19話 白薔薇の園で
「シア……とても、可憐です」
「そ、そうでしょうか……」
休暇をもらった私は、午後から休みを取ってくれたマクス様に連れられ、大通りの北にあるドレス店へと来ていた。
両家で執り行う婚約式の日取りも決まり、私が着るドレスを見に来ていたのだ。
白を基調とした美しい店内には、様々なドレスがずらりと並んでいる。
「シアは、どれもよく似合います……選べませんね」
少し困ったように笑ったマクス様は、頬をほんのりと染めて私を見つめている。
けれど、見つめ返すと、マクス様の熱を帯びたような瞳はさっと逸らされてしまった。
私が何を着ても、「とても可憐です」「よく似合っています」としか言わない彼に、私は店内にあるドレスを片っ端から試着することになってしまった。
「マクシミリアン卿よ!」
「聖女様とご婚約されるそうね」
ショーウィンドウ越しに、数名の令嬢がこちらを覗いている。マクス様が貸し切りにされたそうで、店内の客は私たちだけだった。
令嬢たちの鋭い視線に晒されるのではと不安だったが、意外にも皆羨ましそうな眼差しを向けてくるだけで、私は少しホッとしていた。
「可憐なシアには、可愛らしいドレスがよく似合います。こちらの淡いピンク色のドレスはいかがですか」
「シア……それは、肩と背中が――いけません……」
「このふわふわのドレスも良いな……選べませんね」
(いったい、どれを選べば良いのかしら……)
まるで着せ替え人形のようにドレスを試着し続けて、日が傾いて来た頃――
「シア、そのドレスは……」
ひとつだけ、頬を染めた彼が口籠ったドレスがあった。
「……これに決めますわ」
あまり飾り気のない、裾がふんわりと広がった上品なドレス。その深い海のような青は、彼の瞳の色によく似ていた。
「……そのドレスにするのですか?」
「ええ……マクス様の瞳の色に似て、とても綺麗な色なんですもの」
さっと頬を染めた彼に、私は小さく笑った。
「シア、髪飾りも揃えましょう。どれが良いですか?」
店員の女性が持ってきたトレイには、宝石の髪飾りが幾つも並んでいる。けれど、私は静かに首を振った。
「わたくし、この髪飾りを気に入っていますの」
二年前に、彼から魔石入れのお礼にと贈られた白薔薇の髪飾り。それを、私は毎日身に着けるようになっていた。婚約式の日にも、この白薔薇で髪を飾りたい。――そう決めていたのだ。
「ですが……それで良いのですか」
「これが良いのですわ。大切な、宝物ですの」
嬉しそうにはにかんだ彼に、ほんの少しだけ締め付けられた胸がじんわりと温かくなるのを感じた。
そうして、婚約式用の青いドレスだけを買って、私たちはドレス店を出た。
「シア……少しだけ、歩いて帰りませんか?」
首を傾げた私に、彼は「連れていきたい場所があるんです」と淡く微笑んだ。
(ここは……)
彼に連れられてたどり着いたのは、町はずれにある、白薔薇の園だった。
「なんて綺麗なの……」
生い茂る緑の中で白薔薇が咲き誇っている。その美しい景色に見惚れていた私の傍らで、彼は静かに跪いた。
「マクス様……?」
「シア。これを、貴女に……」
私の左手の薬指にそっと嵌められたのは、大きな青い宝石の指輪だった。その深海のような神秘的な輝きは、マクス様の瞳を思わせた。
そして――
「愛しいシア。……生涯、貴女だけを愛し、守ると誓います」
彼の手で差し出されたのは、瑞々しい白薔薇の花冠だった。
「どうか、この花冠を受け取ってほしい――」
真っ直ぐな眼差し――
けれど、どこかほんの少しだけ不安げな色を潜めたその青い瞳を見つめ、私は微笑んだ。
「ありがとうございます。……わたくしも、一生マクス様だけを愛しますわ」
「シア……」
嬉しそうに立ち上がった彼は、私の頭にそっと花冠を載せると、眩しそうに目を細めた。
「思った通り……シアには、白い薔薇がよく似合います」
澄んだ白薔薇の香りが漂い、甘いときめきが私の胸を包み込む。
けれど、そのとき、彼の人差し指の先が傷付いているのに気が付いた。
「どうして……まさか、薔薇の棘で……?」
私は、彼の大きな手を取った。彼の指先や手のひらには、幾つも小さな傷が付いていた。
「……不器用で……編むのに少し、手こずってしまって……」
恥ずかしそうに笑った彼に、私の胸に熱いものが込み上げた。それは、知らない感情だった。
「マクス様……わたくしのために……」
彼が捧げてくれた花冠には、棘のひとつも見当たらなかった。
いつの間にか零れた涙を、彼の長い指が拭う。
「この程度、何ということはありません……それに、愛するシアのためなら、いくら傷付いても構いません」
「大切なマクス様が傷付くのは嫌ですわ。どうか、お怪我などなさらないでくださいね」
傷だらけの両手をそっと握って見上げると、彼の顔は一瞬で赤く染まった。
「これは、違うんだ……少し――暑くなっただけで……」
恥ずかしそうに瞼を伏せた彼を、私はとても愛おしく思った。
これから彼と婚約式をして、結婚式を挙げるのだ。この白薔薇の花冠を載せて――
この――胸を甘く締め付けるような幸せを、何と呼ぶのだろうか。
そっと見上げると、まだ真っ赤に頬を染めている彼は、手で顔を隠しながら視線を逸らした。
「もう、夕暮れですね。……遅くなるといけません、そろそろ帰りましょう」
「……もう少しだけ……いけませんの?」
「シア……」
少しだけ思案した彼は、切なげに眉を寄せた。
「……暗くなるといけません。送ります」
差し出された手をそっと握る。
彼に手を引かれて白薔薇のアーチをくぐると、私は薔薇園を振り返った。
とても、名残惜しく感じたのだ。
「シア……また今度、一緒に来ましょう」
「ええ、楽しみにしていますわ」
(正式に婚約したら、もう少し長く一緒にいられるのかしら……)
彼の大きな手に包まれた右手。彼の手が熱いのか、それとも私の熱さなのか――私にはわからなかった。
私は、まだ耳をほんのりと染めている彼をそっと見上げた。
街も彼の横顔も、いつの間にか夕日に照らされている。
「綺麗な夕焼け……まるで、違う街のようですわ」
薄紅色に染まる空と美しい街並みを、彼の手に引かれてゆっくりと歩く。
ただそれだけで、私の胸は温かな幸せとときめきに満たされた。
今までは何とも思わなかった夕暮れの街が、彼と歩いているだけで、まるで違う世界に見えるのだから不思議だ。
耳に入る誰かの笑い声も、街路を彩る花々も、まるで全てが私たちを祝福してくれているように思えた。
(まあ、なんて可愛いの……)
噴水の脇を歩いていたときに目に止まったのは、小さな花屋の前に立つ、まだ幼い少女だった。可愛らしいエプロンドレスを着て、傍らに置かれた大きな籠には小さなブーケが幾つも入っている。
「……シア、ここで待っていてください」
「すぐに戻りますから」とマクス様はその花屋へと駆けていった。
(マクス様、わたくしが見ていたのに気付いてくださったのね……)
彼は、どのブーケを選ぶのだろうか――
屈んで少女に声を掛ける彼の背中を、私は何より愛おしく思いながら眺めた。
柔らかな風に、白薔薇がふわりと香る。
まるで私の胸まで、その澄んだ甘い香りに包まれているようだった。
そのとき――コツリ、と硬い靴音が響いた。
「オルテンシア……?」
背後から落ちた声に、背筋が凍り付いた。




