30話 廃嫡 〈公爵家/ジュリエッタside〉
レヴェル公爵邸に帰り着いた、公爵家一同とジュリエッタ。
王城を出てからずっと黙り続けていた公爵は、邸に入るなりジュリエッタを睨みつけた。
「いったい、どう育ったらあんなことができるんだ?! 聖女様だけでなく、ベルディア侯爵にまで無礼を働くとは……」
「お義父さま、私は――」
「私は父ではない!! ベルフォート大公家に――王家に睨まれたら、公爵家も伯爵家もおしまいだ! そんなこともわからないのか?!」
「大公家……?」
ベルフォート大公夫人が国王の姉だということは、ジュリエッタも知っていた。そして、大公家に容姿端麗だという三兄弟がいることも耳にしたことがあった――
『マクシミリアン・ド・ベルディア』――ジュリエッタは、その名を思い起こす。
(まさか、“マクシミリアン”って……)
大公家の子息の名として聞き覚えがあったジュリエッタは、指先が急に冷えていくのを感じた。
彼女は、第一師団の公開訓練のときに、他の令嬢たちが口にしていた『第二師団のマクシミリアン卿』の話を思い出したのだ。百人以上の令嬢たちからの恋文を、頑として受け取らなかったのだという、硬派で剣の腕にも優れるという騎士の噂を――
貴族子弟中心に編成される第一師団と違い、実戦力重視の第二師団や第三師団は市井出身の騎士も少なくない。『有象無象の集まり』だと第二師団を見下していたジュリエッタは、令嬢たちの噂話をろくに聞いていなかった。
(オルテンシアが、大公家のマクシミリアン様と結婚するの……?)
ジュリエッタは、震える指で扇を握った。
マクシミリアンの腕に抱かれ、去っていったオルテンシアの姿が脳裏をちらつく。
(でも……私だって、フラヴィオ様と結婚して公爵夫人になるんだもの――)
「……フラヴィオ、お前は廃嫡だ」
公爵の低い声が落ち、フラヴィオとジュリエッタは揃って目を見開いた。
フラヴィオは救いを求めるかのように母親である公爵夫人に視線を向けるも、彼女は公爵の後方で人形のように静かに佇むだけで、彼を見ようともしなかった。
その傍らに立つエミリオは気まずそうに口籠り、心配そうにフラヴィオとジュリエッタの様子を窺っている。
(そんな……廃嫡ですって……?)
ジュリエッタは、公爵とフラヴィオを呆然と見つめることしかできなかった。
「父上! 約束していた通り、オルテンシアには少しも近づいていません! どうか――」
「何故、この娘を放っていた」
低く放たれた声に、フラヴィオは傍らのジュリエッタへと視線を向けた。
フラヴィオと目が合ったジュリエッタは肩をびくつかせ、震える手で扇を握り締める。
「フラヴィオ。お前が傍にいれば、起きなかったことだ。そうだろう? ……全ては、お前がその娘に花冠を贈ったせいだがな」
ガタガタと震えているジュリエッタには目もくれず、公爵はフラヴィオを厳しい眼差しで見据えた。
「私の後を継ぐのはエミリオだ。お前のような浅はかな愚か者には、とても任せられん」
フラヴィオの瞳は絶望の色に染まった。遠くから様子を窺う使用人たちの視線が、彼の惨めさを一層募らせた。
「この公爵家も、どうなることか……ヴァレンティノ伯爵令嬢は、丁重にお送りしろ」
真っ赤なドレス姿で立ち尽くすジュリエッタとフラヴィオを鋭い眼差しで一瞥すると、公爵は冷たく背を向けた。
公爵夫人も憎らしげに目を細めると、公爵の後に続く。エミリオも、一度だけ二人を振り返ってから、両親の後を追った。
大理石が敷き詰められた玄関ホールに残されたのは、ジュリエッタとフラヴィオの二人だけだった。
「フ、フラヴィオ様……私……」
「ジュリエッタ、なんてことをしてくれたんだ! お前のせいで、僕の人生はめちゃくちゃだ!!」
フラヴィオは喚き散らした。大きく見開かれた紫色の瞳は、ジュリエッタを仇のように睨みつけている。
見たこともないフラヴィオの激しい剣幕に、ジュリエッタはドレスの裾を握り締め、ただ見つめ返すことしかできなかった。
「この……着飾ることしか能のない馬鹿女め!! お前の顔なんて、二度と見たくない!! 帰れっ!!」
まるで害獣を追い払うかのように、フラヴィオは右腕を大きく振った。
大理石の床に落ちた扇がくるくると回る。
唇を震わせたジュリエッタは落とした扇を拾うこともせず、青褪めた顔で駆け出した。
「あっ……!」
ドレスの裾を踏んで、大きくよろけたジュリエッタの赤い靴が脱げた。
「フラヴィオ様……」
コツコツと靴音を響かせてやってきたフラヴィオを、座り込んだジュリエッタは見上げる。
けれど、フラヴィオは赤い靴を荒々しく掴むと、ジュリエッタに向けて投げつけた。
ジュリエッタの小さな悲鳴が上がる。
扉に叩きつけられた赤い靴はヒールが折れ、大理石の床へと転がり落ちた。
「お前みたいな女、はじめから僕には釣り合わなかったんだ」
「……っ!」
琥珀色の瞳に涙を滲ませながら、ジュリエッタは逃げるように公爵邸を後にした。
ヴァレンティノ伯爵家の家紋が刻まれた豪奢な馬車が、公爵邸の門をくぐる。
ジュリエッタの赤いドレスの裾に、幾つも涙がこぼれ落ちた。
「ひどいわ……あんな、あんな……」
ジュリエッタの脳裏に刻まれたのは、激昂する公爵の顔と蔑むような公爵夫人の眼差し。そして、怒鳴り散らしたフラヴィオの姿だった。
彼女はフラヴィオから――いや、今まで誰からも、あんな扱いを受けたことがなかった。生まれて初めて味わう屈辱と襲いくる惨めさに、ジュリエッタはドレスの裾を皺になるほど握り締めた。
(公爵夫人になれなくなったわ……もう、おしまいよ! 全部、あのオルテンシアのせいだわ!!)
噛み締めた赤い唇から血が滲む。
暗い夜道を、伯爵家の馬車は進む。
ガラガラと美しい車輪が回り、弾かれた小石が沼へと沈んでいった――




