24話 それぞれの思惑 〈王城/公爵家side〉
ちょうどその頃――
王城の一室では、国王と大神官エゼキエルが言葉を交わしていた。
大理石のテーブルには、遮音の結界を張る魔導具が置かれている。やけに静かな室内には、窓辺で戯れる小鳥の囀りさえ聞こえなかった。
「それでは、オルテンシア様のお力は――」
「『癒しの力』だからな。攻撃魔法薬への効果は一切見込めなかったそうだ」
「さすがは聖女様……女神の化身のような御方だ」
甘さを含んだエゼキエルの声。
ほんの少しだけ恍惚としたその響きに、国王はエゼキエルの聖像のように整った白い顔を見据えた。
「……オルテンシアのことは、諦めよ」
低く放たれた国王の声に、エゼキエルは淡い薄紫の瞳をすっと細めた。
「……どういう意味でしょう?」
「そのままの意味だ。オルテンシアは、聖女である前に甥の伴侶となる大切な娘……そなたの手中に収めようなどとは、ゆめゆめ考えぬことだ」
「滅相もない……我が国の至宝である聖女様にそのような畏れ多いこと――考えたこともございません」
優美な笑みを浮かべたエゼキエルに、国王は「どうだかな」と瞳の鋭さを和らげようとはしなかった。
「国王陛下。聖女様の魔石入れの納品は、もう終わられるとか……そろそろ、大神殿のタペストリーの修繕をお願いしたいのですが」
「まあ待て……魔導師団だけでは、騎士団から不満が出る。来月には夏至祭の試合もあるからな……タペストリーの件は、もうしばらく待ってもらう」
銀色の睫毛を伏せたエゼキエル。美しい微笑をたたえるその顔からは、胸の内を垣間見ることすらできない。
国王は、浅く息を吐いた。
(食えない男よ……)
国王が卓上に置かれた魔導具に触れると、窓辺にいた小鳥たちが一斉に青空へと飛び立った。
◇
その日の夕刻の、レヴェル公爵邸。
公爵は大公家から受け取った書状を握り締め、部屋へと呼び付けたフラヴィオを真っ直ぐに見据えていた。
「もうすぐ王城で花月の夜会が開かれる。くれぐれも粗相はするな。良いな」
『花月の夜会』――それは、五月の満月の晩に王城で開かれる、国王主催の夜会のことだ。
悔しそうに唇を噛み締めるフラヴィオに、公爵は凍てつくような眼差しを向ける。
「オルテンシア嬢は、大公家のご子息と正式にご婚約された。次に近付けばお前は廃嫡だ。……この公爵家も、無事では済まないだろうがな」
先刻、ベルフォート大公からレヴェル公爵宛に書状が届いた。大公家次男のマクシミリアンとオルテンシアの婚約が正式に決まったこと。――そして、過去に関わりがあったからと、息子の花嫁となる大切なオルテンシアに会いに来られては非常に困る、と記されていた。その書状を見て、激怒した公爵はフラヴィオを呼び付けたのだった。
「だって……オルテンシアは、僕の花嫁になるはずだったんですよ!?」
胸に手を当てて必死に訴えるフラヴィオに呆れ果てたような視線を向けると、「馬鹿なことを」と公爵は吐き捨てた。
「お前が花冠を捧げたのはジュリエッタだろう。お前の生涯の伴侶となるのは、あの娘だ。自分のやったことに責任を持て」
「そんな……あれは、練習で――」
「この愚か者!! 花冠に練習なぞあるものか! 花冠を捧げた相手が伴侶となる。幼子でも知っていることだ」
「お前のような恥知らずの息子に育ててしまったこと、後悔してもしきれん……夜会まで外に出ることは許さん」と公爵は険しい顔でフラヴィオを部屋から追い出した。
閉められた扉を振り返り、わなわなと拳を震わせたフラヴィオは床を踏みしめて歩いた。苛立ちを隠しもしないフラヴィオに、使用人たちは息を潜めて廊下の端へと寄り、若いメイドたちは近くの部屋へと逃げ込むように入った。
「フラヴィオ様、やっと見つけたわ」
丁度向かいから歩いてきたジュリエッタに、フラヴィオは不快そうに眉を寄せた。彼女は、フラヴィオに会うため性懲りもなく公爵邸を訪れていたのだ。
フラヴィオは嫡男としての立ち場が危うくなっていることに、強い焦りを感じていた。それ故に、豪奢なドレスで着飾っている彼女がひどく呑気に見えて腹立たしく感じられた。
「フラヴィオ様、今日は婚約式の相談に来たのよ。つる薔薇の花冠、準備できてるんでしょ?」
(ジュリエッタ……お前が、花冠なんか欲しがったりするから……)
街角の花壇に薔薇が咲き始めた日、「もうすぐ婚約式なんだ。オルテンシアのために、ピンク色のつる薔薇で花冠を編まなきゃならない」と話したフラヴィオに、「花冠は一生物だもの。私が練習台になってあげる」とジュリエッタは微笑んだ。
ただでさえ婚約者として蔑ろにしていたオルテンシアの心を思いやるような考えは、そのときのフラヴィオには少しも浮かばなかった。彼はジュリエッタに言われるままピンク色のつる薔薇で花冠を編み、彼女の頭に載せたのだ。
常日頃から、『古臭い伝統など馬鹿げている。ただ面倒なだけだ』と胸の内で思っていたフラヴィオにとって、大した問題にはならないと思っていた。正式な『婚約式』を行う相手はオルテンシアだったからだ。
ローディア侯爵家から、『婚約の白紙』が突きつけられたあの日までは――
「ねえ、フラヴィオ様、聞いてるの? 花冠がないと、婚約式ができないでしょ。私、親戚や友達に『公爵夫人になる』って話したの。皆から、羨ましがられてるんだから!」
(ジュリエッタは、こんな女だったか……?)
得意げに笑みを浮かべたジュリエッタを、フラヴィオはもう『可愛い』とは思えなかった。
彼がまだ幼い頃、『フラヴィオさまのはなかんむりがほしい』と無邪気に微笑んだ愛らしい少女は、もうどこにも存在しないことに、ようやく気づき始めたのだ。
唇をきつく結んだフラヴィオは、彼女に答えることなく部屋へと向かった。
「フラヴィオ様……!」
(何よ……この私を無視するなんて、どうかしてるんじゃないの?)
廊下に置き去りにされたジュリエッタは、不服そうな顔で腕を組むと、目を細めて彼の後ろ姿を見送った。
「聞いた? オルテンシア様、ついにご婚約されたそうよ」
どこからか聞こえたメイドの声に、ジュリエッタはあたりを見回した。
近くの部屋で、若いメイドたちが掃除をしながら雑談をしているようだった。
「あの素敵な師団長様でしょう? 聖女と騎士だなんて、物語みたいで本当に素敵だわ。きっと豪華な結婚式を挙げられるわよね!」
(聖女ですって……?)
王城にいるという聖女の噂は少しだけ彼女の耳にも届き始めていた。けれどまさか、それがオルテンシアだったとは――
(それにしても……師団長と結婚? 笑えるわ)
ジュリエッタは、年嵩の騎士と寄り添う花嫁姿のオルテンシアを想像して吹き出した。
美男子揃いだと評判の王宮勤めの騎士たちを見るために、彼女は第一師団の公開訓練がある度に王城へ出向いていた。そこで、指揮を執る第一師団長の姿をいつも見かけていたのだ。
(師団長だなんて、お父様よりも年上じゃない……せっかく聖女になったのに、可哀想なオルテンシア)
もし、他の師団長だとしても、どうせ同じ年代に決まっている。ジュリエッタは、そう決めつけた。
彼女は手で口元を隠すと、それは愉しそうにくつりと笑った。
【あとがき裏話】
その日の晩、大公家では――
ルシアン「やっぱりマクス兄様には、紺色が似合うと思うよ」
マクシミリアン「騎士の制服と似たような色だが……」
ルシアン「似合うのを着るのが間違いないんだって。うん、シャツはこれにしよう」
ロザリア「明日が楽しみですわね」
マクシミリアン「は、母上! ……ありがとうございます」




