴァレンティノ伯爵家の者たちは表に顔は出せぬだろうからな」
「国王陛下、身勝手な願いをお聞き届けいただき、心より感謝申し上げます」
「堅苦しいのはよせ。そなたは、余にとって可愛い姪も同然なのだから」
私は国王陛下に微笑み返すと、深く頭を下げた。
ジュリエッタは邸に籠り、ヴァレンティノ伯爵家は、世間からの批判を恐れて縁戚まで表に出ることを自粛しているそうだ。
私は、このまま静かに時が過ぎることを願うばかりだった。
「オルテンシア、今月の夏至祭で御前試合があるのは知っているな」
「はい。存じております」
「マクシミリアンから聞いたのだな」
「はい」
「あれは三年続けて優勝しておるからな。そなたに晴れ姿を見せたいのだろう。応援してやってくれ」
声を立てて楽しげに笑った国王陛下に、少しだけ頬が熱くなった。
夏至の日に城下で開かれる夏至祭。その日に、王都の闘技場で精鋭の騎士たちによる『御前試合』が行なわれる。マクス様が出場すると聞いた私は、自分が出るわけでもないのに密かにそわそわとしていた。
「それと――話が変わるが……魔導師団に、魔石入れを作ってくれただろう。あれを騎士たちにも作ってほしくてな」
「承りました。いくつご用意すれば良いのでしょうか」
「第三師団のために、ひとまず百。……ゆくゆくは、騎士全員に行き渡るようにしてもらいたいのだ」
「そなたには、負担をかけてしまうが……」と声を落とした国王陛下に、私は小さく首を振った。
第三師団は、辺境や王都から離れた地域を守る部隊だ。王都から離れるほどに魔獣の数は多いと聞いている。第三師団の騎士たちは、危険と隣り合わせの日々を過ごしているのだろう。私の魔石入れが少しでも彼らの役に立つのなら、早く届けたいと強く思った。
それに、『御前試合』に出るためだと、張り切って鍛錬を重ねて怪我をしてしまった第二師団の騎士の話を聞き、騎士のための魔石入れを作れたら良いのにと思っていたところだった。
第二師団の騎士たちに渡せる日はまだ先になりそうだが、今後マクス様の職場の騎士たちの力になれるのかもしれないと思うと、とても嬉しく、どこか誇らしい気持ちを感じた。
「できるだけ早く仕上げて、少しでも多くの騎士の方にお届けできるようにいたします」
「頼りにしておるぞ。だが、くれぐれも根を詰め過ぎぬようにな」
こうして、この日から、騎士のための魔石入れを縫う仕事が始まった。
◇
前は、どれだけ急いでも一日に三個縫うのがやっとだった魔石入れだが、今では一日に十個ほどは作れるようになっていた。
自分でも何故かよくわからないが、根を詰めると痛くなっていた指先や手首の痛みは、どれだけ縫っても感じなくなっていた。これは、『女神の加護』のおかげなのかもしれない。――そう感じていた。
私は帰宅してから、自分の部屋の生地を仕舞ってある引き出しを開けた。中には、様々な生地や端切れが入っている。
(あったわ……!)
私は、しっかりとした中厚手の濃紺の生地を手にした。それは、マクス様に贈るカフスボタンを縫うために買った上質な生地の残りだった。
カフスボタンの刺繍はまだ仕上がっていないが、私は先に別のものを作ることにしたのだ。
(刺繍は、何にしようかしら……)
生地を裁断する前に、生地の中央に白い線を引いて刺繍の下書きをする。
剣と盾の刺繍の魔石入れは、二年前に贈っているから、どうせなら、他の刺繍にしたい。
(どうすれば……)
そのとき、“青い紫陽花の花”が浮かんだ。マクス様と婚約が決まってすぐの頃に贈ってもらったネックレスだ。
私は広げた生地にネックレスと似た紫陽花の花を薄く下書きすると、刺繍を入れ始めた。刺繍糸は、彼の深海のような瞳の色に似た、深い青色だ。葉の色は浮かないように、深緑を選ぶ。
(少し、お揃いみたいよね……)
私は、テーブルに置いたネックレスを眺めながら、青い花びらを丁寧に刺繍した。
(どうか、マクス様を守って……)
マクス様が怪我をすると考えただけで、恐ろしくてたまらない。私は彼の無事を強く念じ、一針一針祈りを込めた。
「喜んでくださると良いんだけど……」
「すごく喜ぶと思うよ」
「レナート兄様!? びっくりしましたわ!」
「何度も声をかけて、ノックもしたんだよ。随分熱心に縫ってるから、気になってさ」
いつの間にか部屋を覗いていたレナート兄様は、悪戯めいた顔でニカッと笑った。
私は楽しげに笑う兄様を部屋から追い出すと、また刺繍を再開したのだった。
◇
一方、その頃のヴァレンティノ伯爵家は静まり返っていた。部屋に閉じこもるジュリエッタは、天蓋付きの広い寝台の上で膝を抱えて座っていた。
窓には薔薇色のカーテンが引かれ、異国製のステンドグラスのランプがぼんやりと部屋を照らしている。
(オルテンシア……なんで、アンタばっかり……)
陰った琥珀色の瞳には、怨嗟の炎が揺らめいていた。
両親から叱られたことなど一度もなかったジュリエッタは、伯爵である父親から今回の件をきつく叱責され、ひと晩泣き続けた。今まで散々彼女を甘やかしてきた母親も、少しも庇ってはくれなかった。
『お前なんかじゃなくて、オルテンシアの方が良かった』
騒動後に改めて会った際に、フラヴィオからかけられた言葉。それは、ジュリエッタの心を深く傷つけ、オルテンシアへの嫉妬と憎しみを煽った。
オルテンシアを『貧乏令嬢』と見下し、自分こそがフラヴィオに望まれているのだと心から信じていた彼女にとって、この上ない屈辱だったのだ。
(こんなことなら、侯爵家との縁談を受けておけば良かったわ……!)
婚約式を控えるオルテンシアを蔑ろにし、自分ばかり優遇するフラヴィオに期待し、ジュリエッタは舞い込んだ侯爵家や他家との縁談を断ってきた。フラヴィオに優先されるのは気分が良かったし、それを知っているオルテンシアが文句も言わずに堪えているのを見るのも愉しかった。
そして、期待通りフラヴィオとオルテンシアの婚約はなくなった。
婚約式はまだだったが、フラヴィオとジュリエッタの婚約の話は進んでいたはずだった。ジュリエッタは、このまま公爵夫人になれることを疑いもしていなかったのだ。
だが、今回ジュリエッタが起こした騒動のせいでフラヴィオは廃嫡となり、もう良い縁談も期待できない。
激怒する父と、落胆して泣き濡れる母を思い出し、ジュリエッタは膝を強く抱き締めた。
(フラヴィオ様もひどすぎるわ……私だって、あんな最低男、願い下げよ!!)
廃嫡された情けないフラヴィオなど、ジュリエッタにとって、もう何の価値もなかった。
ましてや、蝶よ花よと育てられ、邪険に扱われたことなどなかった彼女を罵倒し侮辱したのだ。ジュリエッタは、フラヴィオだけでなく彼の両親のことも憎くて仕方なかった。
『花冠は白薔薇ですって』
『美男美女で、お似合いの二人よね』
夜会で耳にした、令嬢たちの声が脳裏に響く。
ジュリエッタにとって、貧しく同じドレスばかり着ていたオルテンシアは、惨めで取るに足らない存在だった。
それなのに、今や、あのマクシミリアンに花冠を捧げられ、ジュリエッタでも着たことのないほどの最高級のドレスを纏い、『聖女』と称えられている。
あの夜会の晩、噴水の傍でマクシミリアンに守られるように抱き寄せられたオルテンシアを思い出し、ジュリエッタは唇を強く噛み締めた。
「許せない……」
そう呟くと、ジュリエッタはふらりと立ち上がった。寝台の下に隠していた大きな宝石箱を引きずり出し、ハート型の赤黒い宝石が付いた鍵を差し込む。
カチャリ、と小さな音を立てて、美しい宝石に覆われた蓋が開いた。
中に収められていたのは、柄に黒いダイヤの形の魔石が輝く、金の短剣だった。禍々しい気配を纏ったそれは、薄暗い室内でも暗い光を放っている。
『これ、すごく綺麗ね……私が買ってあげるわ』
『お美しいお嬢様は、さすがお目が高い。これは呪いの魔導具でして……』
それは、数年前にこの伯爵邸を訪れた異国の商人から買ったものだった。
“呪いをかけるための品”だと説明されたが、宝石が散りばめられた美しい短剣が気に入ったジュリエッタは、どうしても欲しくなってしまったのだ。
ジュリエッタは、鞘から短剣を抜くと笑みを浮かべる。
「オルテンシア……アンタのことも、引きずり下ろしてやるんだから」
ジュリエッタは、金糸のような長い髪をぐるぐると剣身に巻き付け始めた。それは、あの夜会の晩に、偶然彼女のドレスの裾に付いたオルテンシアの髪の毛だった。
ぬらりと光る刀身に、不気味に弧を描く琥珀色の瞳が映し出される。
ジュリエッタは、柄を握ると赤い唇を歪めて微笑んだ。
【あとがき裏話】
一方その頃、大公家にて――
ルシアン「マクス兄様、すごい張り切りようだね」
アレクシス「オルテンシア嬢も来るらしいからな」
マクシミリアン(優勝する姿を、シアに見せたい⋯⋯!)(庭で特訓中)
ロザリア「夕食の時間ですわよ〜! あら、マクスはまだ頑張っていますのね」
ルシアン(兄様、何時までやるつもりなんだろう⋯⋯)




