26話 夜会の準備 〈マクシミリアン/ジュリエッタside〉
オルテンシアとマクシミリアンのデートから数日が経ち、花月の夜会が迫ってきた。
「突然だが、誰かダンスの練習に付き合ってくれないか?」
第二師団の執務室。マクシミリアンの唐突な発言に、その場にいた全員が顔を上げた。
((……今、なんて言った?))
目配せし合う騎士たちに、マクシミリアンは大真面目な顔でもう一度口にする。
「誰か、ダンスの練習に付き合ってくれ」
(……俺、幻聴が聞こえるほど疲れてるのか?)
(聞き間違いだよな)
黙り込む騎士たちに、マクシミリアンは僅かに眉を寄せる。
「……皆、聞こえていないのか?」
「ええと……師団長、なんとおっしゃいましたか?」
「ダンスの練習相手になってほしいんだ」
不思議そうに顔を見合わせた騎士たち。
一人は異国の勇猛な剣舞を思い浮かべ、残りの騎士たちも思い思いの想像をした。
だが、突然ダンスの練習相手になってほしいと言われても、皆、どう反応すればいいのかわからなかった。
「ダンスって……なんのダンスですか?」
「ワルツだ」
「ふっ……」
「どうした? シモーネ卿」
「いえ、少し咳き込みそうになりまして……失礼を致しました」
口元を押さえていた手を下ろし上品に微笑んだのは、新たに副師団長に任命されたシモーネ・ファルコーネだ。マクシミリアンよりも三つ年上の彼は、オーバル型の銀縁眼鏡をかけ、柔らかな長い銀髪を一つに結っている。騎士というより、執務官と呼ぶほうがしっくりくる品のよい男だった。
シモーネは、病で一年休職し、そのまま退官することになった前の副師団長の代わりに、第一師団から異動してきたばかりだった。
「シモーネ卿、付き合ってくれないか」
「せっかくですが……私は少々足を痛めておりまして」
((嘘だ!!))
騎士たちは揃ってシモーネを凝視した。彼がいつも通り優雅な足取りで出勤してきたのを見ていたからだ。
「じゃあ、他には――」
「自分は、男性アレルギーなんです」
「お、お婿にいけなくなるので無理です!」
「私は、あまりに下手くそなので、師団長のお相手にはなれません!」
最後に答えた騎士の一人に、『その言い訳があったか』と集まる視線。シモーネは、微笑を浮かべたまま書類を捲っている。
眉を落としたマクシミリアンは、「それでは、仕方ないな……」と残念そうに呟いた。
「あの、白薔薇姫――いえ、オルテンシア嬢と練習なさっては?」
その問いかけに、マクシミリアンは一瞬だけ固まると、頬を僅かに染めて視線を落とした。
「……恥ずかしいんだ」
「「は?」」
「下手だと……がっかりされたくなくて……」
((ダンス、下手なのか……?))
言われてみれば、マクシミリアンが令嬢と踊る姿を見たことがある騎士は一人もいなかった。
彼は仕事を理由に夜会には滅多に顔を出さず、騎士団の関係で出席する時も令嬢の手を取ることはなかった。
それというのも、マクシミリアンが年頃になったばかりの頃に、兄のアレクシスから忠告されたことが大きな要因だった。
『マクス、お前は……なんというか純粋だから、変な令嬢に引っ掛かりそうだ。簡単に手を取るなよ』
その兄の言葉を、マクシミリアンは忠実に守り続けながら成長してしまったのだ。
「師団長。最近入った医官助手の女性がいるでしょう。喜んで相手になってくれるはずですよ」
シモーネの提案に、マクシミリアンは静かに首を振った。
「私は、シア以外の女性には触れないと誓いを立てているんだ」
真剣な顔で答えたマクシミリアンに、騎士たちは視線を交わし合った。
「……白薔薇姫って、嫉妬深いタイプなのかな?」
「意外だよな」
「だが、羨ましいぞ」
騎士たちの脳裏に浮かぶのは、「わたくし以外の女性に触れることは、許しませんわ」と言い放つオルテンシアの姿。
囁き合う騎士たちの声が聞こえていないマクシミリアンは、言葉を続ける。
「シアと初めて言葉を交わした日に、この胸に誓ったんだ。彼女以外の手は、一生握らないと……」
マクシミリアンは、まるで遠い記憶に思いを馳せるかのように、懐の魔石入れに右手を当てると瞼を閉じている。
((重すぎだろ……))
黙り込む騎士たちをよそに、シモーネはマクシミリアンに穏やかに微笑みかけた。
「それで、どうされるのですか」
「少し考えてみる。……皆、ありがとう」
マクシミリアンの微笑みに、シモーネ以外の騎士たちは見惚れた。
(顔が良いって得だよなぁ……)
(俺もこの見た目に生まれたかったわ)
((ダンスが下手くそなのは嫌だけど))
恋人や伴侶を望む若い男にとって、“ダンスが下手”だということは、夜会では致命的な問題だった。
だが、今までのマクシミリアンは、ダンスの腕前など気にしたことはなかった。
部下たちから誤解されていることにも気づかず、マクシミリアンは黙々と書類を片付けた。
窓辺からは、午後の日差しが柔らかく差し込んでいる。
かつて庁舎の外にあった令嬢たちの姿は、もう見当たらなかった。
◇
「婚約者に、ドレスを贈りたいんです」
退社後、オルテンシアの婚約式のドレスを買った店にマクシミリアンは来ていた。
「どのようなドレスでしょうか」
「夜会用のドレスです。大切な婚約者に贈るんです。その、初めて一緒に参加する夜会で……」
「まあ! それでは、華やかなデザインが良いかもしれませんね……何色のドレスがよろしいでしょうか」
女性店員から問われたマクシミリアンは、ずらりと並んだ色とりどりのドレスを順に見て回った。
(青も良いな……だが、白も捨てがたい)
青いドレス姿のオルテンシアを思い浮かべて、マクシミリアンは僅かに頬を染めた。だが、彼女の純白の聖女の装いも眩しく、彼は選べそうもない気がしていた。
(参ったな……シアは可愛くて美しいから、何でも似合ってしまうんだ)
マクシミリアンが視線を彷徨わせていると、彼の目に店の奥に飾られた象牙色のドレスが飛び込んできた。
(なんて綺麗なドレスなんだ……)
胸元と裾には、波型のスカラップレース。ふわりと広がるドレスの裾にかけて、淡い七色に煌めく糸で白薔薇の刺繍が施されている。デコルテから肩にかけては肌が見えるデザインだが、二の腕をふんわりと包むオーガンジーの袖が可憐なドレスは、マクシミリアンの目を釘付けにした。
(白薔薇姫……シアにぴったりのドレスだ)
部下たちがオルテンシアのことをそう呼んでいると知ったマクシミリアンは、おとぎ話の姫君のようなこのドレスが、彼女に最高に似合うと思った。
「このドレスは新作で一点物なのです。ぜひ、特別な贈り物におすすめしております」
「このドレスをください」
「かしこまりました」
(よし。次は、ネックレスとイヤリングだ)
ドレス店を出たマクシミリアンは、宝石店『ラ・ジェンマ』へと真っ直ぐに向かった。
「ようこそおいでくださいました。どのような品をお求めでしょうか」
ショーケースを眺めていたマクシミリアンは、オルテンシアがいつも着けている白薔薇の髪飾りに似た白い宝石のアクセサリーに目を留めた。
「このネックレスと、このイヤリングをください」
マクシミリアンは、淡い七色の光を散らす、白く輝くネックレスとイヤリングを選んだ。それは、加工が難しいとされるホワイトオパールに薔薇の彫刻が施された、最高級の品だった。
(シアが喜んでくれますように……)
マクシミリアンは大切そうに白い小箱を抱えると、馬車へと乗り込んだ。
マクシミリアンは、窓から見える優しい月明かりを見て、まるでオルテンシアの長く美しい髪のようだと思った。
白薔薇の刺繍が施されたドレスを纏う、笑顔のオルテンシアの姿を思い浮かべて、彼は淡く微笑んだ。
◇
その頃、ヴァレンティノ伯爵邸のジュリエッタの部屋には、山のように色鮮やかなドレスが広がっていた。
「こんな地味なドレス、花月の夜会で着られるわけないでしょう!? 私はレヴェル公爵夫人になるのよ! 私にふさわしいドレスを持ってきなさいよ!」
「すぐにご用意いたします!」
「早くしなさいよね! 私を待たせないで」
腕を組んだジュリエッタは目を細め、ドレスを抱えて動き回るメイドたちを眺めた。
そうして、ジュリエッタのために用意されたのは、豪奢な真紅のドレスだった。まるで赤い花びらのように、大きなフリルが幾重にも重なっている。
「薔薇のようにお美しいジュリエッタお嬢様にぴったりですわ」
「この美しいドレスを着こなせるのは、きっとジュリエッタお嬢様だけです」
口々に褒めそやすメイドたちに口角を上げると、ジュリエッタはドレスを体に当てて見せた。
「当然よ、だって私だもの。髪飾りは赤薔薇を持ってきて。グローブは黒にするわ」
(花月の夜会の主役は、この私よ……!)
ジュリエッタは、姿見に向かって微笑んだ。
【あとがき裏話】
マクシミリアン「頼む! 後生だ!」
ルシアン「嫌だよ! 僕は、姫君のパートは踊れないし」(逃走)
マクシミリアン(ああ……どうすれば良いんだ……)
老執事「マクス坊ちゃま、私がお相手いたしましょう」
マクシミリアン「グレゴリオ……!」
老執事「申し上げておきますが、わたくしめは厳しいですぞ?」
マクシミリアン「何時間でも平気だ! とにかくよろしく頼む!」




