18話 二つの花冠 〈公爵家side・大公家side〉
「まあ……それでは、オルテンシア嬢は……」
「おそらく、辞退されたのだろう。慎ましやかな令嬢だったからな」
公爵の言葉に、夫人は睫毛をそっと伏せた。
王城で広まっていた王太子とオルテンシアの婚約の噂は、国王がはっきりと否定したことで静まりを見せていた。
「勝手な噂を広められては困るな。私は否定していただろう? ……マクシミリアン卿も聖女様も、不本意だったはずだよ」と目を細めた王太子に、大臣たちは深く頭を垂れ、マクシミリアンがオルテンシアの元を訪れた際に謝罪に走った。
だが、そんなことは全く知らないフラヴィオは、両親の話を立ち聞きし、胸の内で歓喜に震えていた。
(オルテンシアは――アンドレアスよりも、僕のことを……)
フラヴィオの脳内では、彼にとって都合の良い解釈が始まっていた。
オルテンシアが王太子アンドレアスからの求婚を断り、自分の元へ戻りたがっているのだと――
(そうだ、オルテンシアに花冠をあげよう……そうすれば、もう意地も張れないはずだ)
フラヴィオはすぐに執事に言いつけて、淡いピンク色のつる薔薇を用意させた。
包帯が巻かれていた右手の傷は、神殿で治療されすっかり治っていた。
(ジュリエッタにあげたものより、綺麗に作ってやろう……)
フラヴィオは、ピンク色のつる薔薇を手にすると、オルテンシアに捧げる花冠を編み始めた。
少し前に、花冠を贈った幼馴染のことなど、まるで忘れてしまったかのように――
◇
翌日になってから、赤いドレスで着飾ったジュリエッタがレヴェル公爵家を訪れた。
『フラヴィオとの婚約を受け入れる』――公爵家からその書状を受け取ったヴァレンティノ伯爵家は胸を撫で下ろし、ほくそ笑んだ。
そして、「これで、フラヴィオ様の妻になれるんだわ!」と喜び勇んだジュリエッタは、呼ばれてもいないというのに、公爵家へとやって来たのだった。
「おば様、お久しぶりですわ! これからは、お義母さまとお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「……まだ結婚式も挙げていないのに、お義母様だなんて」
レヴェル公爵夫人が浮かべたのは、侮蔑の滲んだ失笑だった。
初めて見た夫人の冷めた眼差しに、花開いたように明るかったジュリエッタの表情は色をなくした。
「でも、私とフラヴィオ様との婚約を許してくださったと……」
「フラヴィオが貴女に花冠を贈ってしまったんですもの。……仕方がないでしょう」
「…………」
「でも――まさか貴女が、婚約が決まっていたフラヴィオに花冠をねだるだなんて……思いもしませんでしたわ」
冷ややかな声でそう告げると、公爵夫人はドレスの裾を揺らして背を向けた。
廊下に一人残されたジュリエッタは、ドレスの裾を握り締め、夫人の背中を見送るしかなかった。
(そんな……前は、あんなにお優しくしてくださっていたのに……)
幼い頃からフラヴィオと仲が良かったジュリエッタは、レヴェル公爵邸によく遊びに来ていた。
フラヴィオの母親である公爵夫人は、いつもジュリエッタに微笑みかけ、親切に接していた。それは、他の令嬢たちへの態度と同じだったが、ジュリエッタはそうは思わなかった。
レヴェル公爵家に娘はいない。――そのこともあって、ジュリエッタは『自分は娘のように可愛がってもらっている』と思い込んでいたのだ。
(どうして……)
「オルテンシア様の花冠を、奪ったんですってよ」
ジュリエッタの背後から、囁き声が落ちた。
振り返ると、そこには若いメイドたちが数人集まっていた。
だが、以前は感じの良かったはずのメイドたちは、まるで迷い込んできた薄汚い野良猫を見るような眼差しを彼女に向けた。
ジュリエッタがフラヴィオに花冠をねだったことがきっかけで、聖女となったオルテンシアとの婚約が立ち消えになったことを公爵邸の皆が知っていた。
“婚約の白紙”は、ジュリエッタだけが原因ではない。――けれど、この邸に仕える使用人たちには、彼女が『諸悪の根源』のように見えたのだ。
(どうして、そんな目で私を見るの……私は、フラヴィオ様に選ばれたのよ。何もないオルテンシアなんかより、私と結婚した方がこの家のためになるのに……)
ジュリエッタは、名ばかりの貧乏侯爵家のオルテンシアよりも、財のある伯爵家の娘である自分の方がフラヴィオと公爵家に相応しいと信じていた。
彼女はまだ、オルテンシアが聖女になったことすら知らなかった――
◇
一方その頃、部屋に籠もっていたフラヴィオは仕上がった花冠を手に満足げに笑っていた。
(二度目だから簡単だったな……前よりも良い出来だ)
得意げに花冠を手にしたフラヴィオは、部屋を出て馬車の手配を言いつけた。魔塔にいる魔導士のところへ行き、保護魔法を掛けてもらわなくてはならないからだ。
(オルテンシアは、どんな顔をするかな……)
『淡いピンク色のつる薔薇が好きですの』
以前、彼が好きな花を尋ねたとき、オルテンシアはそう言ってはにかんだ。
フラヴィオの脳裏には、嬉しそうに微笑む彼女の姿が浮かんでいた。
「えっ!? オルテンシア様がマクシミリアン卿と!?」
(オルテンシア……?)
色めき立つ若いメイドたちの声に、フラヴィオは足を止めた。
「王城勤めの従兄弟から聞きましたの。もうすぐ、婚約式なんですって!」
「確か、師団長なのよね? 羨ましいわ〜!」
(師団長と、婚約……?)
フラヴィオの脳裏に浮かんだのは、王城で見かけたことのある、第一師団の師団長だった。
第一師団長は既婚で中年の騎士だ。
父親であるレヴェル公爵よりも年嵩の騎士に抱き寄せられるオルテンシアを想像して、フラヴィオは嫌悪を露わにした。
(……まさか、家が貧しいから――)
「オルテンシア!」
フラヴィオは血相を変えると、花冠を握ったまま邸を飛び出した。
「フラヴィオ様……!?」
すれ違ったジュリエッタには目もくれず、フラヴィオは馬車へと乗り込んだ。
「ローディア侯爵家へ向かってくれ!!」
走り出した馬車に、ジュリエッタは得意げな笑みを浮かべた。
(さっきのは、私の花冠よね……フラヴィオ様ったら、あんなに急いで魔塔に行くなんて……)
ジュリエッタは、フラヴィオが手にしていたつる薔薇の花冠を目にし、期待に胸を膨らませた。
フラヴィオは自分を選び、愛してくれているのだと――
◇
「フラヴィオはどこにいるんだ」
「フラヴィオ様でしたら、魔塔へお出かけになると……花冠をお持ちでした」
「そうか。……帰ったら、すぐに知らせてくれ」
公爵の視界――窓の向こうに広がる緑の中に、鮮やかな赤が差し込んだ。
「全く……呼んでもいないのに、やって来るとは……」
我が物顔で庭園を歩くジュリエッタの姿に、公爵は呆れ果てたように目を細めた。
「フラヴィオ様に、ヴァレンティノ伯爵令嬢とのご婚約のお話は……」
「今日するつもりだ。……まさか、来客があるとは思わなかったからな」
(自分が選んだ娘だ。喜んで受け入れるだろう……)
フラヴィオが、オルテンシアの元に向かっていること――そして、ローディア侯爵邸を取り囲む第二師団の騎士たちに追い返されることなど、公爵邸にいる誰もが想像すらしていなかった。
◇
その日の晩。月明かりが照らす部屋で、マクシミリアンは白薔薇の茎と向き合っていた。机の上には、たくさんの白薔薇が積まれている。
『まさか、聖女様のお相手がマクシミリアン卿だったとは……』
『王太子殿下との噂を鵜呑みにしてしまい、本当に申し訳なかった』
聖女オルテンシアと婚約を控えているのが他でもないマクシミリアンだと知った第一師団の副師団長や他の騎士たちは、第二師団に謝罪に訪れた。
だが、マクシミリアンにとって忘れられないあの出来事を思い起こさせる話を、彼はまともに聞けなかった。
赤い顔を見られたくない彼は、「全く気にする必要はありません」と彼らを直ちに帰し、『第二師団長は心が広い御方だ』と囁かれるようになった。
(だが……これで、名実ともに愛するシアは私の婚約者に――)
「痛っ……!」
指先からぷくりと滲んだ赤を、彼はハンカチで押さえた。
彼は白薔薇の茎を真剣な眼差しで見据え、棘をひとつずつ切りながら花冠を編んでいたのだ。
(駄目だ……また失敗か……)
ポキリと折れてしまった茎に、彼は視線を落とす。
「よし、もう一度……」
彼は指も手のひらも傷だらけにし、悪戦苦闘しながら、何度も花冠を作り直していた。
「全く……棘を取らせたのを頼めば良かったのにね」
「マクスらしいじゃないか」
扉の外では、アレクシスとルシアンがそっと様子を見守っていた。
「あなたたちは、もうそろそろ休みなさい」
背後からかけられた柔らかな声に、彼らは振り返る。
「母上……」
「まだ、しばらくかかるでしょうから」
母親のロザリアが手にしたトレーには、小さなサンドイッチが並んだプレートとコーヒーが乗せられている。
「あの子があんなに一生懸命になっている姿は、初めて見ましたわ」
柔らかに微笑んだロザリアに、アレクシスとルシアンは小さく笑い返した。
そっと差し入れられた軽食を口にし、マクシミリアンは花冠を編んでは作り直した。
そして――
「やっと出来た……! シアに捧げる花冠だ」
マクシミリアンは花冠を掲げ、嬉しそうに笑った。
柔らかな朝日が、瑞々しい白薔薇の冠と彼の横顔を照らしていた――
【あとがき裏話】
(茎の折れた大量の白薔薇)
ルシアン「で、この白薔薇どうするの?」
ロザリア「お風呂に入れましょう」
その日の晩――
湯船に浸かる大公「ウ~ン、良い香りだ……」




